幸福の科学はなぜ上から目線なのか?信じられない | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

幸福の科学はなぜ上から目線なのか?信じられない

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

イエス・キリストが十字架に架かる前の晩、つまり最後の晩餐の場面において、イエスは急に弟子たちの足を洗い始める。

食事の前に足を洗うのは、当時奴隷の役割であった。驚く弟子たちはためらって断ろうとする。

(ヨハネによる福音書)
こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。

イエスは明日十字架につくという前の晩に、自らの姿でもって、救世主として、そして人としての生き様を示されたのだ。

「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。」

これにならって、キリスト教では犠牲と奉仕を旨とする。


統一教会では、「父母の心情、僕の体」と学んだ。

親は子どものために喜んで犠牲になろうとする心を持ち、行動としては僕のように奉仕する姿として表れる。

誰のためにもそういう姿勢で接しなさいという教えである。
親なる神様がそういう方であり、イエス様もそのような方であった。

文鮮明師も米国で1年6ヶ月の刑を受けた時、刑務所での模範的な生活態度で1年1ヶ月に減刑された。

出所する頃には、囚人たちから「ファーザー」と呼ばれるまでになったという逸話がある。

「父母の心情、僕の体」とは統一教会の伝統であり、目指すべき人格の目標である。

弟子の足を洗ったイエス・キリスト。こんなエピソードが、大川隆法氏にどれほどあるだろうか?

口を開けば、そこにいない人への悪口三昧とか、
目の前で、テーブルの上に足を置きふんぞり返っていて驚いた・・・という元秘書長の証言は読んだことがあるが。

世界宗教をめざす幸福の科学。
それは結構なことだが、キリスト教会以上の犠牲と奉仕の実践がなければ、世界に出ても圧倒されてしまうのは明らかである。

ましてや、「私は9次元だ」とか「如来だ」「菩薩だ」とか言って威張り散らして、上から目線で説教垂れるなんて、もってのほかだ。


関連記事

タグ/
コメント一覧
コメントする


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

最新記事

カテゴリ

未分類 (0)
救世主の生き様 (18)
ブログ (141)
宗教と科学 (32)
目指すもの (41)
幸福の科学のこと (282)

おすすめ書籍

92年生涯の真実。ブックオフに行けば108円で購入できます。勇気を出して(笑)ぜひ一読してみてください。百聞は一見にしかずですよ。

月別アーカイブ

FC2カウンター

最新コメント

プロフィール

自由人

Author:自由人
FC2ブログへようこそ!

リンク

RSSリンクの表示

QRコード

QR