神はなぜ沈黙されているのか? | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

神はなぜ沈黙されているのか?

遠藤周作の「沈黙」という小説があった。
17世紀、江戸時代初期の史実・歴史文書に基づいて書かれた小説である。



すさまじいキリシタン弾圧の中で
挫折していった宣教師の悲しみ。

理不尽な仕打ちを受け続けるキリシタンを見つつも、
なぜ神は沈黙を保ったままなのか?

無能の神なのか?
善の神ではないのか?
神は正義の味方ではないのか?

なんともやるせない物語である。

ところで、一般に「神を信じない」という人は、ただ唯物的な人ばかりではない。
善良に、正直に、真面目に生きながらも裏切られたり、理不尽な目にあったり、とても苦労した人である場合が少なくない。

神がいるなら、なぜこんな報われない人生なのか?

なぜ要領良く、ずる賢く生きている人が豊かに幸せそうになり、真面目に正直に生きている者がつらい思いをしなければならないのか?

こんな世のなか、神も仏もあるものかと。

本当に真面目に努力し、一生懸命に生きた人こそ、こんな思いになりやすいだろう。

神はなぜ沈黙を保たれるのか?
無能な神なのか?

その答えは、神の責任と人間の責任にある。

神がどんなに道すじをつくられたとしても、最後にそれを全うするのは人間自身の責任なのだ。

神はそこに干渉することはできない。
人間はロボットではないのだから。

助けたくても手を差し伸べることができない神。

救世主を送っても、それを受け入れるか受け入れず排斥するかは、人間の責任。

十字架上のイエスを助けることができずに、じっと見つめることしかできない神。

善なる者が鞭打たれ、弾圧され、それに沈黙で見守るしかできない神。

冷たい神?無慈悲な神?
いや、一見そう見えるが、その背後には膨大な涙がある。

気の遠くなるような忍耐と悲しみと、あまりにも深い愛情。

じつは苦しむ人間以上に、それを見つめる神のほうが苦しみを味わっておられたのだ。

遠藤周作の「沈黙」でも「弱い神」「寄り添うイエス」として描かれていた。その通りだと思う。

親として我が子を救いたい神、
しかしどんなに手をさしのべられても
人間のほうでそれをしっかりつかまなくては、救いは成就しない。

人間自らが悟り、そして行動しなければ。


これは
「神がいるなら、どうして世界中戦争ばかりなんだ?」
「なぜ神は人類を一度に救えないのか?」という疑問への答えでもある。

神は全知全能。愛の神、善の神。でも原則を曲げることはできない。絶対・永遠・不変の神であるから。

コロコロといくらでも都合よく設定を変えることのできる、地球至高神のエル・カンターレとは全然違うことを付け加えておきたい。


 ↑
「沈黙」って映画化もされたのですね。




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