人間「神の子」「仏の子」という思想 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

人間「神の子」「仏の子」という思想

幸福の科学の支部に行ったとき、
支部長から

「統一教会は原罪といって
人間は罪人だという教えを説いている。
これが問題なのです。

幸福の科学は人間神の子仏の子と言っています。
人間の本性はすばらしいんだというのが
幸福の科学の教えです」

と説教されたことがある。

とんだ誤解だ・・・と思った。

人間神の子であるというのはキリスト教も同じである。

本来神の子である。完全な善の姿である。
しかし、人間始祖が堕落してしまった。

だから、神の子ではあるけれど、
悪魔の子でもある。
善と悪の中間位置にあるのが現実の人間の姿だ
と見る。

これが人間観である。

だから、無条件で善の姿とは見ない。
生まれながらに悪の要素も持っている人間である。

ただし、すべての人間が善なる良心を持っているから、
自然に良心の呵責を感じるし、なんとか本来の善なる姿に戻ろうとする本性がある。

そう考える。

人間神の子と言っても現実を見ると、とても神の子とは思えない罪悪で満ちあふれている。
その理由をこの人間観から説明する。



人間「神の子」「仏の子」というのは同じだ。

ただし、神と人間が親子だと言っても
段階があるだろう?


たとえば
幼児
小学生
中学・高校生
青年期
壮年期
老年期

いくつになっても親は親、
敬うのは当然のこととして、
親に接する態度は年代によって異なってくるはず。

幼少年期は、親に甘えるだろう。
中学・高校生くらいの思春期になると
自立心から、反発もあるかもしれない。

しかしやがて大人となり独り立ちしていくようになると、
親のありがたさが身にしみて感じるようになってくる。

また、親が苦労している姿を見ると
なんとか力になってあげたい、
親を喜ばせたい
そんな情も沸いてくるだろう。

やがて結婚し、子供を育ててみると
ますます親の気持ちがわかってくる。

神様が親であり、人間が神の子であるならば
そのような人間世界での親子関係が
神様と人間の間にもあるのではないか?

とすれば、自分自身は親の前にどのくらいのレベルなのだろう?

親の事情もわからずに、
「あれちょうだい、これちょうだい」とだだをこねて甘える子供の姿なのか?

それとももう少し成長して、親を喜ばせようとする姿か?

親の抱えている複雑な事情を察して
何とか力になろうとする姿か?

親の悩みを打ち明けてもらい、
一緒に涙を流したり、喜怒哀楽を分かち合う姿か?



<追記>
今回はちょっと難しい話だったかもしれないので
意味不明だったらスルーしてもらってかまわない。

幸福の科学でいう「仏神の子」って、どのくらいの段階になるんだろうね。






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2. Re:無題 自由人

>色野そらさん

いつもお読みいただきありがとうございます。

>要するにエルカンターレの子でしょうね(笑)

絶句・・・。たしかに・・・。まさしく。

2013/02/18 Mon 23:36 | URL

1. 無題 色野そら

要するにエルカンターレの子でしょうね(笑)

2013/02/18 Mon 14:18 | URL

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