放蕩息子 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

放蕩息子

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この絵は1660年代にオランダの画家、レンブラントによって描かれた「放蕩息子の帰還」である。

絵のテーマになっているのは、新約聖書 ルカによる福音書にある有名な放蕩息子の話。

要約すると以下のような内容だ。

父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を使い果たした。
やがて飢饉となり、豚の世話役となって、その餌で餓えをしのぐほどに落ちぶれた。
啖呵を切って家を出た以上、二度と帰れない立場だったが、本心にたちかえって、素直に自らの失敗を認め、親元に帰ることを決心する。
罵倒され突き返されるのを覚悟で実家に帰るが、そこには息子の帰りを今か今かと待っている父親の姿があった。

これは、イエスが神と人間の関係を、親子の物語にたとえて語ったものだ。
(この話には長男と父親の葛藤・・・という続きもあるのだが、ここでは省略。)

家を飛び出して、勘当した息子であったとしても、いつまでも親として子を愛し心配し、帰りを待つ親の心がみごとにたとえられている。

すばらしいのは、惨めな最低の姿でありながら、自らの非を認め、素直に親にわびようと決心した息子の心である。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」と。(ルカ福音書 第15章)

そう告白する。

そこまで砕けた心で親の元に帰ったのだ。


私たちも同様である。
ついつい傲慢になって、何でも自分の力でできるような気分になり、神様なんか関係ない、オレが神様だ!みたいに突っ走ってしまう。そしてほどなく壁にぶつかり、にっちもさっちもいかなくなる。

えっ?大川隆法氏みたいだって?

違う、違う。
誰でもがそうなり得るのだ。


問題はここで、ほんとうに素直に、謙虚になれるか?
自らの非を正直に認めることができるか?
「息子として扱われなくてもかまわない。召使いでもかまわないので、親元にいさせてくれ」と、
ただただ親の許しを得、親の元に生きていたいと、
本心に立ち返った放蕩息子のような、そんな純粋な心になることができるか?
財産も何もいらない。必要なのは親子の愛だけだと。

これはハッキリ言って至難の業だ。
プライドの高い人にしてみれば、きっとエベレスト山よりも高く見えることだろう。

特に自分で「地球の最高神」とか「主」とか「国師」とまで言う人にしてみれば・・・。

限りなく勇気のいることだ。

しかし、それができたとき、神様はすべてを許し、受け入れてくださるだろう。
どんな放蕩息子であっても、神様のかけがえのない息子なのだから。



余談ながら、私はすべての人が
人生に一度は、この放蕩息子の心境を通過するのではないかと思っている。

親である神様の心がほんとうにわかったときには、
神様を無視して生きてきたそれまでの人生が申し訳なくて申し訳なくて、涙がでてくる。





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