奇跡信仰の限界 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

奇跡信仰の限界

昨日はアンビリーバボーな奇跡話を紹介した。

勇気を与えてくれる話ではあるが、
じつは教会内ではそれほど奇跡を重要視しない。

2000年前、イエス・キリストは数々の奇跡を起こした。

イエスの奇跡によって
病気を癒され、
死んだ者が生き返った。

そしてその奇跡を見て、多くの人がイエスに従った。

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
レンブラントの名画「ラザロの蘇生」

しかし、いざ
イエスに対する迫害が激しくなり
いよいよイエスが捕らえられた時、
奇跡を見て付いてきた人たちはみな
クモの子を散らすように逃げていった。

自分の身にも危険が及ぶかもしれない、そうなったとたん離れていったのだ。

外的な奇跡によって信じてついてくる人は
外的な試練によってあっさりと離れていく。


もし奇跡によって信仰にいたることがあっても
それだけでは、ただのご利益信仰にすぎない。

やがて信仰をくつがえす時がくるだろう。

信仰の動機が自分のご利益にあるからだ。

外的な刺激による誘発的な信仰であり、
内的に深く神との絆が結ばれたのではないからだ。



イエスは「再び来る」と約束されて昇天された。

私たちは、もし再びイエスを迎えるようになったとき、
イエスを裏切った弟子たちと同じ過ちを繰り返すことはないだろうか?

そんなことはないと、自信を持って言えるだろうか?

それをしばしば考える。

だから教会内では、それほど奇跡を強調することはないのだ。奇跡によって誘発される信仰には限界があることをよく知っている。


信仰の目的は、失った神様との関係を取り戻すこと。
本当の親子の情を結び、
生涯神とともに暮らすことである。

そして神の心を自らの心とし
そのように生きるように努力すること。
良心に恥じない生き方をすることである。



事故で助かったから信じる?
もし助からなかったら信じない?

信仰とはそんなものではない。
それはあまりにも幼い信仰である。

信仰の本質は別のところにある。

そのことはまた次回に掘り下げて書くことにする。



この記事は昨日の「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話」の続きでした。




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