絶対的な基準を立てる大変さ | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

絶対的な基準を立てる大変さ

先日「信仰は百パーセントを求める」ということについて書いた。
今日はその続き。

信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
(仏陀再誕)


絶対的なものを求めるのが信仰の世界であるから
その話は理解できないことはない。

しかし、それを語る者にはブーメランのように
その言葉が自らに返ってくるだろう。

「そういうあなたはどうなんだ?」と。

神に対する百パーセントの信仰を実践してみせているのか?

1パーセントの不信や疑いの余地もないくらい
不変なもの、絶対的なものを示すことができているのだろうか?

過去現在未来にわたって、
ブレることない一貫したものがどれだけあるのだろうか?



文鮮明師は、92年の生涯を晩年まで
3時間の睡眠で通された方だ。

修練会で直接話されるときは
夜半まで続いて、早朝から始まった。
その日も次の日も。
私も何度か体験したから事実である。

身近に生活する側近は大変である。

なぜそこまでの生活をされるのか?
「今この瞬間も、自分を師と仰ぎながら、
世界中で伝道活動しているメンバーのことを思うと
いっときも休めない、
休むわけにはいかない」
とのことだった。

安楽とはほど遠い生涯だった。

その一貫した姿勢を
一度も会ったことがない者でも
先輩の姿や信徒の交わり、
生活のいろんな出来事を通して感じていく。

そんな心のつながりがあるから
信徒は師として尊敬してついていくのだ。

マインドコントロールと言えば
マインドコントロールなのかもしれない。

でも実際は純粋な「師弟愛」だと思う。
それだけリアルな
まるで家族のような濃い関係があるのだ。



だから、それから考えると・・・・
幸福の科学で語られるところの
「信仰は百パーセントを求める」という話は、
とても恐ろしい言葉のように感じる。

そう語るためには
どれだけの生活の基準を立てなければならないのだろうか
と恐ろしく思ってしまうのだ。

信仰とは、観念的なものではなく
悟った内容を言葉で語るだけのものではなく
具体的に生活の中で実践するものだと思う。

信仰は、模範的な生活、
豊かな人間関係として
表れるものではないだろうか。

それなくしての
百パーセントの信仰というのは、
盲信にもなりうるし、
ただの「思いこみの激しい人」を
たくさん作り出すだけかもしれない。

自らにも戒める。





宗教 ブログランキングへ

関連記事

タグ/
コメント一覧

2. Re:(・◇・)? 自由人

>真理を探求する乙女~†愛夏†(清水広子)さん

前記事に寄せられた愛夏さんのコメントも似たような質問でした。そちらに返答しましたので、前記事をご覧ください。なお、私の書いた記事に直接関係ないようなコメントは、今後基本的にスルーさせてもらいます。私の率直な所感は書きますが、あくまでも個人的なものです。教会を代表する発言ではないし、誤解されても困りますので。

2013/03/27 Wed 23:27 | URL

1. (・◇・)? 真理を探求する乙女~†愛夏†(清水広子)

ひとつお尋ねしたいのですが
(‘o‘)ノ

アメリカに渡った長男は、
結婚したけれど、暴力が原因で妻から離縁され
酒とドラッグに溺れて亡くなったとか
(‘o‘)ノ

このことは、どう思われますか?
(‘o‘)ノ

2013/03/27 Wed 18:00 | URL

コメントする


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

最新記事

カテゴリ

おすすめ書籍

92年生涯の真実。ブックオフに行けば108円で購入できます。勇気を出して(笑)ぜひ一読してみてください。百聞は一見にしかずですよ。

月別アーカイブ

FC2カウンター

最新コメント

プロフィール

自由人

Author:自由人
FC2ブログへようこそ!

リンク

RSSリンクの表示

QRコード

QR