通俗的道徳にスピリチュアルの味付けが加わると | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

通俗的道徳にスピリチュアルの味付けが加わると

先日、楽山日記さんで書かれていた興味深い記事。

「通俗的道徳に、スピリチュアルという味付けが加わると、崇高な思想に化けるという話」というタイトル。

Eさんのような「過去世リーディング」をする人には、共通点がある。スピリチュアルというわりには、いっていることは通俗的道徳観にすぎないということだ。
しかし、この通俗的道徳観に、生まれ変わりのような神秘思想(?)をプラスすると、あら不思議。ある種の人たちには、これがすごく崇高な思想のように感じられるらしい。
(久我羅内『不可思議現象の科学』ソフトバンク クリエイティブ、2009年、p.154)


スピリチュアル・カウンセラーと言われる人が、何やら崇高な思想を語っているように見えるけど、大したことは語っていない、通俗的道徳じゃないか、という話だ。

なるほど・・・と思う。

これはとても興味深い。

そこから私が連想したのは、
通俗的道徳に、スピリチュアルという味付けが加わると
なによりも「説得力が増す」のではないかということ。


道徳は「こうあるべき」というひとつの価値を教えてくれるが、
その理由に対しては曖昧なことが多い。

価値観が多様化した現代では特に
「こうあるべき」と道徳的に説いても
「カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょ?」となってしまう。

「援助交際はいけないんだよ。不純異性交遊(今もこう言うの?)はダメと言っても
「なぜいけないの?」「私の勝手でしょ?誰にも迷惑かけてないでしょ?」となりかねない。

善悪の基準を示すのは難しい。

そこに「お前そんなことしてると
死んだあと色情地獄に落ちるんだぞ~」と言うと
どれだけ説得力が増すだろうか。

道徳は必要だけど実践力に欠ける。

「盗みはいけない」「いじめはいけない」「自殺はダメ」「生命の尊さ」
それらを教えるにも宗教的背景がなければ生活化が難しいのではないかと思う。

その意味で、スピリチュアルカウンセラーが語る言葉が
じつに平凡な通俗的道徳であっても、そこには大きな意味がある。

口で高邁な思想を語ることができたとしても
それを身をもって、
そのとおりに(道徳的に)生きられるか?
生活できるかとなると
なかなか難しいのだ。

それができれば
まさに偉大なる常識人ではないだろうか。





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