喜びは二人が一つになるところから | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

喜びは二人が一つになるところから

幸福の科学では、
「愛は与えるもの」と説かれている。

奪う愛ではなく、与える愛、
それは一つの真理である。

しかし、その「愛」は
「上から目線」とか、
「相手にお構いなしで一方的」とか、
「自己満足的」とか、
アンチの方々から指摘されることが少なくない。

一方的に
高いところから低いところへ水が流れるかのイメージをもって
「愛」と考える傾向があるのかもしれない。

何が問題なのか?

その一つは、
愛する対象に対して、尊重する心が不足するのではないか?

言い換えれば、
「愛は与えるもの」という観点だけでなく、
「愛は人と人を一つにする」
そのような観点をもっと重視するべきではないだろうか?
ということだ。


人は一人では生きられない。
俗説だが、「人」という字は人と人が支えあう姿だ
と喩えられたりもする。

人と人はお互いにかけがえのない存在である。
たとえば
夫にとっては妻。
親にとっては子供。

一つになる時に喜びがあり、
幸福がある。

そして一つになるには
「愛」が絶対に必要なのだ。

愛し愛される関係のなかで、
どちらかが一方的に愛を与え続けるということはない。

お互いに愛し愛され、
授受の関係なのだ。

そして喜びが生じる。

だから
妻あっての夫。
子供あっての親。
そして、信者さんあっての教団。
そういう思いが強くなる。


なぜ、神は神の子として人間を創造されたのか?

それは、いかに全知全能の神であっても
一人では喜べない、
それが答えである。

天国に住んでいたとして
一人ぼっちであれば
そこに何の喜びがあるだろうか?

神といえど、愛する対象が絶対に必要なのだ。

人間は本来、誰しもが神の喜びの対象である。



結婚して、子供が生まれ
初めて人の親となった時、
いままで経験したことのない情が湧いてくる。

子供を通して多くの刺激と喜びを与えられる。
そして子供の成長は、親の喜びでもある。

神もこのように子供である人間を
見ておられるにちがいない。



現実世界は、一つになるどころか
分裂、
憎みあい、ののしり合い、
誤解、すれちがい、
これらは不幸な姿である。

幸福を科学しようとすれば、
この世もあの世も幸福であろうとすれば、
「一つになる」
このプロフェッショナルにならなければと思う。





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