愛の発展段階説の限界 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

愛の発展段階説の限界

029507 2s

本能の愛
愛する愛
生かす愛
許す愛
存在の愛

この愛の発展段階説を聞いた時、なるほど一理あるかなと思った。

組織のリーダーになろうとするときの
出世段階みたいで面白いと思った。

ヒラから課長、部長、専務、社長、会長と
出世していくにも
器を大きくしていかないといけないよ、
みたいな。

ただ、この考えに重大な欠陥があることは
数々のブログで指摘されている。

最大の問題は
家族愛を低次元に置いたことである。

「家族愛」は人間として当然の愛であり、
魂修行の目標とするようなものではない
とする。

さらに「隣人の愛」も
愛する愛として軽視する。

ここから教えと実践とその行動結果に
チグハグが始まるのだ。


真実の愛と偽りの愛は
どこが異なるのか?

真実の愛の要素は、
まず自分から与えること。
そして与えたことを忘れること。
と言える。
ここには永続的な喜びが湧いてくる。

それに対して、
まず相手に求める愛、
与えたことを覚えている愛、
これは偽りの愛だ。
不満からやがて怨み、憎しみに変わることが多い。

これらは、幸福の科学でいう「愛の教え」でも
似たようなものではないだろうか?


では、真実の愛はどんなところに
表れるか?

これが問題だ。

イエスキリストは
「友のために生命を捨てる。
これほど大いなる愛はない」と
語られた。

生命をも越える愛。
これはどこに見られるのか?

それはまず、家族である。

親の子を思う心。
たとえば、子供が川で溺れれば
親は自分が泳げなくても飛び込む、
それが親の心だ。

夫が押し入った強盗に立ち向かって
身の危険をかえりみず妻子を守る、
そんなこともあるだろう。

命を越えた愛、
これはまず家族のなかに存在するのだ。

家族のなかに
愛する愛も、生かす愛も、
許す愛も存在の愛も
すべてが入っている。


家族でたっぷりと愛され
愛に満たされた者は
家の外でも、
他人に対しても、
その延長上で優しくできる。

単純な原理である。
しかしこれが神の愛である。

イエス・キリストの説かれた
生命をも越えた関係である。

神の愛は家族のなかに表れ、
そして隣人、他人へと広がっていく。

家族の愛を軽視したこと、
これが愛の発展段階説の最大の誤りではないかと思う。


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