弱さの自覚 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

弱さの自覚

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イエス・キリストの前に頭を垂れる時、
自らが感じる不足な気持ちは
心と体がどれだけ一つになっているか、
どれだけ愛の生き方ができているかである。

言葉でどんなに素晴らしいことを語り、
愛を語ったとしても
実際にそのように生きているのか?

それは身近で生活している人が、一番良く知っている。
特に妻とか子どもとか。
だから、妻から尊敬されている人というのは、
尊敬に値すると思う。


キリスト教を世界宗教にした一番の立役者、
聖パウロでさえもこのように告白している。

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ロマ七・22~24)

言行一致していないからと、
大川隆法氏や幸福の科学を責めるわけではない。

それが人間の偽らざる姿であり、人間の組織なのだ。

ただ、その葛藤を克服せずして真の幸福に至れることはないし、
救世主を名乗ることもできないだろう。

文鮮明師は自叙伝でこう語っておられる。青年時代の回顧だ。

 「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」--------これは、その頃の私の座右の銘です。先に身心を鍛錬してこそ、次には国を救い、世の中を救う力を持てる、という意味です。私は、食欲はもちろん、一切の感性と欲望に振り回されないで、体と心を自分の意志どうりにコントロールできるところまで、祈りと瞑想、運動と修練によって自分を鍛錬しました。
 そこで、ご飯を食べる時も「ご飯よ、私が取り組む仕事の肥やしになってほしい」と念じて食べ、そういう心がけでボクシングもし、サッカーもし、護身術も習いました。



まずは、自分の弱さを素直に認めるところから
始まるのかもしれない。
聖パウロが自らの弱さを、
キリストによってむしろ強さに変えたように。

「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリント第二の手紙 12.9~10)


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