観念的信仰の限界 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

観念的信仰の限界

幸福の科学に対する批判で一番多いのは
「言行不一致」ということであろう。

言うことは立派でも
やってることは全然違うじゃないか!と。

じつは、これは他人ごとではない。
統一教会に対する批判も似たところがある。

だから私も幸福の科学を批判しつつ、
そうではなく
自分自身を戒めているという要素も多い。

なぜ、言行不一致ということが起こるのか?
なぜ心と体がひとつにならないのか?

統一原理を解説した原理講論の序文には、以下の様な記述がある。
「この新しい真理が、人類の罪悪史を清算した新しい時代において建設するはずの新世界は、罪を犯そうとしても犯すことのできない世界となるのである。今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである。神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。」

「信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかった」がゆえに、
頭でわかっていながら、行動としては罪を犯してしまう・・・というわけだ。

神の言葉を聞いて感動を受けたとしても
それで終わっては、人格には変化を及ぼさない。
何にも変わらない昔ながらの自分自身を発見するだけだ。

神の言葉を聞いて感動を受けた内容を、心と体で実践しなければならない。
何度も何度も。
そしてその実践が生活の中でよき習慣となり
自然な姿として人格化されたときに、
神が共におられることを実感として感じることができるのだ。


人はいくら立派な話を聞こうが、それだけでは心を動かされない。
実際に語ったことを誠実に実行しているその姿、
もっと端的に言えば、
信者ひとりひとりが本当に幸福になっているのか
その姿を見て感化を受けるのである。

あまりにも当たり前のことであるが
心していきたい。



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