2013年06月 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

ガラパゴス化しやすい日本

「日本のメディアを見ていても、事実を客観的に理解できない。
大本営発表をそのまま記事にしているから」
ということを昨日書いた。

結果として、
世界情勢にうとい日本
ということになってしまう。

日本はガラパゴス化しやすいのだ。

シャープ、パナソニック、ソニーの斜陽も
その一端ではないだろうか。


そういえば、
シャープのガラパゴスという
タブレット端末があった。

シャープ「ガラパゴス」の顛末、わずか10カ月で軌道修正

このニュース記事にあるとおり、
年間100万台の販売目標のはずが大コケした。

シャープのその後を象徴するような顛末だ。

そして記事中の気になる部分。

販売台数は1万5000台程度。しかもこのうち3000~5000台は宗教法人「幸福の科学」の信者向けの電子教本「Happy Tablet (ハッピー タブレット)」だ。


幸福の科学出版サイトより
Happy Tablet

HappyTablet.jpg



う~ん、このタブレットを20万円出して買った人、
今頃どうされているだろう?

ちゃんと使い続けておられるだろうか?

幸福の科学出版のほうも
iPadとか、AmazonのKINDLEとか
そんな選択肢はなかったんだろうか?

もっと先を見通さないと
ほんとうにガラパゴス島に取り残されてしまう。



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大本営発表でなく

大前研一「ニュースの視点」で
興味深い記事があった。

http://www.lt-empower.com/koblog/viewpoint/2669.php


それは「日本のメディアを見ていても、事実を客観的に理解できない」
という話だ。

たとえば先日のG8で、日本では
「安倍首相がオバマ大統領との会談をキャンセルした」ように報道されていたのが
現実は「オバマ大統領が日米首脳会談をキャンセル」したのだという。


なぜこのようなことが起こるのか?

日本の記者は

「現地で配布されたブリーフィングの資料を、大本営発表
 そのままに記事にしているだけです。

(中略)

日本の記者はいわゆる政治部の記者であり、ぶら下がり記者です。

(中略)

 日本で流れるニュースを鵜呑みにしてしまうと、
 客観的な事実として正しく理解することはできません。

 自分自身でニュースを正しく読み解くスキルを身につけることが
 大切だと思います。」


同じ自由と民主主義の価値観を持つ
「日韓米」で連携すべきところを
日本を外して
「中韓米」の方向へ向かっている。
危険な兆候だ。

オバマ大統領が日米首脳会談をキャンセルしたのも
象徴的なできごとだろう。


「日本のメディアを見ていても
事実を把握できない」

「大本営発表でなく
自分自身でニュースを読み解く」

肝に銘じたい。


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援護射撃なのか自爆なのか?

参議院選挙を前に
矢継ぎ早に出される霊言の数々。

   

   

これ以外にも、
「中曽根康弘元総理・最後のご奉公」(守護霊の霊言)
「大平正芳・元首相が「大復活」! 安倍首相の「ごまかし」を厳しく叱る
とか、続々と霊言が収録されている。


参議院選挙に向けて、幸福実現党への援護射撃か?

それとも自爆か?


霊言を通して
政治家を批判したり、
幸福実現党を持ち上げたり。


幸福の科学信者ではない者にとっては、
常識的な目で判断するほかなく、
なかなか理解できない世界ではないだろうか?

これらの霊言によって
幸福実現党への支持が増すとは
思えない。

これが4年前の
田母神さんときょう子夫人との対談みたいに
リアルの対談なら影響力もあるだろうけど
全部バーチャルの守護霊対談ではねえ・・・。

もしかすると
幸福実現党の候補者の方々には、
ありがたいというより、
内心苦々しく思っている人もおられるのではないかと思う。

勝手な推測だが。





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幸福実現党への苦言

今朝のNHKニュースで
参議院選挙関連の報道があった。

「諸派」ではなく「幸福実現党」と
言われていた。

信者さん、よかったね。


幸福実現党への苦言として書かれたこの記事に同感。

http://s.ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-11560598870.html

私も常々疑問に思っていたことだ。


理想国家、理想世界を夢見るとしても
まず家庭や親族、そして地域のレベルから
「幸福を実現」しないといけないと思う。


これは統一教会も同じだろう。



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アフロディーテがユダになってしまう本当の理由

霊眼が開けているとする。

以前はきょう子夫人の背後に
アフロディーテが見えていた。

9784876883110.jpg

ところが、
離婚寸前の頃は、
きょう子夫人の背後に
イスカリオテのユダの姿が見えた。

yuda0.jpeg


私はもしかすると、
こんなこともあったのかもしれない
と考える。


人は、霊界からいろんな影響を受けている。

善霊の影響を受けると
暖かい心になり、信じる心、愛する心が
増進し、前向きな気持ちになる。

悪霊の影響を受けると、
急に疑い深くなり、愛せない、
信じられない、むしろ憎い、復讐したい
そんな気持ちでいっぱいになる。

人には誰でも、
いろんな霊が入ったり出たりしている。


だから、きょう子夫人にも
あるときはアフロディーテがつき、
あるときはイスカリオテのユダがつく
ということはあり得る。

そして救世事業の邪魔をする。

そんなこともあるかもしれないと思うのだ。



ただし、これはあくまでも
霊の影響であり、
再臨協助現象であると考えてこそ
説明可能である。

これを輪廻転生で理解しようとすると、
前世がコロコロ変わるというか、
とんでもないことになる。

以前はアフロディーテだと言っていたのに
やっぱりそれは間違いで、
本当はイスカリオテのユダでした、
なんて、
どれだけの信者さんが、つまづき倒れただろう。

アンチブログを見ると
皆もともとは熱心な信者さんたちだ。


「私」という人間は
歴史の結実体である。
そして過去にも現在にも未来にも
宇宙のどこにも
たった一人しか存在しない
たった一度きりしか地上で生きることのない
唯一無二の貴い存在である。

「天上天下唯我独尊」という言葉は
本来すべての人に当てはまる言葉なのだ。


神は親であり、
人間は神の子であるならば、
子は親に似る。

神が唯一無二で、永遠で絶対な存在ならば、
本来神の子である人間も
唯一無二で、永遠で絶対的な存在である。

地上では一度きりの人生で、
その人生が霊界での永遠の人生を決定する。

それはそもそも
一人ひとりが唯一無二の存在として
神とともに永遠に幸福に生きるように
創られているからだ。


輪廻転生や生まれ変わりはなく
「一見、輪廻転生に見える現象」があるだけだ。



関連記事もどうぞ
「輪廻転生の嘘」
「生まれ変わりではなく、使命であり協助現象」
「生まれ変わりでなく霊界からの働きかけでは?」
「なぜ過去世がコロコロ変わるのか?」





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説得力と感化力

家庭ユートピアについて、
「仏陀再誕」の初版が発刊された1989年は威勢が良かった。

「ユートピアの建設は、仏国土の建設は、
まず家庭から始めねばならない。
家庭に始まった仏国土の建設が、いちばん大事である。
(中略)
まず、自らの家庭をユートピアにせずして、
全世界をユートピアにすることはできない。」



本当にこのとおりである。


しかし、きょう子夫人との仲が険悪になるにつれて
だんだんトーンダウンしていく。


2007年に発刊された「ティータイム―あたたかい家庭、幸せのアイデア25」のあとがきでは

 「人間は霊的存在で、この世からあの世へと移行していきますが、人生の幸福の前提部分が家庭生活です。家庭生活が円満であれば、そう簡単に地獄などに赴くものではありません。
 家庭の幸福という土台を固めてこそ、職業上の成功が一層の幸福へと花開いていきます。難しいことではありますが、努力してみる価値はあります。」




「難しいことではありますが、努力してみる価値はあります」って。

「まず、自らの家庭をユートピアにせずして、
全世界をユートピアにすることはできない」んじゃなかったの?

苦しい心境がありありと見えて
かわいそうでもある。

いち仏弟子という立場であれば
「私もまだまだ修行中の身、
過ちは反省し再出発します」とでも
潔く言えたのだろうが
地球最高神とまで宣言しているので
そうもできず・・・。


しかし、実践できてもできていなくても
真理は真理である。

真理は過去も現在も未来も変わらない。

そして真理のとおりに実践している言行一致の人にこそ
説得力もあるし、
その人から感化も受ける。

私はそのような師を求める。

「天という字は、二人と書く。
夫婦ふたりが一つとなって行くところが
天国である」
という言葉が、私は好きだ。



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告発記事の動機は嫉妬心?

いくつか当ブログにコメントをいただいていたのに
気づいていなかった。
申し訳ない。


昨日の「嫉妬されての成功は本物ではない
という記事に対して
「誰が嫉妬しているんでしょうか?」という質問をいただいた。
説明不足のようだったので補足する。


私も、霊言の内容まですべて知っているわけではない。

ただ概要はリバティWebに
ダイジェストが掲載されるのでわかる。
 

liberty1.png



たとえばこんな記事がある。
幸福の科学学園に関する捏造記事の元凶・新潮社社長の「嫉妬心」
とか、
幸福の科学攻撃の黒幕、文春創業者・菊池寛の正体
など。

私は本当は、
週刊新潮や週刊文春に書かれている告発内容について
幸福の科学としてどのような見解なのだろうか?
ということが知りたい内容だった。

しかし、それらに対して
「ここがこのように間違いで、事実はこうだ」みたいな
具体的な反論はほとんどなく、

週刊新潮や週刊文春は
その背後の編集長や創始者の霊言をとってみれば
大川隆法氏と幸福の科学に嫉妬して
攻撃してきているのだ、
だから告発内容は信用に値しない

そんな論調だった。


一方的に
「捏造記事だ」「事実無根だ」と主張し、
その動機は「嫉妬心」にある
とする。

そして編集長や創始者に対して、
霊言という形でレッテル貼りと人格攻撃。

これがいつものお決まりのパターンなのである。



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嫉妬されての成功は本物ではない

budda.png

「嫉妬しているんだ」
これは数多くの霊言で、なぜマスコミが幸福の科学の悪口を言うのか?
その理由として必ず出てくる言葉である。


千冊の本をこれだけのスピードで出している。
幸福実現党という政治団体をつくった。
幸福の科学学園をつくった。

それらの活動と実績に対して「嫉妬している」のだという。

それくらいの活動と実績で、嫉妬なんかするものかと思うが
霊言のとおり、嫉妬してのことだとしよう。

大川隆法氏自身の著作「仏陀再誕」によると
「人びとの妬みをかって大成功した人はいない」というから
それはそれでズバリ正解なのかもしれない。

大川隆法総裁の元気の出る名言集「妬みをかった成功はない」より
ゆえに、成功のための第二の条件として、私は言っておこう。人びとの妬みをかってはならない。いまだかつて、人びとの妬みをかって大成功した人はいない

一見、成功したかに見えても、妬みをかった者は、多くやがて没落の淵に沈んでいるようだ。そう、人びとから妬みをかうということは、あなたがたの成功が、実は他の人びとの頭の上を押し付けた成功であるということなのだ。

他の人びとの肩の上に乗った成功であるということなのだ。他の人びとに重荷を押し付けて、そして後の成功であったということなのだ。

もし、あなたがたの成功が、他の人びとの荷物を持ち、他の人びとの生活を楽にし、他の人びとを幸せにしてゆくためのものであるならば、あなたがたの成功は、決して他の人びとの妬みをかうことはないであろう。決して他の人びとの恨みをかうことはないであろう。



「一見、成功したかに見えても、妬みをかった者は、多くやがて没落の淵に沈んでいる」
「実は他の人びとの頭の上を押し付けた成功である」
「他の人びとの肩の上に乗った成功である」
「他の人びとに重荷を押し付けて、そして後の成功であった」

なんと味わい深い言葉であろうか。



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元英国国防省主席UFO調査官とは?

昨日紹介した記事「UFO調査は「無駄」、英政府の担当部署 50年の歴史に幕」
に関連してニュース記事を探してみるといくつか出てきた。

英国防省:UFO係、半世紀の歴史に幕 「経費の無駄」

 【ロンドン小倉孝保】未確認飛行物体(UFO)の監視・調査を担当していた英国防省のUFO係が2009年12月に閉鎖されていたことがわかった。同省が公表した資料を基に英メディアが21日、報じた。この係は50年以上、国防のためUFOの調査を続けてきたが、最終的に「経費の無駄遣い」と結論付けられた。
 UFO係は1960年代から調査を続けてきたが、英メディアによると68年を最後に、まともな調査は実施されず比較的若い職員2人が電話や電子メールによるUFO目撃情報に対応するだけで、経費は年間約4万5000ポンド(約675万円)だった。
 国防省によると、2009年11月に空軍幹部から「経費の割に防衛にとって価値ある結果を得ていない」として活動を縮小すべきだと提案があり、防衛資源を効果的に利用するため閉鎖を決めたという。国防省は「もはやUFOを見たという報告に反応せず、調査も行わない」としているが、同係閉鎖がUFOの存在を否定するものではないと説明している。
 国防省が公表した資料には「異星人と暮らしている」という電話の入電記録や、「07年にキャンプに行った際、UFOに車とテントを奪われ、飼い犬を拉致された」との報告を受けた記録などがあった。



なるほど、2009年12月には「経費の無駄遣い」として閉鎖されていたんだな~。
1968年以降、まともな調査は実施されていない。
若い職員二人が電話やメールに対応していただけ。
年間約675万円の予算だった。


「英国 宇宙人」で検索していて出てきた、今年1月のリバティWebの記事。

「2024年までには宇宙人とのコンタクトが可能に」と英国調査官
一部を引用する。

元英国国防省主席UFO調査官、ニック・ポープ氏によると、「2024年までには宇宙人とのコンタクトが可能になるだろう」という。英国のエクスプレス紙(電子版)で語っている。ポープ氏は、その信憑性の高いUFO情報の分析によって政府に情報公開をさせた、UFO関連のエキスパートである。

ポープ氏が2024年と言う理由は、5000平方キロという広大な敷地に2000から3000の大型電波望遠鏡を配置する「平方キロメートルアンテナ群(SKA)計画」が、その年にオーストラリアと南アフリカで設置完了となるからだ。

SKA計画では、宇宙からの電波を観測することで、宇宙創成期や惑星、銀河の形成など天文学の諸問題の解決が期待されている。広報官は「宇宙人の存在をも確認できるかもしれない」と語っており、ポープ氏も「100光年以内に地球外文明があるなら、電波望遠鏡で見つけることができる」と言っている。



なるほど。
2024年には超高性能の電波望遠鏡が完成するので
未知の分野の解明が期待されるということだ。

それで宇宙人が確認されるかもという話。

「宇宙人とのコンタクトが可能」とは
また大げさな解釈だ。


私は2024年、「やっぱり宇宙人はいなかった」と
証明されるのではないかと予想する。

ただ、神の天地創造、宇宙の始原について
もっと深く解き明かされるのでは・・・と楽しみだ。


ところで、
元英国国防省主席UFO調査官、ニック・ポープ氏という
いかにも権威がありそうな人物は、

上記ニュース記事に出てくる
「ただ電話やメールに対応していただけの若手職員2人のうちの一人」
なんだろうか(笑)

幸福の科学が本格的に「宇宙人」の話をし始めたのは
2010年以降だと私は記憶している。

英国国防省で正式調査が打ち切られた後・・・
というのも興味深い。


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UFO調査は「無駄」、英政府の担当部署 50年の歴史に幕

ufo.jpg

UFO調査は「無駄」、英政府の担当部署 50年の歴史に幕
というニュース記事を見た。

以下に、全文引用する。

【6月21日 AFP=時事】未確認飛行物体(UFO)の脅威は見つからず、調査は予算と人員の無駄遣い――。英政府のUFO調査担当部署が2009年に廃止された際、担当職員が英国防相にこんな報告を上げていたことが、21日に公開された英政府公文書で明らかになった。

 新たに公開された文書によると英国防省は2009年、「UFOが英国の脅威となり得る証拠を示す報告は1件もなかった」として、50年以上にわたって運用してきたUFO目撃情報を受け付ける電話窓口と電子メールアドレスを廃止した。

 その際、国防省職員のカール・マンテル(Carl Mantell)氏はボブ・エインズワース(Bob Ainsworth)国防相(当時)に対し、UFO担当部署が必要とする人員・予算は「UFO目撃情報の増加に伴って年々増え続けている」と指摘。「より重要な国防関連業務に職員を配置すべきだ」などと訴える報告書を提出していた。

 UFO担当部署の職員らは廃止後、他部署へ異動になったという。



私は、UFOや宇宙人は、この世の存在ではなく、
霊的存在なのではないかと思う。

宇宙人がいるのか、いないのか
については、以前
「生命の起源は宇宙人?」の記事に書いた。


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プラス思考とライバルの存在

positivethinking2.jpg

ある有名な経営コンサルタントの話。

プラス思考、積極思考を持ち続けるには
自分自身にたえず刺激を与えないといけない。

その一番良い方法が、ライバルを持つことだという。

ライバルに負けたくない思いが
切磋琢磨する刺激を与えてくれる。

そのライバルはたとえば
イチローでもよい。

相手が自分のことを知っているかどうかは関係ない。

マスコミを通じて流れてくるライバルの情報を聞きながら
「そうか~、頑張ってるな~
自分も負けられないな」と
良い刺激を受け続けることができる
というわけだ。



私は、「統一教会信者でありながら
なぜそんなに幸福の科学のことが気になるの?」
と聞かれることがあった。
初期の頃の著作は全部読んでいるし(笑)

この20年、私にとっては
幸福の科学が良きライバルだったんだなと思う。


ただ・・・最近は「痛い」話が多すぎて
もう見ていられないという
悲しい気持ちもある。

たしかに反面教師にはなるけども・・・。

良い刺激を与えてくれていた
幸福の科学の初期の頃が懐かしいくらいだ。


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めいめい自分の神様がほんたうの神さまだと

img_48411.jpg

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる一節。

「みんながめいめい自分の神様がほんたうの神さまだといふだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも
涙がこぼれるだろう。
それから僕たちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。」


100年も前に書かれたものだが
まるで「あーでもないこーでもない」と
議論する現代の私たちのことのようだ。

神様にしてみれば
ドングリの背比べみたいに
皆似たり寄ったりで、
笑って見られてるのかもしれない。


神様は求める一人一人に対して
ふさわしい時、ふさわしい場所、
ふさわしい方法で
手を差し伸べられるのではないだろうか。



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批判にとどまらず代案が必要

幸福の科学の信者さんに対して
退会をうながすブログ記事が盛んである。

「あなたはだまされてるんだよ。
早く気づきなさいよ」と。

私は同じような言葉を
さんざん聞かされてきた立場として
ひとつ思うところがある。

それは、いままで信じてきたものが
過りだと聞かされても
それに対しての代案が提示されないと
またさまよってしまうということだ。

自然な感じで「間違っていたのかなあ」と
自ら悟っていた場合はまだよいが、
外からの力で変えられたとき、
以前よりもっと大変な状態に陥ることもある。

今までの価値観が崩れた後
それに変わる価値観がなければ
その人の精神そのものも
崩壊しかねないからだ。

チュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、
アラブ世界に波及した「アラブの春」において、
独裁者を倒しはしたが
シリアのように、その後の体制はままならず
今も内戦状態で混沌としたままの国もあるように。


教会の友人がまえに
こんなことを言っていた。

「教会に来た時、まわりから相当反対された。
でもその時に言ったんだ。

『批判するのはあなたたちの自由だ。
しかし、私はこの教えが最高だと思っている。
半端な気持ちではない。
統一原理が真理だと思って、
自分はこれに人生をかけてるんだ。

もし自分に反対するんだったら、
これ以上の真理を持って来い。
それがあるんだったら、いつだってやめるよ』と。」


批判するのは自由。
しかし、それ以上の代案を持って批判しているのか?
ということだ。

信仰を持つによって
独特の人生観、世界観を持つようになる。

そこには常識からは考えられないような、
理解困難なことも多々あるだろう。

そこには誤りもあるかもしれない。

身近にいわゆるカルト信者がいれば
「あなたはだまされているんだ」と
諭したい気持ちもわかる。

でも、誤りを批判し、退会をうながすだけでは
不十分だと思うのだ。



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心の壁をなくす

昨日の記事「心の教えの限界」の続き。

思うことから始まる。
そして思い続けることが大事。

しかしそれだけでは解決しない
葛藤がたくさんある。

という話だった。

本来神がつくろうとされた世界は
どんな世界だったのか?

神は人類の親であり
人類は神の子どもである。
そして、「世界は一家、人類は兄弟」

それは壁がない世界である。

人種の壁、国境の壁がなければ、
宗教の壁、教理教派の壁もない。
民族の壁もない。

それぞれの違いは個性として残るとしても、
そこに差別はない。

神が親ならば、
子供である人間たちには
このような平和な世界を願われているだろう。


私たちは、ついつい壁をつくってしまう。

あの人は嫌いだ。
あの人は苦手だ。
あの人のことは理解できない。
あの人には話しても無駄だ。
などなど。

壁をなくすのが神の願われる方向、
壁をつくるのは神の願いと反対の方向であろう。

夫婦、親子、兄弟で
壁を作っているのか?
それとも壁がないのか?

隣人と、隣国と
壁を作っているのか?
それとも壁がないのか?

心が通じるのか
通じないのか?

本当の愛とは何か
考えさせられる。



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心の教えの限界

どこか忘れたが、いつか読んだ幸福の科学の本に書いてあったこと。

松下幸之助さんのダム型経営について、
「どうしたらそれができるのか?」と質問を受けた。
その質問に対して松下幸之助さんは、
「そうしようと思うことかなあ」と答えたらしい。

それは、そうしようと思うところから始まる
たしかにそれはそうだ。

幸福の科学の教えも
一事が万事、そんな感じのようだ。

たしか「余裕を持つ」という話にもあった。
どうしたら借金体質ではなく、
余裕をもった生き方ができるようになるか、
それはまず、そういう生き方をしようと思うことだ・・・
みたいな。

まず、思うところから始まる。
たしかにそうだろう。


でも、なかなかすぐに思うようにはならないのも現実だ。

それにたいしては
「一番大切なのは耐え忍ぶ力です。
耐え忍びの力で実現していきます。
何十年後、何百年後に実現することもある」
と説く。


心の教えがメインなのだから
心の力をとくのは当然だ。

まず、思うところから始まる。
そして、結果に対しては
耐え忍びなさい。
思い続けなさい。
努力を続けなさい。

たしかにそのとおりなんだけど。



・・・・って、
それだけか〜!!

簡単すぎるし、
ワンパターンすぎないか?

それで
わかったような気になるのは
浅すぎる。


人はもっともっと
深い教えを求めているのではないだろうか?


夫婦、親子、兄弟の葛藤。
隣人、隣国との葛藤。

どうしたら
いがみ合う二人が和解し
一つになれるのか?

仲良く幸せに暮らせるのか?

一人一人の人間が、
自分自身の心にある
許せない思い、自己中心的な心、
不義な心、信じられない心、愛せない心、
これらをどう克服するのか?

それをつきつめて考えない限り
思っただけでは解決しないだろう。

思い続けるだけでも解決しない。

誰もが平和を願いながら、
いつまでも平和な世界が来ないのは
一人ひとりの人間が
根本的な問題を解決できていないからだ。

jesus1597.jpg

これを解決するのが
まさに救世主であると思う。


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シンプルな幸福の公式

tree-illustration.jpg

宗教生活で気をつけないといけないのは
「動機を正す」ということだ。

いつの間にか
動機がずれていくことがある。

世のため人のため神のためと始めたことが、
いつの間にか
自分が認められたい
ほめられたい
そういう動機に変わっていく。

時には自分のメンツであったり
自己保身であったり。

外見からすれば
動機は目に見えない。

動機は木の根っこのようなものだ。
それが良い動機であれば
やがて芽を出し花を咲かせ豊かな実を実らせる。

悪なるものが含まれていると
それにふさわしい悪の芽が出てくる。
あるいは豊かに実を実らせることはできない。

実ったように見えても一時的である。

そのとき、自分自身の中にも
実を結ぶものが少なく
むなしさを感じることになるだろう。


それは、短期的には分からないが
時間の経過とともに明確になってくる。

「縁起の理法」とか
「原因と結果の法則」とか
「引き寄せの法則」とか、
言われるとおりである。

幸福の公式はシンプルである。

問題は、それを知っているとか
何度も聞いたことがあるとか、
そうではなくて
日々そのように実践できているか、
そして喜びや幸福感を感じているかである。


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恐怖心では心の成長はない

huuhu359.jpg

一口に信仰といってもいろんなレベルがある。
傍目から見た姿は同じでも
心の世界まで見つめると、全然違うことがある。

特に「心の動機」。

教会の信者でこんなことがあった。

夫婦仲が悪く
それを何とか改善したいと
長年悩んでこられた婦人の話。

厳しい夫にいつも「掃除ができていない」と
注意されていた。

「叱られないように」という気持ちで
夫に尽くし、家を掃除していた何年間は
全然夫は変わらなかった。

あるとき大きな転機があった。
一つの心境の変化があったのだ。
仕事で疲れている夫を慰労したい、
夫を喜ばせたいという気持ちで
尽くすようになった。

なんとそれからまもなくして
夫がガラっと変わったという。



「こんなに尽くしているのに
どうして夫に通じないんだろう?
どうして夫はわかってくれないんだろう?」
そんな状態だったのだが、
「叱られないように」ではなく
「喜ばせたい」という動機が変わった。

見える姿は同じでも
心が違えば全然違うのだ。

動機の少しの違いが
大きな違いとなって現れる。

それが以心伝心で相手に伝わるのだから、
人間とは霊的な生き物なんだと
改めて教えられる。


信仰でも同様だ。

何か罰が当たるんじゃないか
とか
叱られるんじゃないか
悪いことがあるんじゃないか
地獄へ落ちるんじゃないか
という恐怖心では
心は成長しない。
人間関係もよくならない。



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悪霊が憑いている人に共通する言動

幸福の科学大川隆法総裁の元気の出る名言集」より
悪霊が憑いている人たちに共通する言動として書かれている部分を抜粋した。

大川隆法氏の著作からの引用である。

(悪霊が憑いている人たちに共通しているのは)
「自分には決して責任がない」という言い方をする。
 責任を外部に転嫁しようとするのが悪霊の典型的な姿だ。

(「不動心」より)

「その人の欲望の実現のためにやっていないかどうか。
あるいは、霊の言葉がその人の欲望をそそる方向にばかり行っていないかどうか。」

「本当に困っている人につけこんで、
どんどんその人を破滅に追い込んだり、
またその人からお金を巻き上げてゆくようなタイプのものは、
ほとんど悪霊現象と思って間違いありません。」

(宗教の挑戦)

「霊能力を得ても、日々、自らの生活を正しくして、
心を調和し、驕らず、いばらず、
謙虚に努力精進していく態度をとりつづけないかぎり、
すぐ地獄界につながっていくものだ、と自戒しなければなりません。
そのためには、日々、自らに戒めを課し、
そして努力精進していくことが大事です。

霊的な能力そのものをみると、残念ながら、
この世で霊能者といわれる方の九十数パーセントは、
〝悪霊能力者″であることは否めません。
 ですから、「悟りには、霊能力、
あるいは霊能力によって得られた知識情報は、
必ず必要なものだ」とは思いますが、
しかし、「霊能力が必ずしも悟りにつながるものではない」
ということも知っておいていただきたいのです。」
(心の挑戦)

すべて、もっともな話である。
そのとおりだと思う。

人は善霊、悪霊、いろんな霊的影響を受けながら生きている。
特に霊的に敏感な人は影響を受けやすい。

どちらに心を向けるかによって
善霊とも悪霊とも相対する。

霊能力者というと
それだけで特別な人としてあがめられたり、持ち上げられたりすることが多いから、
それで慢心し、
神仏への謙遜な心を忘れる者が少なくないのだろう。

90数パーセントが「悪霊能者」だと
言い切っているところが
興味深い。

ということは、
10人中9人が悪霊能者ということだ。
まずほとんどが悪霊能者だと。

自分が指導を仰いでいるその人は
本当に善霊の影響を受けているのか?
それとも悪霊に憑依されているのか?

霊能力者と言われるいろんな人が
思い浮かぶだろう。

その人物が
10人中一人いるかいないかの
本物なのか、
自分自身で見極める目を持たねばならない。



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マインドコントロールは不可能だと思った理由

マインドコントロールという言葉が
使われるようになったのは
山崎浩子さんの失踪・脱会事件からだ。
「私は統一教会にマインドコントロールされてました」と
記者会見した。

それ以来、統一教会員は
マインドコントロールされているんだ
と言われるようになったが
それはあり得ないということを
また見つけてしまった。

それはブログ村。

玉石混交どころじゃない、
信者、職員、不良信者、反対派、分派1、分派2、
ジャーナリスト、
いろいろ入り乱れてカオス状態(笑)

マインドコントロールという言葉には
「思考停止」というニュアンスもあると思うが

このどこがマインドコントロールされているんだ~!

と思ってしまう。

人間には「自由意思」というものがある。
自分の目で見て、考えて、判断する。

これだけ情報があふれた現代で、
マインドコントロールは不可能だ。

あり得るのは
「非常に説得力のある思想があって
それに多くの共感者が生まれる」
ということくらいじゃないだろうか。

統一教会の信者ブログでさえ
個々の問題に対しての
見解はそれぞれバラバラ。

ブログの数だけ違う意見がある
という感じで、
ふだん幸福の科学のブログ村ばかり見ていた私は、
久しぶりに
統一教会のカテゴリーを訪れてみて驚いた。

幸福の科学の信者さんブログは
幸福実現党ニュースのコピペとか、
だいたい皆同じような意見のことが
多いんだが・・・。



ちなみに私も
ブログ村統一教会のカテゴリーに参入してみた。
さらに混沌度を増すかも。


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霊言の功と罪

「守護霊インタビュー」という書籍が
次々に出版されている。

  

今も現役で活躍されている方々のものだ。

彼らの思想、考えというものを知りたければ
彼らが直接書いた著書が
たくさん出版されているから
じっくりそれを読めば良いと思うのだが。

守護霊インタビューを読むメリットとして考えられるのは、
本人の著書を読まずとも、
手っ取り早く
この人はこんな考え方なのかと
書籍のレビューを見るような感じで、
ダイジェスト的に知ることができる
そういうことがあるかもしれない。

また、この人の過去世はじつは◯◯なんですよ
と言われると、
それはそれで興味深いのかもしれない。

しかしここには
その守護霊が本物か偽物かは別としても、
一つの大きな問題がある。

この守護霊の霊言を
たとえば一つのレビューアーの見解として
参考にする程度なら良いのだが、
信者からすれば
このレビューは絶対である。

アマゾンに書かれている書評みたいなものではない。

教祖を媒介として語られるものだから
絶対的なのだ。

守護霊のインタビューでは、
悪態をついたり、時には
異様に幸福実現党を持ち上げたりもするだろう。

いずれにせよ
その人物に対して
この人(の守護霊)はこんな人だ、
前世は◯◯だ、などと
いったん教祖の見解が示され、
評価が下されると
それは信者さんたちのなかに
基準として定着し、固定化されてしまう。

レッテルが貼られてしまうわけだ。

そして信者さんたちは
それ以降、そのレッテルを外して
自分の目で見、考え、判断するということが
難しくなる。

そのレッテルの中で
見聞きし、判断するようにならざるを得ない。


たとえば
私が統一教会の信徒というと
「タランチュラにやられないよう気をつけなければ」
とばかり、避けられる(笑)

大川隆法氏の見解が基準として、
信者さんたちには固定化されているからだ。

こちらからすると
こっけいで笑うしかないのだが。



このブログをおっかなびっくりで読んでいる信者さん、
あなたもタランチュラにやられるかもしれません。
気をつけなさいよ~(笑)

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霊言は内部向け?外部向け?

大川隆法氏は
信者さんたち、つまり教団内部に向かって
情報発信しているんだろうか?

それとも、
一般国民に向かって情報発信
しているんだろうか?

矢継ぎ早に出される霊言。

霊言が本物だと信じている人にとっては
貴重なありがたいお話ということになるのだろう。

これだけのスピードで
これだけの量の霊言がなされ
さらに書籍として出版されるのだから
人間業じゃない、神業だ、という声も聞く。

しかし、霊言を本物だと信じきれない者にとっては
うさん臭く、キワモノ的なものでしかない。
見る態度は冷ややかであるし、
荒唐無稽な作り話にしか見えない人も多いだろう。


では、いったい、これらの霊言を
本物だと信じ
ありがたがって聞いている
(あるいは読んでいる)人が
日本にどれだけいるんだろう?

多数の一般国民が信じているのだったら
次々出される霊言に
興味しんしんだろう。

しかし、実際に霊言を信じているのは
ほんのわずかの「信者さんだけ」ではないか?


最近、インターネットでは
幸福の科学の霊言の広告があちこちで目に付くが
眉をひそめて見ている人が
多いのではないだろうか。

もう何百年も前に亡くなった
歴史上の偉人義人ならまだしも
霊言の対象が、
近年亡くなられた人だったり
まだ現役で活躍中の人だったりするからだ。

当人に直接会って
対談なりすればいいものを
守護霊を下ろして対談なんて
失礼極まりないことだと思う。

  
(一見、、本人の著書かと思うが
よく見ると「守護霊の霊言」と書かれている。
こういう書物を平気で出版できる神経がわからない。)


それで冒頭の疑問になる。

これらの霊言は
信者さんに向けられたメッセージなのか?
それとも
一般国民に向けられたものなのか?

信者さんたちに向けて
激励と引き締めの意味で
やっている霊言であるのならば
まだ理解できる。

そうでなければ
霊言をやればやるほど
幸福の科学と幸福実現党は
信用を失い、
支持を減らしていくだけではないのだろうか?


※リバティWebに
ニューヨーク・タイムズ系の新聞紙で
「サッチャー女史の霊言」が取り上げられたとあった。
信者さんたちは喜ぶだろう。

ただそこにも
「彼女は死んでから、
自分のことを日本人だと認識しているようにも受け取れる」
と皮肉も書かれている。



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一人ぼっちの天国はない

jesus068_0.jpg

天国はどんなところなのか?

たとえば
愛し愛される喜びの世界。

一緒にずーっといても
飽きず、たいくつせず
「時間よ止まれ」と言いたくなるほど(笑)
幸福感にみたされる世界、
そんな世界ではなかろうか。

もし、天国でひとりぼっちだとしたら
どれほど退屈でつまらないことだろう?

天国で、この世では見たこともない
素晴らしい景色があったとして、
それを見るとき、
一人で楽しむというより
誰かと一緒に感動を分かち合うことができれば
喜びももっと大きいのではないだろうか?

心が通じ合う喜びである。


幸福の科学的に言えば
9次元か10次元か
それ以上か知らないが、
もし神がたった一人で
気の遠くなるような年月を
孤高の存在として
ひとりぼっちでありつづけるならば、
どれだけ退屈だろうか?

たとえそれが全知全能の地球最高神(笑)であっても
たった一人で喜びを感じ
幸せに浸るとは考えられない。

喜びは一人では味わえない。
必ず相手が必要である。

これは重要なことである。

神でさえも、
かならず相手を必要とする。

愛のかたまりのような存在でも、
相手があってはじめて、愛する喜びがある。

心情の神であること、
そこから
神はなぜ人間を
必要としたからという答えが見つかる。

天地創造の動機は「心情」である。

神と人が共に喜ぶ世界、
いつまでも飽きない世界、
それが天国である。


人は成人するとともに
いつか伴侶を得て
二人の愛の結晶として
子供が生まれてくることを願う。

そして生まれてきた子供には
無条件で愛おしい情が湧いてくるだろう。

人のこの思いはどこから来たのかと考えれば、
これが、神の人間に対する思いではないかと考えられる。

理論や観念ではなく
実感の世界である。

なぜ肉体をもって
人間が生まれてくるのか?

それは結婚し子どもを持ち
育てていく過程で
神の親としての心情を追体験できるからだ。

「自分も親になってみて、
親の気持ちが初めてわかったよ」なんてよく言うが
そのとおりだと思う。

天国とは、何かあの世の
特別なところにあるのではなく
この世でも
家族と過ごす日常生活のなかで
体験できることなんだと思う。

深く心が通じ合うことができればの話。


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情でなく知的に傾きすぎていないか

幸福の科学では
「愛」「知」「反省」「発展」を現代的四正道とし
幸福の原理としている。

そして一番重要なのが「愛」であると説く。

愛の本質は与えること、
それは正しいが
もっと本質にあるのは「心情」だ
ということを前回「愛することに疲れないためには」の記事で書いた。

幸福の科学では
知的、理性的に傾きすぎて
情の部分が抜けているのではないかと思う。


ずーっと前、約20年くらい前だろうか、
私を伝道しようとした幸福の科学のご婦人は
私の言葉は聞かず
最初から一方的にまくし立てていた。

それで私も我慢できなくなり
「伝道はそうやってするものじゃないでしょう?」と
叱ったことがある。

本人としては
与える実践をしている自分に酔っている、
そんなかんじできょとんとして
私の言っている言葉は届いていないようだった。


情的な関係を抜きにして
理性的に求めていくと
観念的になる。

知識を持てば持つほど
個人主義に傾きやすい。
差別も生まれる。

自分の成功、
自分の合格、
自分の出世。
自分の霊格向上?

いつの間にか、その方向に傾く。
自分(と家族)が、よく暮らせればいい、
そう傾いていく。

そこに本当の幸福があるのだろうか?

個人の喜びは半分でしかない。

やがて心は枯れてゆき
たどり着いた先で、
むなしさを感じざるをえないだろう。

本当の幸福感は
人と人の関係のなかにある。

そして良い関係を築こうとしたら
自己主張ばかりしていてはダメだ。

相手を貴重視する。
無私の心になってみる。
相手の言葉にじっと耳を傾けてみる。
与えるのはそれからだ。

お互いに相手を思いやりつつ
理想や目標を目指すなかに
信頼関係ができていく。

心情のつながりができる。
一緒にいてうれしい関係になっていく。

お互いに関係性を持つことによって
そこに天国が生じる。

関係性をもたずに
個人主義に陥るようになれば、
それは地獄への道なのだ。


これもまた、
「人のふり見て我がふり直せ」で
私自身の教訓になっている。


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愛することに疲れないためには

014931.jpg

愛の本質とは、「まず、与えること」である。
「さんさんとふりそそぐ太陽の光のごとく、無所得のままに、無限の愛と慈悲を万物に与えている」
それが神の愛の本質である

幸福の科学では、このように説かれている。

そして、一人でも多くの人に
愛の光を投げかけていきなさいと。

この教え自体は間違いではないと思う。

しかし、それなのに
それを実践している幸福の信者さんたちが
あまり幸せそうでないのはなぜだろう?

支部で出会った職員さんたちが
あまり幸せそうに見えなかったのは
どうしてだろう?
(失礼。私にはそう感じられたということ。)


まず与える愛から始めることが
幸福のもとではなかったのか?

じつは、ここに
ひとつの大きな落とし穴がある。

与える愛の原動力が
どこから出てきているのか?

太陽のようにさんさんと降り注ぐ
愛の力がどこから湧いてくるのか?

これがあいまいなためである。


「愛する」ということに対して
理性的な理解では、
だんだん義務的になり
習慣的、惰性的になる。

そして疲れてきて、
悪くいえば、
偽善的になってしまう恐れがあるのだ。


では愛の本質を
どのように考えたらよいのだろうか?

その答えは・・・
ひとことで言うと「心情」である。

理屈ではない、
愛したくてたまらない衝動、
それが原動力なのである。

たとえば、
赤ん坊を抱いたときの幸福感、
子どもを愛おしく思う心、
無条件に湧いてくる幸せを願う思い、喜び、
これが心情である。

ここには
慕わしい気持ち
いつまでも一緒にいたいという気持ち、
どんなに長い時間も、一瞬のように感じる幸せ感
うれしい気持ちでいっぱいだ。

心情の世界では、いつも新鮮だ。
そして真心を込めることが喜びとなる。

「心情」が、神の愛の本質である。


これは深〜い話しなので
次の機会に、続きを書くことにする。

偉そうに書いている自分自身でも
つい観念的、習慣的になってしまいがちなので
いつも心しているところだ。



次回、「情でなく知的に傾きすぎていないか」に続く。

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幸福の科学の二大転機

幸福の科学にはどうやら
二度、大きな転機があったようだ。

私は1991年~1994年ごろを
最大の転機と考えていた。

大川隆法氏がエル・カンターレ宣言をし
神理探求のストイックな団体から、
自称根本仏である教祖を本尊として信仰する団体に変化し、
急に数的拡大を求めだした。

統一教会流にいうと、
洗礼ヨハネとしての使命を失敗した時と言える。

そしてソフィアさんのブログ記事を読んで
幸福の科学にもう一つの大きな転機があったことを知った。

2009年ごろ。

いわば、元妻のきょう子さんが
いた時代と、いなくなって後の時代。

それまでは、きょう子元夫人が
大川隆法氏に意見できる唯一の人物だったのだ。

以下、ソフィアさんの記事より。

「なにせ教団内で大川の間違いを指摘できるのは恭子だけなんで
恭子がなんとか現実的な判断をして
次々と再指示を出して大川のトンデモ発言を無効にしていき
恭子なしでは教団運営ができないくらいに
重要な存在になっていきます」


なるほどと納得。

だから、きょう子夫人がいなくなった
2009年あたりから
制御不能な状態になっていったんだなと理解した。

天上界(?)から次々とインスピレーションを受ける大川隆法氏に対して、
それを現実とすり合わせるきょう子夫人が
いなくなったものだから、
どんどん変な方向へいっているのではないかと思う。

1990年
以前と以後。

2009年
以前と以後。

幸福の科学は大きく変化した。

発展なのか、衰退なのか?
それとも現状維持なのか?



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他山の石とする

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幸福の科学信者ヒデボーさんのブログの過去記事を読んでみて、珍しく(?)
すごくまっとうな方だと感じた。

タイトルの「真理は心の中に」という言葉も至言であり、
自分自身の良心(本心)と対話しながら
「正しき心の探求」をしてこられた方ではないかと察する。

何度かこのブログでも書いてきたが、
私が統一教会の信者でありながら
1980年代に幸福の科学に興味を持つようになったのは
与える愛から始まる、
正しき心の探求、
地上ユートピア、
偉大なる常識人、
天国と地獄、
この世とあの世を貫く幸福、
幸福を科学するということ、
それらのスローガンに
そのとおりだと共感したからだ。

日本に精神的革命を起こす
ひとつの霊的なムーブメントだと思った。

良心的な、そして既存の宗教では満足しない純粋な求道者たちが
そこに集まってきていると感じた。

1980年代のそのころのまま、
「正しい心の探求」を継続してきたら
ヒデボーさんみたいな人になるのかな?
と思った。

ただ、当の大川隆法教祖本人、
幸福の科学という団体そのものは
1980年代とは似ても似つかない様相に
なってしまったようだ。

正しい心の探求と言うよりは
地球最高神として崇める大川隆法氏に
盲目的についていくことが第一義で
最近の様子を見ていると「狂気」さえ感じる。

純粋に真理を求め、幸福を求め、
一度はユートピア建設という理想を夢見た多くの人たちが
いま、失望とともに
失った時間、投入した人生を悔いながら
アンチ化している。

このアンチさんたちのブログが
ユーモアにあふれていてまた面白い。

「真実は小説よりも奇なり」で
下手なフィクションよりもずっと興味深い。

それでますます
幸福の科学から目が離せなくなっている。

私は他宗教の信徒の一人として
他山の石とするよう心するばかりなのだ。


※「他山の石」 (故事ことわざ辞典より)
『詩経-小雅・鶴鳴』の「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。
「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味で、他人の誤りを自分の修養の役に立てることをいう。




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思い込みで判断していないか?

ru0s1.jpg

幸福の科学でいうところの「正見」、
そしてそれによる「観の転回」は
パラダイムシフトに似ていると思う。

パラダイムシフトとはこんなものという、
よく用いられる例がある。


美術館で、二人の幼い男の子が騒いでいた。
父親らしき人がそばにいるが、
注意しようともしない。

そこにいた観覧者の一人はイライラして、
ついに我慢できなくなり
父親に注意する。
「息子さんたちが騒いで、皆に迷惑をかけていますよ」

父親はハッとした表情で答える。
「すみません。つい先ほど隣の病院で
妻が亡くなったところで、
気が動転していたんです」

・・・。

この瞬間、声をかけた観覧者の心は
イライラではなく、
父親を責める思いでなく、
むしろ何とか力になってあげられないか、
そんな愛の思いに変わる。
そして、早計な自分を恥じるかもしれない。



現実の、子供が騒いでいるという状況はまったく
変わっていないにもかかわらず
自分自身の相手を見る目が変わったとたん
見える景色は一変するのだ。

このようなことは
日常茶飯事であろう。

私たちは、
イメージや第一印象だけで他人を見て
判断したり、評価したりすることが多い。

本当のところはどうなのか?

思い込みではなく、
いつも心の目をしっかり開いて
真実に目を向けていたいものだ。



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良かれと思ったことが相手を傷つけている?

ヒデボーさんの「真理は心の中に」というブログを読んでいて
なるほどと共感するところがあった。

「善意も悪意も包み込む与える思い」という記事から
以下、引用させていただく。

かって日本は大陸に進出し、アジアの一部を植民地化した。
その植民地の経営については、欧米諸国の経営と比べると、かなり良心的なものであった。

(中略)

弟分にしか過ぎない日本に教育・指導されるというのは、儒教国家であった当時の中国や朝鮮のエリート層にしてみれば、耐え難い屈辱であったろう。
確かに日本によって教育され、日本の整えたインフラによって、その後、繁栄していった。
だが、彼らにしてみれば、決して認めたくない事実である。

人には自尊心がある。あるいはプライドがある。
私たちが良かれと思ってやった行為が、知らず知らずの内に、相手の自尊心を傷つけてしまうことがある。
思わぬことで、思わぬ反発を受けるのは、相手の自尊心を傷つけたからである。


私も以前に「金正恩守護霊インタビューに大きな疑問」で書いた。

高句麗系のみならずとも、
朝鮮人は極めてプライドが高い民族だ。

儒教文化は、とにかく目上を立てる。
韓国ドラマを見るとわかるが
目上の人の前ではタバコは吸わない。
お酒を飲む時も
後ろを向いて盃に口をつける。
それだから、
目上と自覚している者が
目下の者に頭を下げることは
屈辱感を感じることなのだ。

一回りも年が違う弟のような者が上司で、
そこに自分が従わないといけないなんて
死んでも嫌だ・・・みたいな場面を
私も目の前で何度か見たことがある。

そこまでこだわらなくても・・・と
日本人からすると不思議に思えるのだが
文化的・歴史的な背景を知った上で見ると
違う景色が見えてくる。

初めて納得できる。

パラダイムシフトが起こる
と言ってもよい。

これがまさに「正見」であろう。
どちらか一方に偏った見方ではなく
より高い次元から見た視点。

それがなければ
人と人の関係も、
国と国の関係も、
どこまでも平行線である。

「神の目から見る」と言ってもよい。

問題の解決は、その「正見」から始まると思う。



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人種、国境、宗教の壁を越えるとき

onefamily.jpg

昨日は、「世界は一家、人類は兄弟」ということで
愛の成長と発展は家庭から始まる、
家族愛の延長に、地上ユートピアができる
ということを書いた。

これが「愛の発展段階説」に対する代案である。

ただ、これは現実のところ、
「言うは易く行うは難し」である。

キリスト教でも
神様のことを「天の父」と言い
クリスチャン同士、
お互いに兄弟姉妹と呼ぶ。

しかし、人種の壁、
国境の壁、
宗教の壁を越えるのは簡単ではない。

以前に「観念的信仰の限界」ということで書いたことがある。

「神を信じなさい。
ただ信じなさい」と言われても
それだけでは信じ切れないのが人間なのだ。

その信仰が観念的で実感を伴わない場合、
「頭ではわかるんだけど・・・」ということで
実践することは難しい。

悪いことだとわかっていながらも
罪を犯し続けることさえある。

極端な例だが、たとえば
差別してはいけないと思っていても
いざ、自分の娘が黒人の男性を婚約者として
連れてきたら
受け入れることができるだろうか?

政治的、歴史的に長い間対立してきた国の女性を
息子が婚約者として連れてきたら
受け入れることができるだろうか?

口でどんなに良いことを言えても
実践するのは簡単ではない。

だからこそ、
もっとありありと、実感的に
神様のことを親だと教えてくれるものが
必要になる。

神と人間、
切れてしまった親子の関係を
元に修復するのが信仰生活の目的である。

本当にそれが実感できれば
もはや宗教は必要なくなるだろう。

そして自然に
「世界は一家、人類は兄弟」になるだろう。

また、それを教え実践可能にするのが
救世主の使命であると思う。

イエス・キリストが十字架にかかられる前に
「私はまた来る」と言われたのも
その使命がまだ完全には
果たされていないからだ。

神が親であり、
人間が神の子であることを
本当に実感することができれば
そのとき初めて、
人種の壁、国境の壁、宗教の壁は
越えることができるだろう。


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世界は一家、人類は兄弟〜愛の発展段階説の代案

少し前に「愛の発展段階説」について書いた。

家族のなかに
愛する愛も、生かす愛も、
許す愛も存在の愛も
すべてが入っている。

それなのに、家族の愛を
「本能的な愛」として、
低次元に置いてしまったことが
愛の発展段階説の誤りではないか。

そこに、理論と実践の食い違いが生じる。

悪意はないのだが、
間違った方へ誘導してしまう可能性がある。

そんな話を前に書いた。
今日はその続きだ。

幸福の科学の「愛の発展段階説」に対して
いろんな批判はあるが
では、代案は何か?
愛はどのように成長し発展するのか?
ということまで
書かれたものは見受けないように思う。
それで今回不十分ではあるが、
自分の思うところを少し書いてみた。

one_famiry.jpg

幸福はどこで感じるのか?

それは、たとえば
愛し愛される喜び。
深い絆。
一体感。

この幸福感を感じることのできる
最小モデルは家庭である。

そして、その延長上にユートピア世界があるのだと思う。

単純に言えば、
「世界は一家、人類は兄弟」
どこかで聞いたフレーズ(笑)

そうなのだ。
人類は家族であり兄弟なのだ。

なぜ家族であり兄弟なのか?
それは共通の親の存在があるから。

ただただ
子供たちの幸福を願う人類の親の存在、
それが神様である。

私たちにしてみればまず、
「自分は神の子である。
同じ親を持つ兄弟姉妹である」
その実感から始まる。
そこから
隣人も兄弟姉妹、
世界中の人も兄弟姉妹という心が育つ。

その原点は家族の愛である。
そんな家族の愛を学ぶことのできる
唯一の場所が、家庭ユートピアなのだ。

真理は意外とシンプルなんだと思う。



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