2013年05月 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

パラダイムシフト

Wikipediaによると、

パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。パラダイムチェンジとも言う。

paradigmshift.png

この絵は「7つの習慣」に載ってる
パラダイムシフトのわかりやすい例。

第一印象で若い女性と思い込んだら、
もうそのようにしか見えなくなる。

しかし、一度「老婆にも見えるよ」
と教えてもらうと
そのようにも見えるようになる。

幸福の科学流にいうと
「正見」ということでもあろう。

いったん思い込んでしまうと
もうそのようにしか見えなくなるから、
先入観は恐ろしい。

仏陀と思い込んだら、そう見える。
救世主と思い込んだら、そう見える。

またその逆もあるだろう。

いったん邪教と思い込んだら、
そう見える。

「正見」ということはなかなか難しい。

「いま自分は、目の曇りをとって
正しく見ているだろうか?
先入観にしばられていないだろうか?
我欲にとらわれた目で見ていないだろうか?」

いつも心していたいと思う。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

これって「悪霊能者」の証明?

「霊能力が必ずしも悟りにはつながらない」という
ブログ「元気の出る名言集」さんの記事。

幸福の科学の書籍、「心の挑戦」からの引用である。

一瞬これは「ブラックジョークなのか?」と思った。

あの~、これ誰の言葉でもない、
大川隆法氏本人の言葉なんだけど。


現実には、霊能者でありながら悟っていない方は数多くいます。地獄霊にそそのかされ、支配されている方が数多くいます。そうした方がたは、やはり基本的には、霊能者というよりは〝霊障者″であり、悪霊に取り憑かれたままになっていて、彼らのなすがままになっているということが、その原因であると思います。

 その〝悪霊能力者″を見抜くことは簡単です。彼らの行ないを見てみれば、すぐわかります。奇妙きてれつな、常識を逸した生活をしているような方は、たいていの場合、悪霊の支配下にあります。また、世にもおかしな人、他人の目を驚かすようなことばかりをして注目を集めているような方も、やはり悪霊のほうに通じていると言ってよいでしょう。

 また、典型的な霊能者は教祖になることが多いと思いますが、霊能者型教祖で悪霊に取り憑かれている方を見抜くには、その人の持っている欲をみればわかります。「奪う愛」に生きているということが判明すれば、それが悪霊に取り憑かれている証拠です。とにかく奪うことに汲々としているような思いを持っていれば、すぐに地獄界に通じていきます。


う~ん、
これを読んで、近年の大川隆法氏本人を連想するのは
私だけだろうか?

さらにこう続く。

 ですから、霊能力を得ても、日々、自らの生活を正しくして、心を調和し、驕らず、いばらず、謙虚に努力精進していく態度をとりつづけないかぎり、すぐ地獄界につながっていくものだ、と自戒しなければなりません。そのためには、日々、自らに戒めを課し、そして努力精進していくことが大事です。

 霊的な能力そのものをみると、残念ながら、この世で霊能者といわれる方の九十数パーセントは、〝悪霊能力者″であることは否めません。



あの、どうも九十数パーセントのほうに
入ってるような気がするんだが・・・。

もしかして、
最近の霊言乱発は「悪霊能者」の証明なのか?


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

HRPニュースファイルなかなか良かった

WS000027s.jpg

HRPニュースファイル 
日本外交を支える「情報発信力」の強化を急げ!
を読んだ。

日本はこうした自国の国益を損なうようなマイナス情報戦に対し、その都度、強く反論するのみならず、国家戦略に基づいて、世界に向けて「真実の日本の姿」を発信していくことが急務です。

そのための外交戦略のひとつが「パブリック・ディプロマシー (Public Diplomacy)」です。

パブリック・ディプロマシーとは、伝統的な「政府対政府」外交とは異なり、広報や文化交流を通じ、国際社会の中で自国の存在感やイメージを高め、相手国の国民や世論に直接働きかける「対市民外交」「広報外交」のことです。・・・



このコラムはなかなか秀逸だと思う。
パブリック・ディプロマシーという言葉は
初めて知り、ためになった。

昨日の記事では
「第三者的には信ぴょう性の疑わしい「霊言」を元に発言する幸福実現党、
批判に対しては、具体的な反論ではなく
相手への人格攻撃や訴訟によって封じ込めようとする
大川隆法氏」

そんなふうに書いた。

しかし、もしかすると、
幸福実現党の幹部の方々には、
大川隆法氏よりもずっと頭脳明晰で人格的な人が
いるのかもしれない、そんなことを考えた。

怪しげな霊言を根拠としてではなく
客観的なデータをもとに、
大川氏よりもっと説得力をもって説法したり、
本を書いたりできる人がいるのではないかと。

そういう方は、最近の教祖を見て
不可解に感じることはないのだろうか?

20年以上幸福の科学をウォッチしてきた者からすると
それが素朴な疑問だ。

不可解なこと、矛盾を目の当たりにしたとき、
どのように消化されているのだろう?

面従腹背?

それとも「主の深いお考え」と
自らに言い聞かせるのだろうか?


でもつい、教祖を越えてしまったら・・・
そのときは
「地球神を越えた」ということで
大変な目に遭いそうで怖いかも?
(アンチさんたちの証言にもとづく私の勝手な空想)


これがもし親子の関係とか、師弟の関係ならば
子が親を越える、弟子が師を越えるというのは
親や師にとって最大の喜びなのだろうけど。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

橋下市長会見にみる潔さと言葉の力

橋下徹大阪市長が「慰安婦発言」に対して
外国特派員協会で会見をした報道を見た。

不倫騒動の時もそうだったが、
自分の過ちは過ちとして潔く認め
誤解されていると感じるところに関しては
真意は何かを自分の言葉で説明する

橋下市長の姿勢には一貫したものがある。

発言の具体的内容に対しては、
賛成、反対
いろんな見解があり
ケンケンガクガク の
議論があって当然だと思う。

橋下市長の言葉を支持するわけではないが、
個人的には、以下の見解になるほどと思った。

産経新聞より
【橋下氏会見@特派員協会】
われわれ世代の政治家は、過去の評価を蒸し返すようなことをやってはいけない。大戦について日本の正当性を主張し、過去にこだわるより、未来に向かっていかなければならない。
 ただし、敗戦国だからといって、不当な事実誤認について口を閉ざすということでもないと思う。そういう思いで、慰安婦制度で戦場の性の問題を提起させていただいた。



思い出したのは
幸福の科学の書籍「理想国家日本の条件」のなかで、
逆境からの脱出にあった
「政治家は言葉を武器とせよ」という話だ。



橋下市長はまさにそれを実践している。
このたびの件で
特に女性支持者から嫌悪され
いままでの人気が陰るのは間違いない。

しかし、
第三者的には信ぴょう性の疑わしい「霊言」を元に発言する幸福実現党、
批判に対しては、具体的な反論ではなく
相手への人格攻撃訴訟によって封じ込めようとする
大川隆法氏とはえらい違いだと思う。

政治に携わる者として、
どちらがより信頼される姿勢なのか?

近々の参議院選挙で表れる正直な数字が
興味深い。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

愛の発展段階説の限界

029507 2s

本能の愛
愛する愛
生かす愛
許す愛
存在の愛

この愛の発展段階説を聞いた時、なるほど一理あるかなと思った。

組織のリーダーになろうとするときの
出世段階みたいで面白いと思った。

ヒラから課長、部長、専務、社長、会長と
出世していくにも
器を大きくしていかないといけないよ、
みたいな。

ただ、この考えに重大な欠陥があることは
数々のブログで指摘されている。

最大の問題は
家族愛を低次元に置いたことである。

「家族愛」は人間として当然の愛であり、
魂修行の目標とするようなものではない
とする。

さらに「隣人の愛」も
愛する愛として軽視する。

ここから教えと実践とその行動結果に
チグハグが始まるのだ。


真実の愛と偽りの愛は
どこが異なるのか?

真実の愛の要素は、
まず自分から与えること。
そして与えたことを忘れること。
と言える。
ここには永続的な喜びが湧いてくる。

それに対して、
まず相手に求める愛、
与えたことを覚えている愛、
これは偽りの愛だ。
不満からやがて怨み、憎しみに変わることが多い。

これらは、幸福の科学でいう「愛の教え」でも
似たようなものではないだろうか?


では、真実の愛はどんなところに
表れるか?

これが問題だ。

イエスキリストは
「友のために生命を捨てる。
これほど大いなる愛はない」と
語られた。

生命をも越える愛。
これはどこに見られるのか?

それはまず、家族である。

親の子を思う心。
たとえば、子供が川で溺れれば
親は自分が泳げなくても飛び込む、
それが親の心だ。

夫が押し入った強盗に立ち向かって
身の危険をかえりみず妻子を守る、
そんなこともあるだろう。

命を越えた愛、
これはまず家族のなかに存在するのだ。

家族のなかに
愛する愛も、生かす愛も、
許す愛も存在の愛も
すべてが入っている。


家族でたっぷりと愛され
愛に満たされた者は
家の外でも、
他人に対しても、
その延長上で優しくできる。

単純な原理である。
しかしこれが神の愛である。

イエス・キリストの説かれた
生命をも越えた関係である。

神の愛は家族のなかに表れ、
そして隣人、他人へと広がっていく。

家族の愛を軽視したこと、
これが愛の発展段階説の最大の誤りではないかと思う。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

日本の枠を越えられない地球神とは?

幸福の科学信者さんのブログを読んで感じること。

その愛国心は認める。
戦前戦後を問わず、
日本のために生命をかけて
歩んでこられた先人たちには心から敬意を表する。

幸福実現党が
真剣に日本の国益を追求しているのもわかる。

しかし愛国心は往々にして
国粋主義、民族主義にとどまりがちである。

「海外から見た日本」の視点が欠けていると思う。

国益を越えて相互の益、
全体の益という観点を持つことは
簡単ではない。

国連でさえも
国益と国益のぶつかり合いの場に
なっている。

政治や外交の力では限界がある。

国の枠を越えるには
宗教的視点が必要である。

イエス・キリストは中東の一角、
ユダヤに生まれた人であったが、
ユダヤ人だけのために来た人ではなかった。

ユダヤ人をローマの圧政から解放してくれる人物として
救世主の登場を期待していた人は、
イエス・キリストに失望した。

そしてイエスを異端として排斥した。

神の目で見ると
国境の枠を越えて
全人類的な視点で見ているから
一見、理解不可能なのだ。

一国だけの国益を考える神ではない。


ドンキー王子さんのブログに
鋭い指摘があった。

「イタコ芸の限界」

「自称ワールドティーチャーのタカシ(大川隆法)だが、
日本のことしか考えてないんじゃないか?(笑)
霊人は日本と教団と党のことしか語らないし。
イタコ芸の限界か?(笑)」


私が最近の幸福の科学をみて
連想すること。

それは
敗戦色濃厚にもかかわらず、
ドイツもイタリアも
すでに負けたにもかかわらず、
原子爆弾2発を投下されるまで
戦争をやめることができず、
「一億玉砕」を叫びながら
ひた走ったかつての日本だ。

もしかして、
その当時の霊人たちが
幸福の科学を指導しているのかも?


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

号外スクープを流す神経とは?

楽山日記さんのほうで
霊言を根拠に歴史を語るというのは、
宗教ならまだしも
政治団体の発言にしてはどうなのか?
という指摘があった。

「幸福の科学と歴史問題」

私は初期の霊言集を読んでいて
「ほぼ当人なんだろう」と興味深く読んでいる人間だったが
よく知っている人物が登場したとき
「ああ、この霊言は100%嘘だ」と確信した。
絶対に本人ではないと。

「大笑い文鮮明守護霊の霊言」

信者さんは霊言が本物だと思い込んでいるから
霊言をスクープとして、得意満々で
公的な場所で号外配布する気持ちもわかる。

しかし、必ずしも霊言が本物ではない
と視点からみると、
かなり危うい行為である。
というか、恥ずかしい行為である。

キワモノ的な好奇心で見られるだけで、
信用性は極めて薄い。
某スポーツ新聞を連想したら良いだろう。


さらに、百歩譲って
たとえ霊言が本物だとしても
人間の良心にかけてどうなんだろう
という疑問がある。

それは幸福の観測所さんのほうで
詳しく書かれている。

「元慰安婦証言は酷すぎる」

「元慰安婦証言を信じる職員や信者たちへ」

「続き」

これがわからなければ
いち人間としての良心は
かなり麻痺していると言える。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

人間関係の修復、国と国の関係も

たとえば、
愛し合っている男女が、
何かの原因で互いに憎みあう関係になってしまった。

あるいは
信頼しあっている者どうしが
あることをきっかけに
信頼関係が崩れてしまった。
溝ができてしまった。

その状態から、どうやって
元の関係に戻ることができるのだろうか?

これは簡単ではない。
受けた仕打ちに対して
それを許すことはどれだけ難しいか?
憎み合う関係が、和解し
再び愛し合うようになるのは
どれだけ大変だろう?

決裂したまま過ごすのは簡単かもしれないが
その傷と怨みの心は霊界までも持っていき
苦しみの種となるだろう。


憎み合う関係が、和解し修復する。

それを可能にする道は
宗教の世界にしか見い出せない。

イエス・キリストのような
敵をも愛する心がなければ、
あるいは
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のような
徹底して懺悔する心、
贖罪の心と行動がなければ
解決することはない。


これは政治でも法律でも不可能だろう。

こじれた関係を修復するには
「穴埋め」が必要だ。
必要十分な条件を満たさなければならない。

たとえば
謝罪する。弁償する。誠意を示す、など。

相手が「もういいです。十分です」と言うまで至らないと、
そして
完全に恨みが消えるところにまで至らないと、
互いの心には、傷としこりが残ったままだ。


話は飛躍するが、
「従軍慰安婦」の問題について。

その真偽は別としても、
強烈な被害意識をもって
日本に強い怨みをもったまま亡くなった女性がいることは
まちがいないだろう。

本人は当然天国に還ることはできない。

強い怨みの悪霊となって
日本人に働きかけて来ないだろうか?

そこには誤解があるのかもしれない。

背後に国家的な駆け引きがあったのかもしれない。

しかし、それでも
無念な悔しい涙を流して亡くなっていったその女性の魂は
いつ浮かばれるのだろう?

怨みを晴らそうとして
霊界から日本人に悪さをするのは
いつ終わるのだろう?

親である神ならば、
一人ひとりを愛する神であるならば
涙を流し、
そのような一人ひとりの魂に対しても
何とか救うことはできないかと
道を探されるのではないだろうか?


それとも自己責任ということで
突き放されるのだろうか?


目に見えない背後の霊界までも含む
複雑な問題を解決しない限り、
現実の国と国の関係も修復することは難しいと思う。

宗教家には、やるべき使命が
たくさん残っている。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

元慰安婦守護霊の霊言に大きな疑問



リバティWebに
さっそく「元・慰安婦守護霊の霊言」なるものの
ダイジェストが出ていた。

それを読んでみれば、やはりというか
政治的観点からのメッセージである。

私には、またしても本物かどうか疑わしく感じる。


いったい自ら好きこのんで
10代で売春婦になろうとする女性がいるだろうか?

一日に何十人と相手をさせられて
それが親の借金のカタであったとしても
どんなに高給をもらったとしても
それがどれだけ悲惨なことか、
心が痛まない者がいるだろうか?

どれほど人生に絶望し、
境遇を呪い、
国を怨むだろうか?

もし自分の娘がそのような立場だったら・・・?

自分自身がその女性の守護霊であったら・・・?

怨みと憎しみと、
やるせない悲しさで
気も狂わんばかりではなかろうか?

「憎い、憎い、日本人が憎い・・・、
私の人生を返せ!青春を返せ!」
そう半狂乱で泣き叫びたい、
それが守護霊の本音ではないだろうか?

あなたが女性であれば、
同じ女性としてどう思われる?


すでに多くの慰安婦たちは
霊界に行かれていることだろう。

国や軍の関与がどうとか関係なく
彼女らの霊は
まちがいなく成仏していない。

その痛み、悲しみを
誰が救ってあげるのだろうか?


信者さんブログを見ると、
会内の案内ではこの霊言に対して、
「急がれる、韓国伝道!
韓国よ、早く、真実の信仰心に目覚めよ!」と
流れているようだ。

そうだ。この霊言を堂々とハングル語に訳して
大々的に韓国内で宣伝したらよい。

せっかくの韓国人信者さんも
これで、ほぼ全滅だと思う。

メッセージの真偽の以前に、
「こんな人の心の痛みがわからない人が
果たして宗教家なのだろうか?

ましてや仏陀なのか?
根本仏なのか?」


それが問われることになるであろう。


イエス・キリストは売春婦であったマクダラのマリアを
一言で改心させた。

そこには悲しい売春婦に対しても
別けへだてなく注がれる
絶対的な愛があった。

心の奥底にある良心に語りかけ
それを信じ、愛そうとする神の姿があった。

それを感じたマリアは
痛恨の涙とともに悔い改め、
新しい生命が降り注がれた。
マリアは別人のように生まれ変わった。


大川隆法氏の言行からは、
他人に対しての温かい眼差し、
これが一切感じられないのはなぜだろう?

さらに、
言いたいことがあれば
「私は真実はこうではないかと思う」と
政治家たちのようにはっきりと物申せばよいものを
あえて「守護霊の霊言」という形をとったのは
なぜだろうか?

まさか責任逃れのため?

橋下市長も、西村眞悟議員も、中山成彬議員も
はっきりと自らの責任で持論を述べている。

それに比べて「自称地球の最高神」さん、
あまりにも情けなさ過ぎないか?

「これは守護霊の霊言であって、
私の意見ではない」なんて言い逃れせず、
堂々とその言論に対して責任をとることを期待する。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

地雷を踏んだか?従軍慰安婦問題

000005546_640.jpg

政治の世界では
国内政治や国と国の駆け引きに
個人の事情、国民感情を利用する傾向がある。

国益と国益がぶつかるなかで
法律によって、
外交によって
時には武力で解決しようとする。

しかし、
国と国の関係も、
政治的問題としてだけではなく
個人と個人の問題の延長として考えなければ
解決できないのではないだろうか?

だからこそ宗教があると思う。


従軍慰安婦は
極めてデリケートな問題である。

歴史的事実はどうかということもあるが、
それに対する国民感情は半端ではない。
普段とても親日な韓国人が
竹島問題に触れたとたん
目の前で逆上するのを何度も見た。

従軍慰安婦の問題なら
なおさらである。

事実がどうというより
歴史的に刻まれてきた感情が
根底にある。

こじれてしまった感情を解くのは
まさにイエス・キリストのような愛によってしか
不可能なのかもしれない。

幸福の科学には
韓国の信者さんもいらっしゃるようだが
従軍慰安婦を否定したら
アウトだろう。


「従軍慰安婦の霊言?」なる記事を見て
「地雷を踏んだな」と直感した。


特にそれが政争の道具にされ
国と国の駆け引きに利用されるのが心配だ。

韓国と日本の関係がこじれて
一番喜ぶのは中国だろう。

歴史観、国益をはるかに超えて
全人類的な視点でみる
宗教的な観点がない限り
解決は不可能だろう。

それは「神の目で見て考える」
ということでもある。


この問題に関して
明日も続きを書いてみる。

この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村

タグ/

幸福実現党は諸派扱い?

いよいよ参議院選挙が近づいて
ニュースでも選挙関係の報道が増えてきた。

今朝のNHKニューでも各党の候補予定人数を
発表していた。

自民党・・・
公明党・・・
民主党・・・
 ・
 ・
 ・
諸派・・・51名 

あれっ、幸福実現党は名前が呼ばれない。
諸派の扱いのようだ。

信者さんたちはきっと
「マスコミはまた幸福実現党を無視した。ひど〜い」
と悔しい思いをされているだろう。

一生懸命応援されている方ほど
その思いは強いだろうなと思う。

いち信者さんの立場はそうだと思う。

しかし、もしそれが党幹部の思いであったら
お門違いである。

それは何度も選挙を経験していれば
最初から想定済みのことであって
マスコミが全然相手にしてくれないことを前提に
作戦を練っていなければならないからだ。

言い訳にもならない。

というか、
以前に「強者の戦略と弱者の戦略」「ランチェスターの法則から見た選挙で勝つ方法」の記事で書いたように
強者の戦略ではなく、弱者の戦略で行くべき立場だから
実際はマスコミがどうとか、ほとんど関係ないのだ。

草の根レベルで、どれだけ地道に備えてきたか?

正論を唱えていれば
それで政治が変わるというわけではない。
やり続ければいつかは道が開けるなんて
あまりにも甘すぎる。

政治は数が勝負の世界。

そういうルールなのであれば
そのルールのなかで勝てる道を探すのが当然。

いち信仰を持っている私が感じること。
それは、「政治」というのは宗教とは正反対の世界だということだ。

純粋さを求め、素直であり、
清く正しくあることを求める信仰の世界。

それに対して政治は
腹黒く、したたかでなければ生き残れない世界。

マスコミで報道される政治家の言動は
大部分がパフォーマンスで、
本音の部分は、水面下でしっかり手打ちされている
こういう世界だ。

愛国心で真正面からぶつかっていこうとしている
幸福実現党の皆様方に関心はするが、
あまりにも現実を知らない愚かさも感じる。


彼らに、マタイ福音書10章にある
イエス・キリストの言葉を贈りたい。

「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

価値観は様々・・・だけど

445.jpg

「幸せって何だろう?」という
昨日の記事の続きです。

何が大切なのか?
価値観は様々だ。

出世?お金?
将来の安心、安定?

それとも家族の絆?

親子であっても
その価値観の違いから
対立することが少なくない。

何を信じ、
どのような思想を持ち、
どのような価値観、人生観を持ち
どのように生きるのか?


どのような教育を受けて育ったのか?
どのような時代環境の中に生まれたのか?
世代においても異なるし
また国が違えばまったく異なる。

結婚は特にそうだ。
特に国際結婚なんか最たるものだろう。

違う屋根の下で育った者同士が
一つ屋根の下で暮らす、
それは全く異なる価値観の出会いだ。

価値観の違いを
どのようにして越えるのだろう?

異なる二つを一つにする
それが「愛」ということだろうか。


長く連れ添っている夫婦は
それだけでも素晴らしいとおもうし
たとえば
手をつないで散歩している老夫婦をみれば
ほほえましく、感動を覚える。

幸せとは何だろうという問いへの
一つの答えだと思う。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

幸せって何だろう?

最近、重たいテーマが続いているので
今日は軽い話にしようと思う。

高度成長期の昭和30年代を描いた
映画「Always 三丁目の夕日」シリーズ。

第3作の’64を、最近見た。
「幸せって何だろう?」という問いかけが一つのテーマになっている。

3・11の震災のとき、
みんな立ち止まって考えたことだ。

もう一度、その時のことを思い出して
考えてみることも必要だ。



・・・って、全然軽くないか。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

本当に救世主なのか?

「マインドコントロール」という言葉は
けっこうあいまいだ。

本当に「マインドコントロール」ということが
できているのだったら
統一教会も、幸福の科学も
もっともっと信者が増えて
発展しているはず。

たとえば日本でも1000万人とか。

でも実際そうなっていない
ということは
「マインドコントロール」には失敗しているということではないか?

そもそもマインドコントロールするのは
不可能なのではないか?

昨日はそんなことを書いた。


しかし、アンチさんの会話でふっとでる
「マインドコントロール」という言葉。

それはもう少し違うニュアンスもある。

マイコンが抜けない・・・
やっとマイコンが解けてきた・・・など。

どういう意味だろう?

影響力?

価値観?

考え方?


究極的には
仏陀でない者を仏陀と信じ込む。
キリストでない者をキリストと信じこむ。

これが「マインドコントロールされている状態」
ということなのだろう。


「かわいそうに、だまされてるのに気づかないんだ・・。
あれは仏陀ではないぞ、偽ブッダだ。
あれはキリストではない、偽キリストだ。
早く真実に気づきなさいよ」と
アンチさんたちは忠告してくれているのだと思う。

私も今までさんざん言われてきた(笑)


大川隆法氏に関しては、
彼が仏陀だか
エル・カンターレだか
救世主だかは知らない。

ただ、多くの人が救世主と信じている
イエス・キリストの生き様を通して、
「救世主とはこのような方」だ
ということは想像できる。

そうすれば、
「救世主なのか?」という問いには
自ずから答えが出るだろう。

このブログで、
「救世主の生き様」という項目で書いているのは
そのことである。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

マインドコントロールは可能なのか?

2010062913512322ds.jpg

幸福の科学アンチにおいても
統一教会アンチにおいても、
「マインドコントロール」という言葉は
よく使われる。

「マインドコントロール」とは
「洗脳」ということか。

統一教会では
1993年の山崎浩子さん失踪・脱会事件があったとき、
脱会記者会見で
「私はマインドコントロールされていました」と語った。
「マインドコントロール」という言葉が使われるようになったのは
そのあたりからだと思う。


難しい理屈は抜きで
「マインドコントロール」は可能なのかと考えると、
「それは無理でしょ」というのが
率直な感想だ。

もし統一教会でマインドコントロールが
なされるのだったら
それは完全に失敗している。

なぜならば統一教会の門をくぐったものの
残っている者があまりにも少ないから(笑)

これってマインドコントロールの失敗でしょ?


酒もタバコもしない。
献金要請も半端ではない。
恋愛は御法度。
不倫は絶対にダメ。
時には主婦が家族をおいて海外宣教に。

これで信者として残るのは簡単じゃない。


若い頃(1990年代)心配する信仰仲間の親に挨拶に行った時なんか、
こう言ってたものだ。
「お父さん、お母さん、
いくら自分の息子が評判の悪い宗教に入ったからって、
間違ってもいま流行りの脱会屋なんかに
相談にいったらダメですよ。
100万円以上お金を取られるし、
力づくで閉じ込めて脱会説得なんて
本人が深く傷つくだけじゃなく
家族関係がむちゃくちゃになりますから。

それよりも黙って2~3年待ってて下さい。
統一教会は教えが厳しくて
やめるよりも信仰を続けるほうが難しい教会ですから、
放っておいてもじきに家に帰りますよ。
もし何年たってもやめずに残ってたら
そのときは
大したもんだとほめてやって下さい」と。

冗談じゃなく、本当の話だ。


「マインドコントロール」については
次回、もう少し書いてみる。

冒頭の写真は、ポライター米本和広blogさんの記事から拝借した。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

キリスト教の限界

stpeter.jpg


この2000年間、
ヨーロッパを中心として
特に近世は米国を中心として
世界の文明はキリスト教がリードしてきたと言って良いだろう。

現代ではいつの間にか
私たちが着る服、住まい、食事、生活習慣、
あらゆるものが欧米化されている。

そしてその背景にあるのは
キリスト教文化である。

12月になれば、
世界中がクリスマスを祝う。

救世主イエス・キリストの偉大さを
知れば知るほど
それもうなづけるものがある。


しかし、キリスト教にも多くの限界があることは事実である。

ひとつは共産主義の問題
唯物論、無神論を主張する共産主義の思想は
キリスト教社会から出てきた。

資本主義が自己中心的な利益の追求に偏り
極端な貧富の格差にたいして
弱者への配慮が足りない時には、
嫉妬と憎しみと暴力革命を正当化する
共産主義の思想がそこに入ってくる。

これに対してキリスト教は
無力であった。

理論においても実践においても。


それから人種問題

人類は神の子であり
兄弟姉妹であると説きながら
皮膚の色が違うといって
席を同じくすることができない
という矛盾。

米国では黒人も市民権を得て
今や黒人大統領が立つまでになったが
日常生活においては
ほぼ白人の教会、黒人の教会
それぞれわかれているという現実がある。

人種間、さらに宗教間にまだまだ壁がある。


そしてもう一つ。
姦淫の問題(愛と性の問題)である。

旧約聖書には「姦淫してはならない」とあり
結婚前の性関係、
夫婦以外の性関係を厳しく戒めている(死刑だった)。

イエス・キリストの教えはそれにとどまらない。
実際に行った罪だけでなく、
異性を情欲の目で見る「思いの罪」も姦淫の罪である
と説いた。
(Wikipedia「姦淫」参考)

いま、これらが実践されていないことは
明らかである。

むしろキリスト教国家である欧米の先進国ほど
深刻である。

この教えを守れないために、
十代の妊娠、中絶、
離婚再婚の繰り返しによる家庭の崩壊など
その弊害は計りしれない。


まさに信仰の実践、
言行一致が難しいのがこの問題である。


イエス・キリストご自身は
神の子として
完全に言行一致の姿を示し
神の愛を示し
理想の人間像を示してくださった。

それでもイエス・キリストが
「再び来る」と言われたその理由は、
まだすべての問題を
解決することができていないからに他ならない。

「釈迦、イエスの悟りを越ええた」と宣言した大川隆法氏は
共産主義の問題、
人種問題、
姦淫の問題
これらに対してどういう解決案を提示しているのだろう?
理論と実践と。

これなくしてユートピア建設は不可能であると思うし
世界宗教を目指すとすれば
避けては通れない問題である。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

真の防衛力は無言の圧力

USMC.jpg

産経新聞で知った。
今日、九州西方海域で日米韓の合同演習があるそうだ。

もちろん、北朝鮮と中国の脅威に対抗するものだ。

「核武装しろ」とか大騒ぎしなくても
政府は粛々と備えているんだなと思った。

以下、元自衛隊の人から聞いた話。


自衛隊の仲間でも
「戦争したい」と思っている人はいない。

では、何のための自衛隊か?

それは
「無言の圧力」である・・・と。

「自衛隊を国軍に」とか
ことさら言う必要はない。

中国や北朝鮮の脅威に対しては、
大騒ぎせずに
しっかり着実に
軍備を整え、法を整えれば
それが無言の圧力になるんだ。

無言の圧力があれば
相手も下手な手は出せない。

無言の圧力
これが真の防衛力だ。」


そんなことを言っていて
なるほどと思った。

好戦的なポーズを取るからといって
それが圧力になるわけではない。

無駄に国内外を刺激したり、警戒されたり、
かえって妨害されることになる。

そうではなく、静かに備える。

現実問題として軍事的な脅威があるのは事実だが
それにどう対応するか
やり方はいろいろ。

知恵をもってする、
オトナの対応があるのだなと思った。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

金正雲守護霊の霊言を立ち読みしてきた

「守護霊インタビュー 金正恩の本心直撃」を書店で立ち読みしてきた。



レビューだけ見て批判したのでは失礼だと思ったから。

あとがきの部分だけ、同感するところがあった。

「中国を抜きにして北朝鮮の武装解除を」

これは正解だろう。

北朝鮮の解放のためには、
日韓米がしっかり連携して
中国に依存せずに問題解決を図ることが最大のポイントだと思う。

しかし、「金正恩の本心直撃」で語られている
本文の内容は物足りない。

どちらかというと
北朝鮮の狙いというよりも
中国の狙いと感じる内容だった。

「本音」というより「建て前」だ。

昨日書いたように、
北朝鮮にとって
「プライドの民族」「中国嫌い」という観点が抜けている。

その二つのキーワードから見えてくるものがあるのだ。

北朝鮮にとっての本当の脅威は中国。

なぜ6ヶ国協議のテーブルにつかないか?
それは中国が議長国であり中国主導だから。

なぜ核開発?
本当は中国への牽制である。


いま一番やりたいことは
経済を興すこと。
スイスで青少年期を過ごして
西側文化をよくよく知っている金正恩なのだから。

後見人的立場であった叔母の夫(穏健派)が
昨年秋以来、力を無くしている。

国内の強硬派をどのように抑えるか、
金正恩は頭が痛いところだ。

内部の体制は極めて不安定。
金正恩を支える基盤は脆弱だ。
実権を強めている軍部が暴発する可能性もある。

だから国外に対しては、強硬なポーズを取らざるをえない。
しかし、それは金正恩の本心ではない。

若い指導者は苦悩に満ちている。



せめてこんなシナリオで守護霊の霊言を収録したなら
もっと信ぴょう性があったのではないだろうか?(笑)

「建て前」のインタビュだけではなく
「本心直撃」と言ってるんだから。

それとも、本音を引き出せないインタビューワーの未熟さか?
シナリオを作成している幹部の勉強不足か?(失礼)


それにしても、
この対談本はダラダラ、ダラダラと中身のない漫談が続いて
読みにくいというか、斜め読みでも読むのが苦痛だった。

本ならまだしも、
この内容を映像をとおして、
支部で高い拝聴料を払って、長い時間イスに座って
見ないといけない信者さんのことを思うと
何だかかわいそうになった。

しかもホンモノかどうか
かなり疑わしい霊言を・・・。


信者さんには毒舌で申し訳ないが
私の率直な感想である。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

金正雲守護霊インタビューに大きな疑問



「守護霊インタビュー 金正恩の本心直撃」という書籍のプレビューが、
リバティWebにある。

これを見て大きな疑問があった。

気になった点はいくつかあるが、
今回はその一つだけをあげてみる。


「今、中国に頼まなければ何も動かないようになろうとしている」

――忠告しますが、中国との関係は、気をつけたほうがいいですよ。

金正恩守護霊 あんたら、まだ頭悪いの。ケリーも頭悪いの。なんとか中国に話し合いをさせようとして、中国が世界のリーダーになるように今、持っていこうとしているんじゃないの。それにうちも協力してるんだからさ。ちゃんとキックバックしてくるのよ。
中国に頼まなきゃ何にも動かないように今、なろうとしてんの。国連だって中国に頼む、アメリカも頼む。オバマさんは北朝鮮を爆撃して何十万、何百万の人が死んだのが自分のせいだと歴史に名を遺したくない。ノーベル平和賞をもらったんだから、とてもじゃないけど、そんなことできやしねえ。だから、中国に全部やらそうとする。で、もうすぐ中国がナンバーワンになる。そのときに中国が、うちをどういうふうに使うか考えてごらん。「よくやったね。まあ韓国ぐらいは、君んところで押さえといていいよ」と、これ当然だろう?




何が疑問なのか?

それは、北朝鮮の人間がどんなタイプなのか、
全然理解していないと思われるからだ。

韓国人を理解するために、
よく三国時代の例がとられる。

高句麗、新羅、百済の三国である。

百済は滅んで、百済の王族は
日本に亡命する。

日本人の気質に近いのが
百済系である。

高句麗人の気質はどうか?

それは頑固一徹である。
「武士は食わねど高楊枝」
を地でいく性格である。

とにかくプライドが高い。

たとえ飢え死にしたとしてもプライドは捨てない
そんな気質がある。

中国に対してはどうか?

それは韓流ドラマの高句麗建国話、
「朱蒙」をみるとよくわかる。

朝鮮人にとって中国は
2000年来の仇である。
敵である。

北朝鮮の願いはあくまでも
自主独立、自主的な南北統一であって
そこに中国が介入することを
極端に嫌う。

それが北朝鮮人の気質なのだ。

幸福の科学による「金正恩の本心直撃」では、
中国がナンバーワンになるのを助けて
北朝鮮がキックバックを受ける
そんな構図が描かれている。

ありえない!


金正恩がこんなに親中なら、
さっさと中国の属国になったらいいのであって、
そうは死んでもなりたくないから
身もだえしながら道を探しているんだ。


統一教会の文鮮明師も北出身だから
そのあたりの心理はよくわかるのだ。

幸福の科学による「守護霊インタビュー 金正恩の本心直撃」は
いわゆる国際政治専門家の分析を寄せ集めたレベルの洞察で、
とても本人の本音というレベルではないように思える。

各国各機関からも「信用性は極めて低い」とみなされていることだろう。



もう一つの疑問は、次の記事で書いています。

この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

神の御子にますイエス

私は20代の頃、キリスト教の聖歌582番「神の御子にます」が好きだった。

スコットランド民謡「アニーローリー」が元歌なので
誰でも耳にしたことがある曲だと思う。



新聖歌397番(聖歌582番)

神の御子にますイエスの為に
 罪を敵として立つは誰ぞ

  ※全てを捨てて従いまつらん
    わが全てにます王なる主イエスよ

富の楽しみと地の位に
 目もくれずイエスに付くは誰ぞ

罪にとらわれし魂をば
 イエスに連れきたる勇士は誰ぞ

わが持てる物は主よなが物
 きよきみいくさに 用い給え



この聖歌には副題として「献身」とある。

キリスト教2000年の歴史のなかで、
このような純粋な気持ちで
たくさんの人が聖職者になり
宣教師になっていったんだと思う。

特に4番の歌詞は
20代の頃の私の心に突き刺さった。

「富の楽しみも地の位に目もくれず・・・」という以前に、
そもそも
富も地位もない
能力もない
経験もない
自信もない
無力でちっぽけな自分に落胆する
そんな年代だった。

何にもない自分。
でもそのような自分でも
神と共に歩んでいくんだ。

自分の人生は自分だけのものではない。
「我が持てるものはすべて、主よ、あなたのものです。
どうかあなたのために用いて下さい」という歌詞のように
神に役立ててもらい、
神に喜ばれてこそ私の人生だ

そんふうに決心したことを思い出す。


Youtubeで素敵なサックス演奏版を見つけた。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村



タグ/

ゴキブリと罵られた15年前のこと

ブリュンヒルデさんのこの記事
それからUMAさんのこの記事を読んで
思い出したことがある。



15年前、インターネット上にはすでに
たくさんの宗教批判の掲示板があった。
(2ちゃんねるではない。)

その掲示板では
統一教会も一番のターゲットで、批判の的だった。

一度だけそこに書き込みをしたことがある。

「自分は信者だけど
統一教会は、
外から見るほどそんなに悪いところじゃないよ。
自分も教会で結婚して子どももいて
けっこう幸せに感じているけど。」

そんなふうに一度だけ書き込みをした。

そして一日ほどたって
恐る恐るその掲示板を訪れてみると・・・。

私の一つの書き込みに対して
20~30のレスポンスがあった。

「ゴキブリ!
基地外!
出て行け!」

ハナから聞く耳持たず、
徹頭徹尾、中傷罵倒の嵐。
存在自体が悪という感じ。

ああ、これが現実か
と思い知った。
ここでは一人間としてみなされないんだと。


さらにショックだったのは
ゴキブリの意味を知ったこと。

ゴキブリが意味するところは何か?

それはたしか
幸福の科学の「坂本龍馬の霊言」にも書かれていた。

陽の当たらないところで
コソコソ・・・・コソコソ・・・。

明かりをつけると
隠れる。
逃げる。
ごまかす。
嘘をつく。

どうしてもっと正々堂々と活動しないのか!?

完全に「違う!」と言えない現実があった。
耳が痛かった。
悔しかった。

あれから15年経って、
「正体隠し伝道」と批判され続けてきた統一教会も
ようやく変わりつつある。

自分自身も、
ゴリブリと言われた悔しさが忘れられなくて、
そうならないように行動しようと
自らに強く戒めてきた。

「ゴキブリ」と罵倒されたことは
目のさめるような体験だった。

いまふりかえってみれば、
懐かしい思い出であり、
おかげで
「そうなっていはいけない」と戒めることができ、
自分自身に対して卑屈にならず
生きてこれたのではないかと思っている。

今ではむしろ感謝しているくらいだ。

教会全体としては
体質が変わるのに時間がかかり過ぎたと思う。


最近では幸福の科学の信者さんが
アンチさんに対して「ゴキブリ」と言ってるようだが、
それに関しては意味不明だ。

自分たちを批判する相手だからと言って
他人に対して「ゴキブリ」と罵るような人間は
第三者からどのように見られるか、
想像がつかないのだろうか?

その姿勢に対して
品性が疑われてしまう。

まあ、「人のふり見て我がふり直せ」だ。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

永遠の命に至る水

samaria.jpg

イエス・キリスト。

神の愛を語り、
完全に言行一致で生きられたお方。

その語られた愛は
敵をも愛する愛であり、
人のために自分の生命さえも差し出すような愛であった。

その言葉の如く生き、死んでいかれた。

その姿そのものが
神の子として神の似姿であり、
理想の人間像であり、
2000年間、人類の希望であった。

心と体が完全に一つになった方。
すでに、その人となりが
神の姿である。

泉のように湧き出す言葉はまさに
神の言葉であり、
そこには2000年たっても色あせない
永遠の真実性がある。

(ヨハネによる福音書 第4章より)
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。

永遠の命に至る水、
それはまさにイエス・キリストの語る言葉であり、
神の愛と真理に目覚めた
魂の震えるような喜びである。


たとえ現世において社会的、経済的な成功を得たとして、
現代科学が築いた安楽な環境のなかで
とことん富貴と栄華を極めたとして、
果たして人間は幸福なのだろうか?

刺激的なことがあったとしても
それはじきに渇く。
さらに強い刺激を求めるようになり、
どこまでも満たされることはない。

当然ながら、
物質的な豊かさだけでなく、
精神的な喜びがあってこそ、
真に心が満たされてこそ
本当の幸福がある。

キリストから湧き出づる真理に出会い
心の底からの喜びを感じた時、
そして真実の愛を感じた時、
現世的な執着は消えていく。

富貴と栄華は幻に見える。

すべてを捨ててもかまわない、
そこまでの思いにさえなる。
そしてそこに命をかけて従って行こうとする。

そこに本当の幸福があると
直感するのだ。

そして2000年間
多くの男女が結婚もせず、
聖職者として
イエスの花嫁の立場で生涯独身を貫き
主の再臨を待ってきた。

全世界20億のクリスチャンは
イエス・キリストが言われた「私はまた来る」という予言を信じ、
今も待ち続けている。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

弱さの自覚

PaulT2.png

イエス・キリストの前に頭を垂れる時、
自らが感じる不足な気持ちは
心と体がどれだけ一つになっているか、
どれだけ愛の生き方ができているかである。

言葉でどんなに素晴らしいことを語り、
愛を語ったとしても
実際にそのように生きているのか?

それは身近で生活している人が、一番良く知っている。
特に妻とか子どもとか。
だから、妻から尊敬されている人というのは、
尊敬に値すると思う。


キリスト教を世界宗教にした一番の立役者、
聖パウロでさえもこのように告白している。

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ロマ七・22~24)

言行一致していないからと、
大川隆法氏や幸福の科学を責めるわけではない。

それが人間の偽らざる姿であり、人間の組織なのだ。

ただ、その葛藤を克服せずして真の幸福に至れることはないし、
救世主を名乗ることもできないだろう。

文鮮明師は自叙伝でこう語っておられる。青年時代の回顧だ。

 「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」--------これは、その頃の私の座右の銘です。先に身心を鍛錬してこそ、次には国を救い、世の中を救う力を持てる、という意味です。私は、食欲はもちろん、一切の感性と欲望に振り回されないで、体と心を自分の意志どうりにコントロールできるところまで、祈りと瞑想、運動と修練によって自分を鍛錬しました。
 そこで、ご飯を食べる時も「ご飯よ、私が取り組む仕事の肥やしになってほしい」と念じて食べ、そういう心がけでボクシングもし、サッカーもし、護身術も習いました。



まずは、自分の弱さを素直に認めるところから
始まるのかもしれない。
聖パウロが自らの弱さを、
キリストによってむしろ強さに変えたように。

「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリント第二の手紙 12.9~10)


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

宗教の腐敗と堕落

LightAssisi4.jpg

中世のキリスト教会は、
その絶大な権力のためにやがて腐敗していった。

一番有名なのは免罪符を売りつけて教会の維持費に充てたことだろう。
サイモニー(僧職売買罪)と言って、金を使って僧職者や司祭の肩書を得ることがあり、
また信者の献金で自分専用の豪華な家を建てたり私腹を肥やしていたり、豪華な教会の建物を建てたり。
聖職者は原則として結婚を禁じられていたため、女性信者とのスキャンダルも多かったようだ。
また、誠実に聖書を研究し、実践しようとする者に対して異端審問したことも少なくなかった。

どの組織もそうであろうが
権力が安定して緊張感がなくなったとき
腐敗が始まる。
川の流れがなければ、湖や沼が腐ってしまうように。


中世に現れたアッシジのフランチェスコ等はイエス・キリストの原点に帰るように訴えた。



マタイによる福音書第6章の有名な一節。

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

(中略)

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」


もちろん、現代人がこのような生き方をすることは不可能であろう。
経済社会を否定して生きることはできない。

しかし、せめて心意気だけでも、こんな精神を持っていなければ
物質文明のなかに間違いなく押し流されてしまう。

心が体を治めるのでなく
体の欲望に心が負けてしまう。

腐敗堕落するばかりだ。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

現世利益と聖なるもの

024-2.jpg

心が体を治めるということ。

衣食住性の価値を求める肉体の思い以上に
真美善愛の価値を求める精神の思いを先立てること。

これなくしてこの世的成功や現世利益を説くと、
人は限りなく物質的、肉欲的に流れ
世俗的になるのではないかと思う。

そこには真・美・善や
聖なる雰囲気は感じられなくなる。

幸福の科学の祈願項目を聞くと
驚いてしまう。

引用はこのサイトより


幸福家庭祈願、良縁祈願、病気平癒祈願、経済繁栄、成功祈願、悪霊撃退祈願、長寿祈願、エル・カンターレへの祈り、支部発展のための祈り、伝道参加のための祈り、来世成仏祈願、夫婦和合のための祈り、天変地異調伏祈願、悪霊調伏祈願 、無病息災祈願、未熟な者のための祈り、神経を伸ばすための祈り
決断のための祈り、結婚祈願、出世祈願、経営のための祈り、受験必勝への祈り、強力・病気平癒祈願、愛念供養祈願 、過去清算の秘法・特別灌頂、未来への祈り、知性開発祈願、悪霊成仏祈願、限界突破祈願、経済的成功のための祈り 、就職祈願、健康回復祈願、疲労回復のための祈り、ストレス解消のための祈り、家庭調和祈願、三角関係解消のための祈り、非行防止祈願、いじめ克服のための祈り、転職祈願、交通安全祈願、再婚祈願、不況撃退祈願 、地獄に堕ちないための祈り、事業繁栄祈願、遠隔地の家族のための祈り、学力増進祈願、エネルギー復活祈願 、恋愛成功祈願、仏道成就祈願、ぼけ封じ祈願、熟睡祈願 、受験必勝祈願、不倫防止祈願、幸福繁栄祈願、風邪撃退祈願、子孫繁栄お百度参り祈願、事業再建祈願、大勝利祈願 、学道成就祈願、転生幸福祈願、収入倍増祈願、最高発展祈願、仏説・起死回生祈願、来世成仏お百度参り祈願

・・・・等々 一回10万円 だそうだ。文集の写真には、英会話ベラベラ祈願、感染症予防祈願、勇気倍増祈願、わが社株高騰祈願まであった。それぞれに専用の祈願袋が容易さている。


ほとんどが世俗的な利益を求める祈願だ。



伝統的な仏教寺院や
キリスト教の聖堂にでも行ってみれば
どれだけ荘厳で聖なる雰囲気に満ちているだろうか?

このような文化が築かれたのは
千年以上も受け継がれて
俗なるものを断ち、聖なるものを求めてきた宗教人たちの
涙ぐましい修行生活があればこそだ。

自らをイエスの配偶者の立場に置いて
生涯独身を貫いてきたカトリックの聖職者とか。


今、科学万能時代になり
先進的な物があふれ豊かになった時代においては
宗教者たちは相当の試練を受けていると思う。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村

タグ/

宗教人の苦悩

shaka3.jpg

幸福を願う人間の本性は、
科学によって外的な真理を探求し、
物質的な豊かさを求めてきた。

具体的には衣食住の充実である。

もう一方では、宗教によって内的な真理を探求し、精神的な豊かさを求めてきた。

これは真・美・善の価値として表れる。

物質的な豊かさと精神的な豊かさ、
この両方があって真の幸福を得ることができる。

幸福の科学でいうところの「この世とあの世を貫く幸福」も
まさに内外の豊かさを説いたものだと思うが、
このバランスがなかなか難しい。

精神的な刺激に対して
物質的な刺激のほうが
あまりに直接的で強いために
人は安楽な環境を求め
物質的、肉欲的に流されやすいのだ。

特に愛と性の問題においてもそうだ。
精神は愛を求め、
肉体は性を求める。

心が体を治めることができるか?
それとも、体が心を支配してしまうのか?

幸福の科学では、このことに対して
どのように説かれているのだろうか?

あるいは大川隆法氏は
どのように克服したのだろうか?

いや、説くことはできても
克服はできていないかな?



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

主と同じ時代に生きている奇蹟



幸福の科学信者さんの口からよく聞く言葉
「主と同じ時代に生きていることが奇蹟なんだ」という話。

この話、実は私もよくわかる。
統一教会でも似たようなことを言うから。

どこも同じなんだな(笑)

いま私たちが年号を数えている西暦は
イエス・キリストの誕生が起源になっている。

キリスト以前がBC、
キリスト以後がAD。

BCはBefore Christ、
ADはラテン語でキリスト紀元という意味だ。

救世主の存在は歴史に決定的な影響を与えるということが
これだけでもわかる。



人類歴史は、キリストが生まれるまでは
「主よ、来たりませ」と未来を待ち望みながら進む。

いったんキリストが誕生すれば、
その後の歴史は
「主が生きておられるときはこうだった」と何百年、何千年たっても
その時代を振り返りながら進む。

この2000年の歴史も、
中東の一角でイエス・キリストが生きておられた
その時代を慕いながら、進んできたというのだ。


だから、「主と同じ時代に生きている」というのは
その時代に生きている人の言行が永遠に語り継がれる、
つまり歴史から評価(あるいは審判)されるということだ。

文鮮明師は、生涯3時間睡眠で苦労ばかりの人生だったが、
「歴史上の偉人義人の誰よりも苦労しなければ
霊界に行った時彼らと合わす顔がない」と語られていた。

それだけ大変なことなのだ。


この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

善霊と悪霊の業をどのように見極めるか

幸福の科学ブログ村を見ると
ランキング上位にあった
いくつかの信者さんブログが消えている。

私もいちいちは見ていないので
詳細は知らないが
ブロガー同士で激しい応酬があったようだ。

「分裂と闘争に導き、
無駄に時間を奪い、心情を奪い、
そしてやる気を無くさせるのは悪霊の業だよ」
と先輩から教えてもらった言葉を思い出した。

ブログ村の現象も
霊的な業か?

各自にとって、
切磋琢磨し、お互いに成長できる
そんなブログ村であればと思う。

それは誰がどうとかではなく
各自の心の持ち方ではないだろうか。



宗教者は、
霊的な現象を無条件にありがたがる傾向があるが
その現象は善霊のものか悪霊のものか
はっきり見極めることが必要だ。

悪霊の業と善霊の業を
どのようにして見極めるか?

一見どちらが善でどちらが悪かは
極めて判断しにくい。

明確な結果として表れるのは
ある一定時間が経過したあとである。

善霊の業は、時間がたつにつれて
平和感、正義感が増してきて
健康をも向上させる。

悪霊の業は、不安と恐怖を増進し
健康をも害するようになる。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

信者のメロンくまさんと「幸福の観測所」のUMAさんのやり取り


幸福の科学ブログ村を見ていて
「幸福の観測所」のUMAさんとメロンくまさんとのやり取りが興味深い。

(今改めて見てみると、メロンくまさんのブログは消滅?)

教義がコロコロ変わる疑問、
教えが実践されていない言行不一致への疑問に対して。

メロンくまさんは、
「仏法僧の三宝につけ」というのは 仏>法>僧 である
 だから 仏が生きておられる間は法も進化していくのだ
と主張する。

つまり教義が変わっても問題ではないし、言行不一致でも問題ないということだ。

これにたいして、UMAさんは
「人につかず法につけ」という高橋信次氏の言葉を引用しつつ、
「井の中の蛙」として反論している。
その論理は、井のなかでは通用するかもしれないが、外界ではまったく通用しないと。

たしかに、教団外では、「教義が変わる」「言行不一致」
これは「不信」の材料にしかならない。


これにたいして、メロンくまさんは
記事の内容そのものに反論できない。
一つ一つの論点について反論すれば良いものを、
UMA氏への個人攻撃へと変わる。

UMA氏のそもそもの動機がどうとか。

第3者的に見れば、「問題のすり替え」にしか見えない。
負け犬の遠吠え(?)状態。

きょう子元夫人や種村氏に対する
大川隆法氏の個人攻撃を彷彿とさせる。

「科学」的であれば、理詰めで反論できるだろうに
全然科学的ではないということなのだなあ・・・。



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

共産主義国家は7代目で滅びる?

先日、「共産主義国家は70年を越えられない」という話を紹介した。

これは1960年代の文鮮明師の予言だが、
「共産主義は7数を越えられない」というのが文鮮明師の持論であった。

ソ連は1922年に世界初の社会主義国として成立し
1991年に解体消滅した。

そしてソ連の歴代、最高指導者を見ると
1922年 - 1924年ウラジーミル・レーニン
1924年 - 1953年ヨシフ・スターリン
1953年 - 1964年ニキータ・フルシチョフ
1964年 - 1982年レオニード・ブレジネフ
1982年 - 1984年ユーリ・アンドロポフ
1984年 - 1985年コンスタンティン・チェルネンコ
1985年 - 1991年ミハイル・ゴルバチョフ

ゴルバチョフが7人目であった。


続いて中国共産党の最高指導者を見てみる。

中央委員会主席

* 初代:毛沢東(1945年6月19日 - 1976年9月9日)
* 第2代:華国鋒(1976年10月7日 - 1981年6月29日)
* 第3代:胡耀邦(1981年6月29日 - 1982年9月12日)

中国共産党中央委員会総書記 [編集]

* 初代:胡耀邦(1982年9月12日 - 1987年1月16日)
* 代行:趙紫陽(1987年1月16日 - 1987年11月2日)
* 第2代:趙紫陽(1987年11月2日 - 1989年6月23日)
* 第3代:江沢民(1989年6月24日 - 2002年11月15日)
* 第4代:胡錦濤(2002年11月15日 - 2012年11月15日)
* 第5代:習近平(2012年11月15日 - )

(wikipedia参照)

習近平が7人目である。

1949年に建国された今の中国は
70年後の2019年を越えられないだろうと予測される。

北朝鮮は1948年の建国である。
70年後は2018年。

ここ数年で極東アジア情勢は大きく変化するだろう。

願いは
同じ自由と民主主義の価値観を持つ日本、韓国、米国の連携。
そして平和的な南北統一、
中国の民主化だ。

そこからアジア共同体の可能性が出てくる。

しかしそれは政治の力だけでは難しい。
国益を越えた発想ができなければ
国境、民族、人種の壁、
さらに宗教の壁を越えることができないからだ。

国を超え、宗教をも超えた思想と実践がなければ
不可能だと思う。

日韓トンネル構想も、
経済効果のみならず真の目的はそこなのだ。

Japan-Korea_tunne2l.png



この記事がよかったら1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村
タグ/

最新記事

カテゴリ

未分類 (0)
救世主の生き様 (18)
ブログ (135)
宗教と科学 (32)
目指すもの (41)
幸福の科学のこと (282)

おすすめ書籍

92年生涯の真実。ブックオフに行けば108円で購入できます。勇気を出して(笑)ぜひ一読してみてください。百聞は一見にしかずですよ。

月別アーカイブ

FC2カウンター

最新コメント

プロフィール

自由人

Author:自由人
FC2ブログへようこそ!

リンク

RSSリンクの表示

QRコード

QR