2013年04月 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

言行不一致の原因は?

reijintai.jpg

言行不一致の理由、それは幸福の科学が思想的に
「唯心論」に近いことが原因ではないかと思う。

「唯心論」を英語に訳すとスピリチュアリズム。
(厳密にはイコールではないけれど)

Wikipediaでは、唯心論についてこうある。

唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)とは、人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。

また、Spiritualismの和訳として用いられる心霊主義については、こうある。

心霊主義(しんれいしゅぎ)は、英: spiritualism(スピリチュアリズム)の翻訳語で、生命の死後存続、霊魂の科学的証拠に基づく思想および人生哲学である。

まさに幸福の科学の立場が
この心霊主義であろう。

心の優位性、永遠の生命ということについて
私も異論はない。
ただ、唯心論や心霊主義には、不十分なところがある。
それは肉体をもって生きていることへのより深い意味だ。

心の力を強調するあまりに
教えの生活実践化、
これを軽視する傾向はないであろうか?
そのために言行不一致となってしまうことはないだろうか?

心と体はお互いにどう関わっているのか
さらに深い考察が必要なのではないかと思う。

<心→体>
心の感動は、体に良い影響を与える。(上図では生霊要素
信仰によって癌が治った等の現象もありうる。
「思考は現実化する」
「人は思った通りの人になる」これは事実である。
「心の力が未来をつくる」これもたしかにそうだと思う。

<体→心>
その一方で、体が心に与える影響もある。(上図で生力要素
体を使って善行をした時、
つまり、頭で考えただけでなく、
言葉で言っただけでなく
自分自身の行動をもって、善なる行いをした時
心がうれしくなる、心が暖かくなる
そんな現象がある。

このときに魂は清められ成長しているのだ。
この体を使っての善行が、心に栄養を与えるという行動になる。

だから人間にとって、3次元の体をもって生きているのは
「不自由ななかでの魂修行」という意味だけではない。
また単なる「魂の乗り物」でもない。

むしろ、肉身の善なる行いによって魂が成長する。
肉身がなければ、魂への栄養素が行かないから
魂の成長もない・・・ということになる。

肉体生活を軽んじることはできない。

幸福の科学には、
心の教えを強調するあまり、
高い悟りを得ること、
心の教えを説くことをもって良しとする傾向が
あるのではないか?

体でもって実践、行動することを
軽視する傾向があるのではないか?
と感じるのだ。


愛するということは
心で思うだけのものではなく
言葉として与えるだけのものでもなく
行いとしてなすものである。

イエス・キリストがなぜ死後二千年たっても
世界20億人類から救世主として崇められ
尊敬を受けているのか?

それは彼の言葉のみによるものではない、
真実の愛の思いで、言葉と行動が完全に一致した
その完全な言行一致の姿に、人は感動し尊敬するのだ。

そしてイエス・キリストは
「天の父が完全であられるように
あなたがたも完全なものとなれ」と教えられた。

これは私たちに
イエス・キリストのような人格者、
愛の心を中心として言葉と行動が一致した
そんな人を目指しなさい、という教えだと思う。

10はできなくても
1が2になるように、2が3になるように努力する
そういう指標を与えてくれる。


心の教えは、日常の生活や宗教活動のなかで実践されなければ
大川隆法氏も20世紀後半に登場した単なる一人の作家、思想家として
歴史に記録されるだけではないだろうか?

誰かのブログにも書かれていたが、
愛の実践者としての人格的なエピソードが
あまりにも少ないように感じる。



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パレートの法則、植福も?

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幸福の科学『人生の王道を語る』の書籍で、
「永遠の今を生きる」に「パレートの法則」が紹介されていた。

すべてのものは80対20の比率で分割でき、重要な20パーセントの部分を制すると、全体の80パーセントを押さえることができる

という法則。

100パーセントを達成するのに10時間かかる仕事があるとして、それを「80パーセントの達成度でよし」とすれば、かかる時間を2時間に詰めることができる。残りの部分については、他の人に任せていけばよい。

ということで、時間を何倍も有効に使うことができるのだ。

そんな解説だった。

パレートの法則はいろんな応用ができる。

例えば、会社内で100の営業目標が必要だとして
それを10人で分担するとすれば、
10人が10ずつ担当することをめざして始めるのだが、
結果としてみれば
10人中2人で80をやり、
残りの8人で20をやった。

ふりかえってみればそんな結果になっていることが多い。


これは教団内で、
伝道目標や植福の目標にたいしても
似たような結果が出ているのではないだろうか?

恐るべきパレートの法則(笑)


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観念的信仰の限界

幸福の科学に対する批判で一番多いのは
「言行不一致」ということであろう。

言うことは立派でも
やってることは全然違うじゃないか!と。

じつは、これは他人ごとではない。
統一教会に対する批判も似たところがある。

だから私も幸福の科学を批判しつつ、
そうではなく
自分自身を戒めているという要素も多い。

なぜ、言行不一致ということが起こるのか?
なぜ心と体がひとつにならないのか?

統一原理を解説した原理講論の序文には、以下の様な記述がある。
「この新しい真理が、人類の罪悪史を清算した新しい時代において建設するはずの新世界は、罪を犯そうとしても犯すことのできない世界となるのである。今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである。神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。」

「信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかった」がゆえに、
頭でわかっていながら、行動としては罪を犯してしまう・・・というわけだ。

神の言葉を聞いて感動を受けたとしても
それで終わっては、人格には変化を及ぼさない。
何にも変わらない昔ながらの自分自身を発見するだけだ。

神の言葉を聞いて感動を受けた内容を、心と体で実践しなければならない。
何度も何度も。
そしてその実践が生活の中でよき習慣となり
自然な姿として人格化されたときに、
神が共におられることを実感として感じることができるのだ。


人はいくら立派な話を聞こうが、それだけでは心を動かされない。
実際に語ったことを誠実に実行しているその姿、
もっと端的に言えば、
信者ひとりひとりが本当に幸福になっているのか
その姿を見て感化を受けるのである。

あまりにも当たり前のことであるが
心していきたい。



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ランチェスターの法則から見た選挙に勝つ方法



ランチェスターの法則に基づいて考えると
いろんなことが見えてくる。

戦略と戦術の違いとか、
適正な戦略が何かとか。

なかなかすごい法則だと思う。

幸福の科学元秘書長のアイマイミーさんが、「アンチHS」のブログで
詳しく書かれていたことがあった。

オーケーさんのブログ、記事保管庫から読める。

http://blog.livedoor.jp/oklucky/archives/18585955.html

ランチェスターの法則について、実体験に基づき書かれていて
強者の戦略が何であり、弱者の戦略が何であるかよくわかる名文である。

選挙に勝つ方法とか、
書籍をベストセラーにする方法とか、
ランチェスターの法則をもとに分析、解説されている。



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強者の戦略と弱者の戦略

先回、ランチェスターの法則について触れた。

  

Wikipediaを参照すると、

ランチェスターの法則(ランチェスターのほうそく、英:Lanchester's laws)とは1914年にフレデリック・ランチェスターによって発表されたオペレーションズ・リサーチにおける戦闘の数理モデルである。

とある。

ランチェスターの法則とは、元々は戦争の理論である。

戦争の理論といえば、2500年前、中国春秋戦国時代に書かれたとされる「孫子の兵法」が有名である。
戦略のバイブルとも言われるが、思想・哲学的な要素が強い。

それに対して、戦争をはじめて定量的、統計的、数学的に取り扱ったのが、ランチェスターの法則であり、「戦争の科学」とも言える。

それが現代では、戦争のための理論ではなく、企業間の販売競争に勝ち残るための理論として用いられるようになった。

幸福の科学から「経営入門」が出版された時に聞いた話だが、当初はそのなかに「ランチェスターの法則」を入れたいという意向もあったようだ。日本で有名な「ランチェスター経営」の竹田社長に、その部分の執筆を依頼したが断られた・・・という噂を聞いた。

ランチェスターの法則から導き出される戦略に
「強者の戦略」と「弱者の戦略」がある。
ここでいう「強者」は業界ナンバーワンを言う。2位以下は全部「弱者」とみる。

「強者」と「弱者」では、戦略の立て方がまったく違い、これを誤ると競争に勝つことはほぼ不可能となるのだ。


たとえば、「強者」は物量戦で戦う総合主義。
これを「弱者」がやってはいけない。
「弱者」は一点集中主義なのだ。

「強者」が広域戦をするのに対して、
「弱者」は局地戦で戦う。

「弱者」はエリアとか、商品とか、顧客を設定し、
そこに一点集中して、狭い分野のなかでナンバーワンのポジションをとる。

これがランチェスター法則を用いた戦略だ。

だから、昨日の記事で書いたこと、幸福の科学学園のチアダンス部が全国優勝・・・と聞いて、
やるなあ・・・と関心したのだ。

学園関係者のご苦労がしのばれる。

それにひきかえ・・・と言っては何だが、
有力新聞に大々的に宣伝広告を出す。
これは完全に「強者の戦略」だ。

幸福の科学はナンバーワンのポジションを取っているのだろうか?
しかも全国エリアで。

もしそこのところを勘違いしているとすれば
湯水のごとく使われる膨大な宣伝広告費は、
思った通りの成果を上げることができずに
ほとんど無駄金になってしまうだろう。



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ランチェスターの法則 弱者の戦略

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幸福の科学支部の前を通りかかったら、
「チアダンス部部全国優勝」みたいなポスターが目に入った。

改めて幸福の科学って宣伝がうまいな〜と感心する。

チアダンス部って、
そもそも、そんな大会なんてあるの?
全国大会だけでなく、世界大会も?
とおどろく。

どんなにニッチな分野でもいいから
ナンバーワンになる部門を持つ、
そこからブランド化がはじまる。

まさに「ランチェスターの法則」弱者の戦略だ。

たいしたものだと率直に思う。
もちろん指導に当たった先生、そして生徒たちの努力の賜物だろう。


統一教会も少しは見習わなければ。



この記事は、次回
「強者の戦略と弱者の戦略」に続きます。

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それでも地球は動く

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「それでも地球は動く」

地動説を唱えたガリレオが
異端審問(宗教裁判)においてつぶやいたとされる言葉だ。

当時のカトリック教会は
天動説を公認の世界観としており、
それに反する説を唱えるガリレオは
宗教裁判にかけられ有罪判決を受けた。

「それでも地球は動く」という言葉には
経験なクリスチャンでありながらも
科学的に真理だと確信したことに対しては
覆すことができないという
ガリレオの信条が表されている。

このエピソードの真偽は別として、
宗教が科学の発展を阻害した例として
学生時代、この話をよく聞かされたものだ。

宗教的信条と異なっても
真理に対しては謙虚な姿勢で受け止めるのが
科学的な姿勢であると学んだ。

宗教は非科学的なもの、
迷信や思い込みに近いもの
そんな印象を受けた。

現代人に宗教的真理を理解し受け入れてもらうためには
ただ無条件に信じなさいというのではなく、
科学的、理性的にも納得できるカタチで
真理を伝えなければならないだろう。



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幻のサイト「日本の心を美しくする会」

これを知っている人はかなり少ないんじゃないかと思うが、
1997年ごろ、幸福の科学信者数名で運営する
「日本の心を美しくする会」というサイトがあった。

まだインターネットも珍しい時代だ。

当時20〜30代の男性が中心だったように思う。

定期的にコラムが書かれ、
なかなかおもしろかった。

掲示板もあって、信者さん同士でけっこう盛り上がっていた。
私も参入し、みんなからは信者さんだと勘違いされていた(笑)

運営者の一人があるとき
「もののけ姫」に関するコラムを書いた。

彼は宮崎駿のアニメの大ファンだった。

「もののけ姫」が公開されてすぐに劇場に見に行ったらしく、
そのアニメの素晴らしさをこれでもかというように
ホームページに書いていた。

しかし数日もたたないうちに
「もののけ姫」に関するホームページのコラムを
削除してしまった。

不思議に思ったが、まもなく理由がわかった。

大川隆法氏が「もののけ姫」は「裏だ」と
語ったからだ。

何だかな〜、教祖がこれは良くないと語ったら
好きな映画も好きだと言えなくなるのか?

と、非常に違和感を感じたのを覚えている。

映画の良い悪い、好き嫌い、
それは好みの問題であって、
教祖の言葉に左右される必要はない、
堂々と自分の意見・感想を言ったらいいじゃないかと思った。

彼は記事を削除しながら
とても恥ずかしそうだった。
「裏のアニメを好む自分は、まだまだ未熟者なんだ」
みたいな。

それから、何年かたってそのサイトは自然消滅した。

どうも大川隆法氏自身が当時、
「宗教とインターネットは合わない。
伝道は一対一が基本だ」みたいなことを語ったらしい。


「日本の心を美しくする会」には
良心的な若者が集まっていた。
・・・懐かしい彼らは、今頃どうしているだろうか?


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共産主義は70年を越えられない

幸福の科学信者さんのブログ「救国と愛国のコウのブログ」で
興味深いタイトルを目にした。
「2019年は中国は崩壊する」

素晴らしい記事があります。
『新しい日本』というブログの記事の転載です。
私も、このように思います。


ということで、あるブログ記事の紹介をされていた。

「神様がおられ、その原理は誰にも変えられない」
「共産主義は悪魔の思想」
「共産主義は70年を越えられない」
「日米韓の一体」
「太平洋島嶼国家の連合」
「緊急事態基本法」
「スパイ防止法」

あの・・・これって
統一教会の主張そのままなんだけど。

統一教会信者ならたぶん
誰が見ても一発でわかる。

嘘だと思ったら
「共産主義は70年を越えられない」と
Googleで検索してみて。

文鮮明師の言葉だとあちこちに書かれているから。
語られたのは幸福の科学ができるずっと前のことだ。


だからといって救国と愛国のコウさん、
「素晴らしい記事」
「このとおりだと思う」という言葉は
まさか否定しないよね?

(意地悪じゃないよ。)

宗教的信条にかからわず
正しいことは正しいと主張する勇気は
大切だと思う。

安全保障に関しては
考えが近い・・・ということだと解釈する。

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兄弟ケンカは親が治める

「兄弟ケンカは親が治める。」

これは30年前、教会の先輩に
「民主と共産の戦い、
米国とソ連の戦いはどうやって解決するんですか?」
と聞いたときの答えだった。

神様の目からみたら一つの国も
一人の人間に見える。

国と国の争いは、兄と弟の争いに見える。
兄弟ケンカに見えるだけだというのだ。

それで、兄弟ケンカは親が治める
というわけだ。

親イコール神様、
つまり神様のような
親の「愛の心」と「真理からくる智恵」があってはじめて
和解させることができるのだと。

争う自分たち兄弟を見て悲しむ親の気持ちが
本当にわかったならば
それ以上争うことはできない。

なぜ人と人が争うか?
国と国が争うか?
それは神と人間との親子の関係が
切れてしまった結果と言える。

個人、家庭から国家、世界の問題にいたるまで
同様だ。

幸福の科学ブログ村でも
信者さんどうしの争いが絶えないようだ。

どちらが正しいとか間違いとかではなく
誰か親のような心で見つめる人がいなければいつまでも平行線だろう。

悲しむのは主なり。


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女性は理性ではなく、感情で動く

けい子の『夢は夜ひらく』というブログがある。

「インスピレーションが降りてきました」ということで
面白いことが書いてあった。


「あるアンチさんのブログを読んでいると、インスピレーションが降りてきました

それはなぜ女性が、幸福の科学の信者を続けるのか?

女性は理性ではなく、感情で動く

だから男性が理性で、大川さんはおかしいと考えていても、女性にとってはそんなことはどうでもいい

「大川総裁が好き」の感情があって離れられないのだ、ということでした」



たしかに、
男性が幸福の科学を批判するときは
知的に、
あれはおかしい、これはどうなの?と
理詰めで批判する。

しかし、
女性は知でなく情で判断する。

「好きか嫌いか」

理屈ではない、情なのだ。


これは確かにそうかもしれない・・・、鋭い指摘
と思ってしまった。

詳しくはけい子さんのブログを。





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ブログ村カテゴリーについて

少し前に、「なぜブログ村の幸福の科学カテゴリーなのか?
統一教会のカテゴリーには入る気はないのか?」
というような質問をいただいた。

ひとことで言うと
内輪だけで通用する者ではありたくない
というのが理由である。

同じ信仰の仲間とともに、
同じ仲間のなかで通用するような話をして
盛り上がるのは簡単。

(それはそれで意義があると思う。)

しかし、
仲間の集まりから離れた場所で
自分の考え、意見を発信するのは簡単ではない。

たくさんの人の批判の目にさらされるから。

「何馬鹿なこと言ってるんだ」と、
読む人が100人いたとしても
共感してくれるのは
1人もいないかもしれない。

だからこそ、あえて仲間から離れて発信したい。

統一教会の信者でもなくアンチでもない
そんな人たちに向けて発信したかったのだ。

そのためには、
自分自身の考えも練られていなければならないし、
生半可な受け売りではなく
自分の言葉で表現しなければならない。

前に、「漏尽通力」という記事で書いたことがある。

相手と自分の違いがわかること、そしてその違いを埋めるべく、わかりやすく解き明かすことの出来る能力、これも「漏尽通力」である。

幸福の科学のこの教えは、とてもためになった。

ひとりよがりや自己満足、独善的にならないように
気をつけたい。

ブログは、自分にとって
日々成長できる良き場だと思う。

(ブログというのは「ブログ村」のことではなく、「ブログそのもの」のこと。)




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武力戦か思想戦か?

「北朝鮮に対して
対話で解決なんてどだい無理、
武力でさっさと制圧してしまえ」

という論調がある。

半分正しく、半分間違いだと思う。

中国や北朝鮮が
まったく思想体系の違う共産主義国家であり
ならず者国家、
ヤクザのような国であり、
対話が成り立たないというのは事実だろう。

しかし、かと言って
武力でさっさと制圧・・・というのは
短絡すぎる。

それではあまりにも智恵が無さすぎである。


統一原理には、以下のように書かれている。
(書かれたのは1960年代)


(第3次大戦は必然的に起こる
それは民主と共産の戦い・・・という記述の後で、)
その戦いには二つの道がある。
第一は、武器でサタンを屈伏させることであり、
第二は、理念による内的な戦いである。

この中で、いずれの道を選ぶかは、
人間の責任分担の遂行いかんによって
決定されるのである。



どこまでも理念による戦い、思想戦で終わってほしいのが
神の願いであり、人の願いもそうだろう。

だからギリギリまでその道を模索するのが正道である。

もちろん、対話のテーブルに着かせるためには
力も必要だし、知恵も必要だ。

こちらに圧倒的な強さがあれば
相手も強くは出れない。

また、日本一国でできることではない。

自由、民主主義という、共通の価値観をもつ国々が連携し
包囲網を築くことも
北朝鮮、中国の解放をうながすうえでは重要である。

米ソの冷戦が、武力衝突を免れ
ソ連の崩壊で終わったように、
ベルリンの壁が、血を流さずに壊れたように、
武力による戦争ではなく、
中国、北朝鮮も、
理念による戦争、つまり思想戦、智恵の戦いによって
内部から共産政権が崩壊し民主化される道があるのではないか
と思う。





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やっぱり!金正恩守護霊の霊言

やはりというか・・・、金正恩守護霊の霊言が収録されたようだ。

信者さんブログから引用させていただく。


「金正恩の本心直撃!」

今、緊迫状態の北朝鮮ミサイル問題。
世界中が、のどから手が出るほど欲しい情報がここにある!

◆北朝鮮はミサイルを本当に撃つのか! 撃たないのか!?
・金正恩が考える、北朝鮮のミサイル戦略のねらいとは何か。今後の北朝鮮の長期戦略が語られる。

◆金正恩は、日、米、韓、中をどう見ているのか?
・金正恩は、安倍総理、アメリカ・オバマ大統領、ケリー国務長官、韓国
・朴大統領など、各国の指導者をどう見ているのか。また、中国に対してどう考えているのか。
・金正恩が見抜く、日本やアメリカの弱点とは―? 日本が今後備えるべきこととは何かが分かります。

◆ボストンマラソン爆発事件の真相とは?
・4月15日、アメリカ合衆国のボストンマラソンで起きた爆発事件は、北朝鮮と関係があったのか?

◆全ての日本人よ、目覚めよ!立党当初より正論を訴えてきた幸福実現党
・2009年の幸福実現党立党から4年が経過。
その間、北朝鮮ミサイルの危険性について、日本全国に警鐘を鳴らし続けてきました。
しかし、いまだ世論はついてこず、北朝鮮に軍事拡張の時間を与えてしまいました。
・世界の平和を守るため、真の正義と正論を訴え続けている幸福実現党を政界へ送り込むことの大切さが分かり、支持者獲得、伝道への意欲が湧いてきます。

≪こんな方におすすめ≫
○すべての日本人。日本と世界の真の平和を願うあなた。
○政治家、マスコミ関係者、外務省・防衛省・自衛隊関係者、在日韓国人、米軍関係者等。

☆☆☆☆☆☆☆☆
幸福の科学グループ 創始者兼総裁 大川隆法先生
『金正恩の本心直撃!』
(97分)
☆☆☆☆☆☆☆☆

【開示日】
4月18日(木)

【開催場所】
全国の支部・拠点・精舎


「世界中が、のどから手が出るほど欲しい情報」?

もしそれが当人たちとの直接インタビューであれば
たしかにのどから出が出るほどほしい情報であろう。

しかしそうではなく、あくまでも守護霊の霊言である。

いったいそこに、どれだけの信ぴょう性があるのだろう?

守護霊の霊言が本物だと、どれだけの人が信じているのだろう?

自作自演ではない、創作ではないと、信者さんではない一般人にどうやって証明できるのだろう?

政治家、マスコミ関係者、外務省・防衛省・自衛隊関係者、在日韓国人、米軍関係者等
これらの人たちが本当に信じると思っているのだろうか?

あいも変わらず、守護霊の霊言というこんなスタイルを
取り続けているということは
大川隆法氏は、この方法が有効だと判断しているのだろう。


宇宙人の霊言、
ダークサイド・ムーンの透視、
ドラキュラ(のモデルになった人物)の霊言、
などなど。

そこに金正日の守護霊の霊言
と続いてもね~。

もうこの時点で
霊言の信ぴょう性は限りなくゼロに近づいている
と思うのだが・・・。

信者さんが、いくら本物だと力説しても
それが問題ではない。

外から見てそれが本当に「ホンモノ」だと
認められるような、説得力があるものなのかという話だ。

内輪向けなら何でもあり・・・だろうが、
そうでもないし。

霊言というスタイルを取れば取るほど
幸福の科学は一般人の嘲笑の的となり、
「自滅」に向かっているのではないかと思えてならない。




今回は、先回の記事、「北朝鮮のミサイルに関して動きが」に続くものです。



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北朝鮮のミサイルに関して動きが!

幸福の科学ブログ村の新着情報を見ていると
面白い現象がある。

リバティWebや幸福実現党サイトで
時事問題の記事が出ると
右にならえでいっせいに同じタイトルのブログ記事が並ぶ。

「北朝鮮がミサイル発射準備にかかった」といえば
いっせいに
「北朝鮮がミサイルを」
「北朝鮮がミサイルを」
というタイトルが並ぶのだ。


情報ソースが一つだと
考え方や判断がみな同じになる。

複数の情報をとって確認するということは
ないのだろうか?

そもそもリバティWebの記事自体が
一面的のように感じる。

どれほどの情報ソースを
持っているのだろうか?

世界中に巡らされているというヘルメス・ウイングの
情報網はどうなっているのか?(笑)

結局は北朝鮮の大本営発表に
踊らされているだけではないのか?

私は韓国に住んでいる統一教会の信者から
生の情報が入ってくる。

1万人近くの日本人信者が
韓国に住んでいる。

世界中のあらゆる国に日本人信者が住んでいる。

メールでやり取りしたり
たまにスカイプでテレビ電話したり。

たとえば今の韓国内の状況はこんな感じ。

「先週から北朝鮮の挑発行動が続いており、韓国では北朝鮮に対して軍事警戒は行っていますが、市民の現在の生活に大きな危険や変化はありません。

韓国政府からも日常生活に支障を与えるほどの警戒レベルではないと伝達を受けており、日常と変わらない生活を行っております。

現在のところ日本大使館からは、在韓国民に対して危険情報などの特別な措置を発信しておらず、アメリカ大使館も同様です。
また韓国の外交スポークスマンは『状況は安定しており韓国内の外国人居住者も動揺する必要はない』と声明を発表しています。



もちろんミサイル発射の可能性はゼロではないが
きわめて冷静沈着、客観的である。

もちろん日本としても
しっかり国防に備えなければならないことは
いうまでもない。

アンチ統一教会のブログで知ったんだが(笑)
文鮮明師のナンバー2だった人物が
いま平壌入りを北京で待機しているらしい。

彼は金日成、金正日ともに
親交のあった唯一の韓国人だという。

対話のチャンネルがなく
政府どうしで対話できないところを
戦争回避のために水面下で橋渡ししているのだ。


韓国のニュース記事(日本語自動翻訳)
統一教会パクポヒ前総裁、金正恩氏との対話推進へ

統一教会は平壌で20年間ホテルを経営している。
そこには日本人信者も働いている。

ホテルの目の前には統一教会の「平和センター」も建っている。

どのくらい濃い情報が入るかは
言うまでもない。

◯◯◯のような要人レベルの情報も。

霊言とかいうあやふやなものでなく
目の前の現実であり
当事者からの生の情報だから。


これが幸福の科学でいうところの
まさにヘルメス・ウイングだろう。

ただ北朝鮮の報道に踊らされて
大騒ぎしているレベルではいけないだろう。

複数の情報ソースをもち、
できるだけ生の情報に触れ
自分の頭で考え判断する、
そんな複眼的思考を持たなければと思う。




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自灯明・法灯明

昨日に引き続き、
真理を探求する乙女~†愛夏†さんからの質問にお答えする。

ところで、今、現在の統一協会はどうなっているんですか?主、亡き後~混乱はされてないのですか?皆さん、どうされてるのですか?!失意にくれて~私ならば日記どころではない気がするのですが?(・◇・)?

という質問に対して。

文鮮明師が92才で亡くなられる前、1ヶ月前に肺炎で入院される前まで
同じペースで毎日3時間くらいの睡眠で
信者を集めエネルギッシュに活動されていたから
本当はもっともっと100才くらいまで長生きされると
信者は皆思っていた。

だから亡くなられて一ヶ月くらいは
皆動揺し、混乱したところもあったと思う。

でも今ではすっかり落ち着いている。

生前に残してくださった教えがあるから
それにしたがっていくし、
また
「自分の良心にしたがって生きなさい。
自分の良心は先生よりも、親よりも、神様よりも
自分のことを知って導いているから
良心に恥じない生き方をしなさい。
影のない生き方をしなさい」
という教えもあった。

仏教で言う「自灯明・法灯明」と似ている。
(厳密には違うだろうが)

ネットで調べてみたら、
幸福の科学の「信仰のススメ」の一節が出てきた。

「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉は、「法を説く人がいるときには、その人の説く法に従いなさい。法を説く人が亡くなったときには、その人が遺した教えに従いなさい」ということを意味しています。
 これは、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」という、仏教の教えです。仏教では、昔から、「仏陀(ぶっだ)が生きているときには、仏陀の教えに従いなさい。仏陀が地上を去ったときには、仏陀の遺(のこ)した法に従って、各自が自分で心に灯をともして生きていきなさい」と教えているのです。



はい、このとおりだと思う。




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幸福の科学がそんなに気になる?

次は何を書こうかな~と思っていたら
真理を探求する乙女~†愛夏†さんから
率直な質問をいただいた。

(*^o^*)
そもそも~どうして、そんなにも幸福の科学が気になって、気になって~仕方がないんですか?!
普通は統一協会の伝道をするんじゃないんですか?!心がグラグラ~揺れているんですか?!
(・◇・)?


ほんとうにそうだ。

統一教会の信者だったら
統一教会の伝道をすれば良いものを、
どうして幸福の科学のことばっかり、
毎日毎日書いてるの~?

そんなに気になってしかたがないの?

という疑問が湧いて当然だろう。

きっと†愛夏†さんだけでなく
同じようなことを思う人はいると思う。

我ながら、どうしてここまで幸福の科学に執着(?)するのか、

どうしてだろう?
自分で振り返ってみた。


「幸福の科学がそんなに気になる?」と聞かれれば
「気になる」というのが正直な気持ちだ。

幸福の科学は、自分にとって最高の研究材料になってきた。
宗教として、何だかあか抜けた先進的な部分があり、
じつに魅力的だった。

またその一方で、こりゃダメだろ・・・と思ってしまう部分も多々あり。

信者さんには失礼極まりないとおもうが、
ウォッチしていて興味が尽きないというか、
下手なフィクションよりも面白いのだ。

次々と話題が尽きないし。

だから目が離せなかった。


私にとって幸福の科学はよきライバル、切磋琢磨する仲間。

一方では、こうなってはいけないという「反面教師」。

幸福を科学するということにおいては
負けたくないし、
ユートピア建設という壮大な夢においても
負けたくないと思う。


結果として、私個人にとっては
本当の幸福とはなんだろう?
ということをより深く考える機会を与えてくれている。

他と比較することで
自分自身がよく見える・・・
ということかな?

「人のふり見て我がふり直せ」というし。

まあ、ブログも私にとってはひとつの伝道なのだ。

統一教会には、
自己伝道、内部伝道、そして外部伝道
という言葉がある。

まず自分自身を伝道する。成長する。
そして家族や信者仲間のなかで、お互いを高め合う。よい関係をつくる(内部伝道)。
そうしてこそ、人は寄ってくるものだ(外部伝道)と考える。

むしろ自己伝道、内部伝道ができていなければ
新たに教会にきた人も失望して去って行くだろう。

そういう意味では、
私にとってこのブログは成長の材料、自己伝道の場なのである。

たしか、幸福の科学も初期には
探求、学習、そして伝道なんて
言っていなかったっけ?

まあ、幸福の科学を見てると
古い友人みたいな気持ちにもなり、
なんだかほっとけないというのもある。

がんばってるな~と見る部分あり、
おいおい、しっかりしろよと言いたくなる場面あり。

統一教会信者で
私ほど、幸福の科学を愛した人はいないかもしれない(笑)




真理を探求する乙女~†愛夏†さん、
質問の答えになっていますか?




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喜びは二人が一つになるところから

幸福の科学では、
「愛は与えるもの」と説かれている。

奪う愛ではなく、与える愛、
それは一つの真理である。

しかし、その「愛」は
「上から目線」とか、
「相手にお構いなしで一方的」とか、
「自己満足的」とか、
アンチの方々から指摘されることが少なくない。

一方的に
高いところから低いところへ水が流れるかのイメージをもって
「愛」と考える傾向があるのかもしれない。

何が問題なのか?

その一つは、
愛する対象に対して、尊重する心が不足するのではないか?

言い換えれば、
「愛は与えるもの」という観点だけでなく、
「愛は人と人を一つにする」
そのような観点をもっと重視するべきではないだろうか?
ということだ。


人は一人では生きられない。
俗説だが、「人」という字は人と人が支えあう姿だ
と喩えられたりもする。

人と人はお互いにかけがえのない存在である。
たとえば
夫にとっては妻。
親にとっては子供。

一つになる時に喜びがあり、
幸福がある。

そして一つになるには
「愛」が絶対に必要なのだ。

愛し愛される関係のなかで、
どちらかが一方的に愛を与え続けるということはない。

お互いに愛し愛され、
授受の関係なのだ。

そして喜びが生じる。

だから
妻あっての夫。
子供あっての親。
そして、信者さんあっての教団。
そういう思いが強くなる。


なぜ、神は神の子として人間を創造されたのか?

それは、いかに全知全能の神であっても
一人では喜べない、
それが答えである。

天国に住んでいたとして
一人ぼっちであれば
そこに何の喜びがあるだろうか?

神といえど、愛する対象が絶対に必要なのだ。

人間は本来、誰しもが神の喜びの対象である。



結婚して、子供が生まれ
初めて人の親となった時、
いままで経験したことのない情が湧いてくる。

子供を通して多くの刺激と喜びを与えられる。
そして子供の成長は、親の喜びでもある。

神もこのように子供である人間を
見ておられるにちがいない。



現実世界は、一つになるどころか
分裂、
憎みあい、ののしり合い、
誤解、すれちがい、
これらは不幸な姿である。

幸福を科学しようとすれば、
この世もあの世も幸福であろうとすれば、
「一つになる」
このプロフェッショナルにならなければと思う。





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人が悪く見えるとき

人間関係の調和について
「逆境からの脱出」という講演で語られたものがある。

この講演テープは何度も聞いたので
よく覚えている。

あるブログに転記されていたので、そのまま少し引用させていただく。

「ですから、夫婦不和、夫婦喧嘩、離婚騒動が起きるときには、もう一度踏みとどまって、これはほんとうに自分の考えなのかどうかを、よく考えていただきたいのです。そういうときは、相手がものすごく悪く見えてきます。いくら考えても相手が悪いと思えるような状況が、確かにいくらでも出てくるのです。そして、相手にこそ悪霊が入っているに違いないと思うわけですが、そう思うときには、自分自身のほうに悪霊が入っていることのほうが、実ははるかに多いのです。
 他人が悪く見えるときには、悪霊が入っていることが多いのです。それをよく知ってください。「まわりがみんな悪人だと思えるほどの悪人はいない」という言葉がありますが、その通りなのです。家庭でも他の人が悪く見えるときは、自分自身が悪いことのほうが多いのです。ですから、その考え方が自分自身のものなのか、それとも、他の世界のもの、はっきりいえば憑依している悪霊から来ているものでないかどうかを、よく考えていただきたいのです。」

「理想国家日本の条件」宗教立国のすすめ 大川隆法著(幸福の科学出版)第3章 逆境からの脱出 4 逆境からの脱出――家庭編 ①家庭不和には悪霊の作用がある より


他人が悪く見えるときは
自分自身をチェックせよ。
まさしくその通りだと思う。

ただ、それが実践できているかどうかは
たとえ教祖であっても別問題だ。

元妻のきょう子さん、
元一番弟子の種村さんに対する悪口は
どうしても「愛の一喝」には聞こえない。


問答無用で、対話を拒否し
どこの何が間違っているのかを説明せずに
ただ「事実無根」と主張し
罵詈雑言で相手の人格を攻撃する、
それだから相手の言うことは信用に値しない
という論調は
「愛の一喝」というより、
むしろ悪霊に入られているかのごとくだった。

現代の法難 1


現代の法難 2 怨憎会苦


舎利弗の真実に迫る





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リーダーの条件と「未来の法」の限界

「運をつかむ習慣」というプレジデント社のムック本を見た。 
「7つの習慣」のコヴィー博士と稲盛和夫氏の対談がメインだ。

運をつかむ習慣 解明!「運がない人」は、なぜ運がないのか (プレジデントムック)


冒頭からインパクトのある言葉。

稲盛「私はリーダーに必要なのは、能力よりも人格だと考えています。
リーダーの人格がゆがんでいたり、よこしまなものであれば、どんなに能力が高くても、もたらされる結果は、間違ったものになります。むしろ、能力が高い分だけマイナスも大きくなるでしょう。コヴィー博士は『原則中心のリーダーシップ』を訴えられていますが、その原則というものは、どういうものですか?」

コヴィー「まず、誠実さ。そして正直さ。行動としては言行一致ということになります。
言っていることを実際に自分が行う。・・・」

こうして二人の対談が始まる。

誰もが認める実績を持った二人の対談は、説得力に満ちている。
短い言葉の中に、個人の人生にも経営にも当てはまる真理がある。

考えてみれば、
幸福の科学に対して、アンチの方々が批判していることも
「誠実なのか?」
「正直なのか?」
「言行一致なのか?」
「言っていることを実際に自ら行なっているのか?」
要は、これらに対する批判のように思える。

それがリーダーシップの原点であるので
教祖にそれらを感じられなくなったからこそ
ついていけない・・・
そしてアンチ化したということだろう。

最近、幸福の科学の「未来の法」が熱心に広告されている。

心の力が未来を変える・・・
たしかにそれは真実である。
しかし、私はそこに限界を感じる。

心の力だけでは不十分である。

心と体がひとつになった力、
すなわち「人格の力」こそが未来を変えるのである。

誠実であれ!
正直であれ!
言行一致であれ!
率先垂範であれ!

原則に生きよ!

そうであれば、
あれだけ多くのアンチが生まれるはずもないのだ。



関連記事 
「幸福の科学信者さんにおすすめしたい本」
「本当の危機は外からではなく内から」




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奇跡のガン克服法

獏論「幸福の科学アラカルト」さんで、「そういえばこんな本もあった」として
紹介されていた本。

奇跡のガン克服法 [ 大川隆法 ]


じつは私もこの本持っていた。
CDの中に、水澤有一さんのヒーリング・ミュージックが付いていたから。

「愛に包まれて」この曲は気に入ってけっこう聞いた。
寝がけに聞くと、よく眠れた。

本文は読まず、CDの説法も聞かず、
(というか、なぜか読めない、聞けない感じだった)
ただ水澤有一さんの曲だけ聞いて
即、Amazonマーケットプレイスへ。


ところで、獏論さんの記事で合わせて紹介されていた書籍はこれ。
1991年、「奇跡のガン克服法」の20年前の発刊だ。
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『真説・八正道』たしかに図解が・・・

ポラリスさんのブログに
「『真説・八正道』を絶版にした訳」という記事があった。
(元信者ルチアさんのメッセージ)

その記事の冒頭部分を引用させていただく。

①絶版になった『真説・八正道』には真実のエル・カンターレの位置付けが紹介されています。
それによると九次元霊の上位五人の位置付けは同格であるとなっています。
つまり、エル・カンターレもエル・ランティもイエスもモーセも孔子も全く同格だということです。
はっきりとこの五人に順列はありませんと書いてあります。
大川さんは自分ではっきりとそれを言っているんです。
そんな大事な事は簡単にはひっくり返せません。「ああ、あれは間違いでした」みたいなことは言えません。だから、隠したんです。絶版にしたんです。
あそこまではっきり言っていて、「あれは嘘でした」と言えませんからね。
五人が同格だったらエル・カンターレ信仰が理論的に絶対に成り立たないんです。
さらにこの五人の意識を統一しているのが大日意識である聖アントニウスと図解入りで紹介しています。


どれどれ・・・と思って、家の書棚の奥から「真説・八正道」を引っ張りだしてみた。

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
(平成元年初版第一刷だ)

たしかに、128ページに図解まである。
$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
「5人は同格でありますから」という記述も。


幸福の科学のほとんどの書籍は処分したが
先日紹介した「女性の使命」とか、いくつかのレアなものだけは
とっておいた。

「真説・八正道」も絶版本ということで
処分せずに持っていた(笑)

20年以上前に読んだときは
けっこう良書だと思って読んだ記憶がある。
それがいまは絶版となっていたので
不思議ではあった。

ポラリスさんのブログを読むと
なぜ絶版になったのか、
はじめてわかったように思う。
その説明に辻褄があっている。

仏法真理っていったい何だろう?

人間の事情で変わるものなのか?
それとも進化したのか?

悟りが進んで、以前には見えなかった真実が
見えるようになったという新発見なのか?

でもそれなら絶版にする必要もなく
堂々と宣言、説明したらいいだろうし・・・。



ポラリスさんの記事、続きはこちらで。
「『真説・八正道』を絶版にした訳」



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時事問題の情報源はどこだろう?

昨日は「餅は餅屋で」
ということを書いた。

幸福の科学の教えは、信仰・霊界の話に始まって
家庭や家族、健康・病気の問題、自己啓発・人生論にとどまらず、
ビジネス・経営・成功論、政治・経済などの時事問題など
幅広い。

しかしそれは浅く広くなので、
本当に結果を出そうと思ったら
専門家から聞いたほうがよいのでは
という話だ。

たとえば、
大前研一さんや竹村健一さんの本やを読むと
ニュースの報道とは切り口が違うので
目が開かれたような気がして
自分が偉くなったような錯覚をすることがある。

また、その受け売りで
時事問題について知ったふりをする人が少なくない。

かといって
本人にそれだけの問題解決力とか
分析力がそなわっているわけではなく、
ただの受け売りにすぎない。

大学教授など専門家の多くは外国語を駆使して
情報源も海外から一次情報を得て
それを元に分析している。

日本の常識は世界の非常識ということが
でてくるわけだ。

幸福の科学の書籍では
幅広い関心を持つことに役立つだろう。
しかしあくまでも、大川隆法氏のフィルターを通して発信される情報である。

一作家や評論家ということで参考にするにはよいかもしれないが
一つ一つを仏法真理として
絶対的なものとして信じてしまえば
いつまでも自分自身の問題解決力、
思考力、分析力は身につかないだろう。

時事問題についても
大川隆法氏がこうだと言ってしまえば
それに反することは言えないのだから。


ところで
大川隆法氏の情報源って何だろう?
独自の情報ルートがあるのだろうか?
それとも、まさか守護霊の霊言?

「自民党安倍政権の政策は
幸福実現党のパクリだ」という主張を聞いたが
もし情報源が同じ専門家からならば
政策が似てるのも当然だろう。

本当のことは知らない。




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餅は餅屋へ

幸福の科学の教えは
信仰・霊界の話に始まって
家庭や家族、女性の生き方についてや
健康・病気の問題、
自己啓発・人生論。

それにとどまらず、
ビジネス・経営・成功論。

それから、
政治・経済などの時事問題。
最近は教育も。

じつに幅広い。

書籍は、平易な文章で書かれているので
読みながら、あらゆるジャンルの内容を
わかったような(悟ったような)気持ちになる。

浅く広く・・・という感じだろうか。

特に仕事に関する内容は
霊的人生観に基づく仕事論でためになった。

ただ、あるときから
だんだんものたりなさを感じるようになった。

経営に関しても、営業に関しても
その道のプロがいる。

そして講演音声もCDで販売されている。

より具体的で実践の裏打ちがあるので、
説得力があり、実際に効果もある。

「餅は餅屋で」というわけだ。


今にして思えば・・・、
外から見ていて2009年の総選挙までは、
毎年のベストセラーとか映画のヒット報道で
幸福の科学が大発展しているかのように「錯覚」していたので
大川隆法氏の説く経営論や仕事術も
魅力的に見えたのだ。

しかし、多くの告発ブログで
内部事情を知るにつけ
実体は全然違ったということに気づいた。

目に見える実績をつくるために
相当の書籍が倉庫や信者さん宅に積まれており
映画のチケットも一人何十枚と購入して
一人20回も映画館に入場したという。

大川隆法氏の説く経営論や仕事術は
実績の裏付けのない机上の空論だったのだ。

残念~!





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幸福の科学の講演テープ

1990年代、
講演会で話される内容が
しばらくして講演テープとして出てくる
というところにも
幸福の科学を見ていて新しく感じたところだ。


たしか「永遠の今を生きる」とかいう法話で解説されていたと思う。

喫茶店で一人の人に対して
ひとつの話題を話すだけなら
食事をおごってもらえる位かもしれない。
1時間の話なら1時間の価値である。

これが組織を作って講演会をすることで
一度に五千人とか一万人に同時に話すことができる。
そうすれば1時間の価値が1万時間に増える。

さらに講演を録音してテープに収録して販売すれば
もっと多くの人に聞いてもらうことができる。
1時間の価値がもっと大きな時間に変わると。

これを聞いた時には天才的だな~と思った。
今思えば、
米国では自己啓発系で
アール・ナイチンゲールとか
ナポレオン・ヒルとか
オーディオブックが普及していたようなので
そこからのアイデアだったのではないかと思う。

1990年代は
幸福の科学信者さんが個人でホームページを開いていて
関心のある方はメール下さい
講演テープさしあげます
書籍あげます
みたいなことがけっこうあった。

一度メールしたら
いっぺんに10本くらいテープが送られてきて
タジタジのこともあった。

彼は今どうしているだろう?





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懐かしい出来事

私は幸福の科学を20年以上ウォッチしてきたが
かといって、ずっと見てきたわけではない。

新刊が出るたびに書籍を購入して読んでいた時期があれば、
何年かすっかり忘れていた時期もある。

2000年代に入ってからしばらくは
新刊もつまらなく感じ、ご無沙汰していた。

そんなある日、仕事関係でお客様の家を訪れた時
懐かしい音楽が聞こえてきて
その方が幸福の科学の信者さんだとすぐにわかったことがあった。

「あっ、この音楽、水澤有一さんでしょう?
私この人の音楽好きだったんですよ」
というと、その方は少し驚かれていたが、
思うところがあったのか、
帰り際には書籍とかテープとかをくれた。(やっぱり感)

それをきっかけにまた少しづつ
幸福の科学の本を読むようになった。
そんなこともあったな。

初老の男性だったが
熱心な信者さんのようだった。

今頃どうされているだろうか?

幸福の科学とは
何か不思議な縁がある。







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宗教活動と家庭ユートピアは両立しないのか?

「ある精舎のベテラン講師は「今世は家庭ユートピアはあきらめました。エル・カンターレにお仕えすることを選んで、家庭ユートピアはあきらめます。ほとんどの職員はそういう気持ちです。」と話していました。つまり職員の多くは家庭がうまくいっていないのです。」

種村さんのブログを見ていて以上の部分が気になった。

またこんな記述もあった。

「あるカウンセラーが支部で話をして家庭調和の大切さを強調したところ、有力な女性支部長から、「そういうことを言われると活動が止まるので困ります」と猛烈に抗議されたという話を聞いたことがあります。」

率直な現実だろう。


統一教会の活動信者さんを見ても
宗教活動に熱心なあまり
家庭のことがおろそかになり
家庭不和につながってしまう、
そうなりがちな傾向はあるから、
よくわかる。

それではいけないんじゃないかと思いつつ、
板ばさみでどうにもならない苦しみも・・・。

しかし、
家庭ユートピアと宗教活動が分離しては
大きな矛盾が生じてしまう。

神様に仕える道を選んで
家庭ユートピアをあきらめる・・・
それはあってはならない。
絶対にあきらめてはいけないことだと思う。

家庭ユートピアをあきらめてしまえば、
たとえ地上に天国ができても、
自分の家庭は天国ではない。
それに自分自身は天国人になってない。

幸福の科学流に言うと、
多大な犠牲を払って世界伝道を成功させたとしても
自分自身は幸福ではない。
自分の家族は幸福ではない。

そんな現象が起こってしまう。


では、どうしたらいいか?

私が教会の先輩から教わったこと。

熱心な活動信者も、家に帰れば
夫であり父親、
妻であり母親である。

これが「普通の」夫や妻ではいけないというのだ。

「スーパー夫であれ!」「スーパー妻であれ!」と。

たとえ忙しくても、
たとえどんなに一緒にいれる時間が短く、
家庭のことができる時間が短くても、
妻を愛することにおいて、
夫を愛することにおいて、
子どもを愛することにおいて、
スーパーマンにならなければならない!

家事もやる。
心も込める。
それを目指せというのだ。

忙しいは言い訳にはならない。
時間は短くても、
情を注ぎ、祈りを注ぎ、涙を流し、
そうすれば必ず心は通じる!というのだ。

夫力をアップしろ
妻力をアップしろ
そんな指導を受けたことがある。

何にしろ、
夫婦の一体なくして
天国は始まらないのだ。

そのためにはまず個人として
神の心を我が心とし、
そして心と体を一体にすること。
(これが夫力アップ、妻力アップ)

「天国」という字は「二人の国」と書く。

どんなに難しくても、そこを目指して挑戦するのだ。







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まるでアンビリーバボーな本当の話(続き)

3月に「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話」という記事を書いた。

高速道路で横を走っていた大型トレーナーが横転し、
乗用車の上に覆いかぶさって来た。
車がプレス機で押しつぶされたように全壊した。
それにもかかわらず、乗用車の運転手は
指一本のケガで済んだ・・・という話である。

ブラジルのテレビ局が報道したニュース映像がこれ。
  ↓ ↓ ↓




ポルトガル語で、何を言っているのかわからず残念だったが
日本語の音声を重ねた映像がYoutubeにアップされていた。



若干編集されているのが残念。

でも、新たにわかったこともある。
このとき、7才の長男も一緒に乗る予定だったのが
出発前に突然ほかの予定が入り、
車に乗れなくなったという。

もし同乗していたら、恐ろしいことになっていただろう。

さらに私が驚いたのは、この事故が
2013年の2月22日の夜だったということ。

その日は旧暦で2013年1月13日。
文鮮明師が生前、何年も前から設定された日で、
全世界の統一教会信者が
過去のすべてを悔い改め、
許されて新しい出発をした特別の日だったのだ。

その日、本行事は韓国で行われ、
全世界にはインターネットで中継されて
全信者がその式典に参加した。


あ~驚いた。
信者仲間では
「自分たちもこんな運勢で守ってもらってるのかな~。
理想的な夫婦・家庭をめざして頑張らないとな」
そんな話をしている。


※この記事は、別に統一教会の宣伝ではない。
統一教会には、あまりにもマイナス評価が大きく
きわめて狭き門なので
宣伝しても誰も乗らないでしょ?(笑)

ただ、捏造でも妄想でもないので
事実は事実として知っていただければ幸いだ。

以前にも書いたように
教会では「奇跡は本質ではない」として
奇跡話が取り上げられることも少ない。


参考記事
「奇跡信仰の限界」
「信仰の本質とは何かを考えさせられる出来事」





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通俗的道徳にスピリチュアルの味付けが加わると

先日、楽山日記さんで書かれていた興味深い記事。

「通俗的道徳に、スピリチュアルという味付けが加わると、崇高な思想に化けるという話」というタイトル。

Eさんのような「過去世リーディング」をする人には、共通点がある。スピリチュアルというわりには、いっていることは通俗的道徳観にすぎないということだ。
しかし、この通俗的道徳観に、生まれ変わりのような神秘思想(?)をプラスすると、あら不思議。ある種の人たちには、これがすごく崇高な思想のように感じられるらしい。
(久我羅内『不可思議現象の科学』ソフトバンク クリエイティブ、2009年、p.154)


スピリチュアル・カウンセラーと言われる人が、何やら崇高な思想を語っているように見えるけど、大したことは語っていない、通俗的道徳じゃないか、という話だ。

なるほど・・・と思う。

これはとても興味深い。

そこから私が連想したのは、
通俗的道徳に、スピリチュアルという味付けが加わると
なによりも「説得力が増す」のではないかということ。


道徳は「こうあるべき」というひとつの価値を教えてくれるが、
その理由に対しては曖昧なことが多い。

価値観が多様化した現代では特に
「こうあるべき」と道徳的に説いても
「カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょ?」となってしまう。

「援助交際はいけないんだよ。不純異性交遊(今もこう言うの?)はダメと言っても
「なぜいけないの?」「私の勝手でしょ?誰にも迷惑かけてないでしょ?」となりかねない。

善悪の基準を示すのは難しい。

そこに「お前そんなことしてると
死んだあと色情地獄に落ちるんだぞ~」と言うと
どれだけ説得力が増すだろうか。

道徳は必要だけど実践力に欠ける。

「盗みはいけない」「いじめはいけない」「自殺はダメ」「生命の尊さ」
それらを教えるにも宗教的背景がなければ生活化が難しいのではないかと思う。

その意味で、スピリチュアルカウンセラーが語る言葉が
じつに平凡な通俗的道徳であっても、そこには大きな意味がある。

口で高邁な思想を語ることができたとしても
それを身をもって、
そのとおりに(道徳的に)生きられるか?
生活できるかとなると
なかなか難しいのだ。

それができれば
まさに偉大なる常識人ではないだろうか。





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悪霊に頼られて心が重いとき

日常生活の中で、
ふとズーンと心が重くなる時がある。

雑踏を歩いたあとだったり、
人と会い深刻な相談を受けたあとだったり。

それで、もしかして悪霊に頼って来られたかな?と直感する。

その時に決まっていう言葉。(霊に向かって。)

「私に頼られても、私にはあなたを引き上げる力はありません。
どうか、神とメシヤ(救世主)につながってください」

教会の先輩から教えてもらった。

これをおまじないのように唱えると、
スーッと心が軽くなる。

自分自身には力はない。
でも、神様につながっていることで
心がいつも明るく軽快で、幸せでいられるんだなと思う。

メシヤ(救世主)は悪に完全に勝利された方。
怨み憎しみに対して、愛で勝利された方だ。

(だからドラキュラはイエスの十字架に抗えなかった。)

そういえば幸福の科学にも「悪霊撃退の祈り」があったね。





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