2013年03月 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

なぜそこまで幸福の科学をウォッチするのか?

前回の小冊子「女性たちの使命」について、
真理を探求する乙女さんからコメントを頂いた。

「凄い~マニアックな?書籍ですよね?!…ホント、お詳しいのでビックリです♪なぜ、そこまでウオッチャーをされてるんですか?(・◇・)?」

たしかに、信者でもないのに
よくここまでウォッチするな~と思う。自分でも(笑)

1980年代からずーっとだから。

その理由は、
ひとつは、幸福の科学に対して
とても親近感を感じたということがある。

統一教会の教義では霊界の存在をはっきりと言っているが
1980年代に幸福の科学が出てきて
「霊言集」とかで霊界の存在証明をしていたときは
とても心強く感じた。

人生はこの世で終わりでなく、死んだ後もある、
この世とあの世を貫く幸福を求めないといけないという
霊的人生観の必要性はまったく同感である。


どの宗教も、道は違っても
同じ山の頂上にいたる道だ
とよく言われる。

私としては
「統一教会が聖書的観点から真理を説いているように
幸福の科学は仏教的観点から真理を説いているだけだ、
おなじ山の頂上を目指している者どうしだ」
そんなふうに感じた。

だから幸福の科学の書籍は
自分の考えを補完してくれるもののように思っていた。


それから、幸福の科学をウォッチしてきた理由の2つ目。
教団の運営について
他宗教とは違った新しさを感じたという点があるだろう。

月刊誌の綺麗なデザイン。
BGMは水澤有一さん作曲の天国的な調べ。

冠婚葬祭中心の形式的な宗教とは違った新鮮さを感じた。
宗教らしくない宗教。

それからマスコミを使った大々的な広告宣伝。
日曜日の朝のFMラジオ番組。

やりかたが実にスマートというか・・・。
表現がうまいというか。

統一教会にはとてもないものだった。
幸福の科学は、私にとってはいい意味でライバルであり
研究対象だったといえる。


統一教会もいま、過去の反省の上に
オープンな教会、透明性のある組織を目指そうとしている。

実際にどこまでできるかわからないが、
幸福の科学がこの20数年間
宗教を裏の世界から表の世界に復権するために努力されてきたことも
きっと参考になると思う。


迷惑を顧みず、率直に言えば
「幸福の科学とも、いつかは共に歩める日が来るのではないか」
という考えを持っていた。

共産主義を悪とみなし、徹底的に反対しているところも似ているし
超宗教を目指しているところも共通だ。

それから(初期の)家庭ユートピアという考え方も。

他宗教との違いに目を向けるよりも
共通点を見出し、
お互いに共通の理想に向かって努力すべきだ
というのが文鮮明師の教えであるから。

だから私は幸福の科学に対して、
「早くつぶれたらいい」というのではなく
「もう一度、初期のころみたいにしっかり立ってくださいよ」
というスタンスだと思う。



それから
「教祖が亡くなって~落ち込まれたり、されてないんですか?」

という質問について。

いつかは必ず来る日が来てしまった、という感じで、
私個人としては「92歳、天寿を見事に全うされた」と思っている。
淡白かもしれないが、落ち込むということは全くない。

それと霊界はあると信じているので
悲しむ以上に、
教祖が霊界に行かれて、
ますます自由自在に動かれるのだろうな
夢などを通して、もっと身近に現れられるのだろうなと思う。

イエス様の死後、キリスト教は本格的に始まったので
統一教会もこれからが本番かな~なんて
のんきに考えているところ。




以上、正直に質問に答えました。

ちなみに真理を探求する乙女さんのブログ、けっこう面白いです。





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これが小冊子「女性たちの使命」

昨日紹介したセンスアップシリーズ
小冊子「女性たちの使命」はこれ。

かなりのレア物かも?

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると-センスアップシリーズ女性の使命
表紙

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると-本文はこんな感じ
本文

学習参考書みたいな構成だ。

10数年ぶりにパラパラと見なおしてみて
改めて面白いなあと思った。

「男性というものは、やはり、どうにでも扱える生きものだと思います。それは大きくなった大人子供のような存在です。女性の力がなければ、何もできないようなところがあります。そうして子供のように偉ぶってみたり、またふんぞりかえってみたり、いろいろなことをします。そして、誉めてほしいというのが男性のほとんどの心境のように思います。こうした男性の姿を見ると、ほんとうにほほえんでしまいます。

ですから、女性も男性と競おうなどと思わないで、お母さんになることです。大きなお母さん、人類のお母さんになることです。子供だけではなく、大人の男性をも子供のように慈しみ、そして育て、励まし、立派にしてゆくということに生きがいを見出すことは可能だと思います。男性は今、真に女性の力を必要としているのだと思います。真に女性の力を必要として、そして、もっともっと伸びてゆきたいのだと思います。」


こんな感じで、1980年代の著作のなかから
女性のあり方、生き方に関する部分を集めて編集されている。

これらのなかには、過去も現在も変わらない真理も多分に含まれているだろう。

その言葉が人間から出たものか、
それとも神近きものから出た言葉であるかは
時間の経過とともに明らかになってくる。

また
言葉だけでなく、人の行いも
歴史を経て本当の評価がされるものだと思う。

聖書や仏典が何千年の時を越えて
人類に多大な影響を与えてきたように。


ちなみに、この本のまえがきは
大川きょう子元夫人が書かれていた。

センスアップシリーズの1となっているが、それに続く2・3があったのかは知らない。





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センスアップシリーズ「女性たちの使命」

センスアップシリーズ「女性たちの使命」という小冊子が
私の手元にある。

1990年に幸福の科学女性用テキストとして編集されたものである。

けっこう気に入っていたので、
これは処分せずに持っている。

1989年までに説かれた幸福の科学の神理(原文のまま)のなかで
女性のあり方に関する部分をまとめたものである。

たとえばこんな内容が紹介されている。

「もし、父も母も冷酷な性格であって、『人を見れば敵と思え、狼と思え』というような方であったとしたら、そのイエスに投げかけた影は想像するだけで恐ろしいものがあります。情操教育、感情の教育ということは、目に見えた力は発揮しないかもしれませんが、それはじつにじつに大きな力があるのです。
 偉人の生涯を数多く振り返ってみるにつけても、その母の力の偉大さを私は感じるのです。『全世界が裏切ったとしても、私を信ずる母がいる』ということが、どれほどの生きがい、あるいはやりがいとなり、命の糧となったでしょうか。」

「大天使ミカエルの降臨2より」

当時バブル絶頂期にあって、
信仰を土台とした良妻賢母をすすめる
幸福の科学の保守的な見解には
とても勇気づけられた。

統一教会でも
90年代から「女性の時代」ということが
強調されていたので
「どの宗教も同じだな。
霊界(天上界)からそのようなメーッセージが
降りてきているんだろうな」
そんなふうにとらえていたものだ。






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たくさんの人に愛されてる幸福の科学信者

ブログ村のようすをみると、信者さんのブログ、アンチのブログと入り乱れて実ににぎやかだ。

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それで、お互いの記事に対して意見を言いあったり。


マザーテレサの有名な言葉がある。

愛の反対は憎しみではなく無関心です。

そうなのだ。

幸福の科学は、こんなにたくさんの人たちから関心をもってもらい、愛されてる。

もともと幸福を求める純粋な人たちが集ったのだから、
神様も何とか幸せになってほしいと
いろんな人たちを通して働きかけておられるのだろう。

本当に幸せではないか。

もちろん罪を犯したことがあれば
それに対しては償わなければならないだろうが。



信者さんのブログ、アンチの人たちのブログ、
それぞれが自分の見解を述べているが、
客観的な目で見ている人たちが正邪は判断してくれるだろう。

マザー・テレサ 愛と祈りのことば (PHP文庫)/PHP研究所

Amazon.co.jp

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初めて知った旧・正心法語

やや日カルトさんのブログのコメント欄に
匿名さんが、「旧正心法語」というものを書かれていた。

私は初めて目にするもので、とても興味深かった。

読んでいて、言霊の力を感じる。
初期のこんな教典が没になったのは惜しいことだ。

これらの言葉は
送り主が本当に伊邪那岐大神やモーセであるかは別として、
たしかに天上界からのインスピレーションではなかったかと感じる。


以下、引用させていただく。


逆境を転ずる祈り   伊邪那岐大神

正しく清く生きたれど
人生にしばし逆境の時節あり
逆境の時こそ われに力あり
逆境の時こそ われに勇気あり
逆境の時こそ われに光あり
われ逆境を転ずるなり
過去の偉人も聖人も
逆境なくして 輝きなく
逆境なくして 偉業なし
われ逆境をはね返し
鋼(はがね)の如くはね返し
光の塔を打(う)ち建てん
青史に名前を止め置かん
逆境はこれ潮(うしお)なり
潮ありてこそ船旅も
勇気とロマンの旅となる
航跡の真白き跡も鮮やかなり
逆境はこれ荒波なり
磯の大岩そそり立ち
荒波とこそ戯れん
われ逆境と闘うより
むしろ逆境とこそ戯れん
逆境はこれ愉(たの)しきかな
逆境はこれ役立つかな
水の抵抗ありてこそ
泳者の筋肉うなるなり
山に傾斜のありてこそ
山男には誇りあり
ああ われ今 真に悟るなり
人生に真の逆境はなきことを
逆境と見えしはこれただ目の錯覚
観世音菩薩の方便なり
逆境を転ぜんとこそ決意せば
そこにはもはや逆境なく
ただ大調和 大団円
光の天使が取り巻きて
祝福の歌 歌うなり
神の世界に 誉れあれ
真の勇者に 栄光あれ
ただこれ光に感謝あれ



心の言葉   モーゼ

『モーゼの訓え』

 一 人のこの世に生まれしは
   神の子として生きるため
   汝ら心を一つにして
   神の教えを広めなさい

 二 人のこの世に生まれしは
   正しき道を 歩むため
   正しき道とは 反省と
   祈りの道と悟るべし

 三 人のこの世に生まれしは
   愛ある日々を送るため
   愛はこの世の力なり
   しかして神の生命なり

 四 人のこの世に生まれしは
   日々の進歩を目指すため
   魂の喜ぶものは ひたすらに
   徳ある日々を送ること

 五 人のこの世に生まれしは
   地上天国 創るため
   己が心に天国を
   創ることより始むべし

 六 神の心にかなうには
   まず悪を捨て 善を取り
   善のみ真理と悟ること
   善のみ力と悟ること

 七  神の心にかなうには
   男女の道を正しくせよ
   男女は共に相助け
   調和を目指し進むべし

 八 神の心にかなうには
   三世の道を旨とせよ
   人間に 過去世・現世・来世あり
   作用があれば反作用
   原因あれば結果あり

 九 神の心にかなうには
   中道をこそ旨とせよ
   極端な思いを避けて
   合掌す
   そこに調和の光あり

 十 神の心にかなうには
   悪しき運命を 乗り越えよ
   努力に天の助けあり
   祈りに必ず応えあり 




 私が同意できないのは「八」の
「人間に 過去世・現世・来世あり」の部分だけ。
(輪廻転生は信じていないので)

 それ以外はまったくもって同感である。

「努力に天の助けあり
 祈りに必ず応えあり」か・・・。

 なかなか勇気の出るお言葉ではないか。

 初期の頃の霊言集を読んで、
「そうだ、そうだ!」と共感していた気持ちを思い出した。


 



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絶対的な基準を立てる大変さ

先日「信仰は百パーセントを求める」ということについて書いた。
今日はその続き。

信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
(仏陀再誕)


絶対的なものを求めるのが信仰の世界であるから
その話は理解できないことはない。

しかし、それを語る者にはブーメランのように
その言葉が自らに返ってくるだろう。

「そういうあなたはどうなんだ?」と。

神に対する百パーセントの信仰を実践してみせているのか?

1パーセントの不信や疑いの余地もないくらい
不変なもの、絶対的なものを示すことができているのだろうか?

過去現在未来にわたって、
ブレることない一貫したものがどれだけあるのだろうか?



文鮮明師は、92年の生涯を晩年まで
3時間の睡眠で通された方だ。

修練会で直接話されるときは
夜半まで続いて、早朝から始まった。
その日も次の日も。
私も何度か体験したから事実である。

身近に生活する側近は大変である。

なぜそこまでの生活をされるのか?
「今この瞬間も、自分を師と仰ぎながら、
世界中で伝道活動しているメンバーのことを思うと
いっときも休めない、
休むわけにはいかない」
とのことだった。

安楽とはほど遠い生涯だった。

その一貫した姿勢を
一度も会ったことがない者でも
先輩の姿や信徒の交わり、
生活のいろんな出来事を通して感じていく。

そんな心のつながりがあるから
信徒は師として尊敬してついていくのだ。

マインドコントロールと言えば
マインドコントロールなのかもしれない。

でも実際は純粋な「師弟愛」だと思う。
それだけリアルな
まるで家族のような濃い関係があるのだ。



だから、それから考えると・・・・
幸福の科学で語られるところの
「信仰は百パーセントを求める」という話は、
とても恐ろしい言葉のように感じる。

そう語るためには
どれだけの生活の基準を立てなければならないのだろうか
と恐ろしく思ってしまうのだ。

信仰とは、観念的なものではなく
悟った内容を言葉で語るだけのものではなく
具体的に生活の中で実践するものだと思う。

信仰は、模範的な生活、
豊かな人間関係として
表れるものではないだろうか。

それなくしての
百パーセントの信仰というのは、
盲信にもなりうるし、
ただの「思いこみの激しい人」を
たくさん作り出すだけかもしれない。

自らにも戒める。





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挑発的な記事をスルーする理由

今日は、楽山日記さんの記事に応えて予定変更。

私の率直な気持ちを述べさせてもらう。

私は統一教会がどんなに評判が悪いか
よく知っている。

あらゆるスキャンダルも含めて。

言われなくても30年も信者をやっていれば
表も裏も知り尽くしていると思う。

だから、ブログ記事で色々と悪口を言われようが
気にならない。

すでに散々言われてきたことだから。

そしてどこまでが事実で、どこが誤解かもよくわかる。
当事者だから。

だから、自分自身のことに対して何か言われれば返答するが、
統一教会自体を悪く言われても、気にしないし弁明する気もない。

むしろ自分の関心ごとは
少し前に記事に書いたように
「どんな対応をするのが神様の願いなのだろうか?」
「豊かな心で対応するというのは、どのようなものだろうか?」
ということだ。

幸福の科学が始まった時のスローガン
「正しき心の探求」
「偉大なる常識人」
「家庭ユートピアから始まるユートピア世界建設」
「幸福を科学する」
「この世とあの世を貫く幸福」

私は今も、それらを熱烈に求めている。

人格を高めたいし、
神の心をもっと深くわかりたいし、
愛のある人間になりたい。

そして幸福な家庭を築きたい。
妻と終生良い関係でいたい。

本心に従って、
良心の呵責のない生き方をしたい。

簡単ではないが、死ぬまで努力だと思う。

綺麗事と言われるかもしれないが、綺麗事でも良いと思う。
それが自分の生き方だ。


幸福の科学からは良い刺激を受けた。
良きライバルだと思ってきた。

それらの本当の答えを幸福の科学に見つけたならば、
私は幸福の科学に宗旨替えしたかもしれない。

しかし20数年見てきて、それはなかった。

今もなお、私にとっての「幸福を科学した」答は
統一原理である。

それ以上の真理があれば、私はそこに行くだろう。

ただの批判ではなく、「それ以上の真理があれば」。


だから、私は昔も今もこれからも変わらず
幸福の科学流に言えば、
「正しき心の探求」
「偉大なる常識人」
「家庭ユートピアから始まるユートピア世界建設」
「幸福を科学する」
「この世とあの世を貫く幸福」

これらを求めて行くだろう。

幸福の科学の信者さんとも
お互いに切磋琢磨しながら、
本当はそんな話をしたいものだ。

人間として共通の目標に目を向けて、
善なる競争だと思う。


「あなたは大川隆法氏のことを裁いてるじゃないか?」という声がある。

たしかに裁きと取られるかもしれない。
しかし私は彼を全否定しているわけではない。

一人間として尊重して見ているし、
昔から見ていて良いところもあれば、
最近はおかしいと思うことも多々あり、
それを率直に書いているだけだ。

神とはとても思えないが、
敬意を表して呼び捨てにはせず
「氏」と呼んでいる。

私が決してアンチ一辺倒ではないのは
おわかりだと思う。

客観的な立場なので、シンパとアンチの中間かもしれない。

よそ様のことはとやかく言えないが、
ここ数年の大川隆法氏を見てると
「もっとしっかりしろ!」
とつい言いたくなるのだ。


信者さんから見ると失礼極まりないことだと思う・・・。

もしかして、自分は弱いものいじめしてるのかな?
という思いも湧いてくる。

しかしそれは、決して誰かの不幸を願う心からではなく
みんなが幸福になる道を探し求めたい心からである。

祈願がかなわなければ
「自分の信仰が足りないからだ」と自分を責めるような、
けなげな幸福の科学信者さんたちの永遠の魂に、
誰が責任を持つのか!?

そんなことを思うのだ。

幸福を求める純粋な信者さんたち、
幸せになってほしいと思う。

多くのアンチさんたちも
きっと似たような気持ちではないかと思う。



本当は秘めておきたかった本音を
今日は吐露してしまった。


※追記
ガンブロさんを改めて読み直してみて、
当方も相当の言葉足らずなところがあったことに気づいた。
誤解を生むような書き方をしたのは申し訳ない。
率直にお詫びする。

ガンブロさんのような、私の未熟さへの指摘は
大歓迎。ありがたい。

真意がうまく伝わっていないようなので
改めて書かせていただく。






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「信仰は百パーセントを求める」???

人間には、絶対的なものを求める本性がある。

時代が変わっても、
歴史が変わっても、
国が変わっても、
変わることのない
永遠の価値あるもの。

宗教というのは、
そのような絶対的なものを求める。

絶対的な存在である神を求める。

幸福の科学に「信仰は100%を要求する」
という言葉がある。

信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
(仏陀再誕)


「信仰は百パーセントを求める」?
たしかにそうかもしれない。

絶対的な信仰、絶対的な愛、絶対的な従順。

ただし、それには大前提がある。

人間が信仰の対象とする神に
絶対的な存在であることを求めるのだ。

神ご自身が
絶対的に人間を愛する。
絶対的に人間を信じる。
ご自身の決心に絶対的に従われる神。
無限に与えて与えて忘れて、
また与える神。

永遠普遍の愛。
絶対的な真理。
絶対的な人格。

そのような絶対的な存在であることを
求める。

だからそこに人間は喜んで
信じていこう
愛していこうと思うのである。

愛されていることがわかるから、愛さずにいられない。
信じられていることがわかるから、信じずにおれない。
それが率直なところではないだろうか?

だからこそ、試練の時も、その時点ではわからなくても
何かきっと深い神のみこころがあるのだろう
と思って甘受し、感謝していくことができるのだ。



もし、信じる対象に対して
絶対的なもの、普遍的なものを感じることができなければ
100%信じるということは不可能だろう。


さらにもう一つ、
重要なことを付け加えねばならない。

それは「信仰に百パーセントを求める」とき
それを語る主体はどんな基準を立てないといけないか
ということだ。

信者に対して「百パーセント信じなさい」と言うならば
さらに主体たる教祖には
百パーセントの絶対的存在であることを求められるということだ。

なんと厳しい道であろうか?考えるほど恐ろしい話である。

それについては
次回「絶対的な基準を立てる大変さ」で書く。





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悪は徒党を組み、地獄へ道連れ

「私に騙されても、あきらめてください。もし私が嘘つきだったならば、
そのときには、「まな板の上の鯉だ」と思って、騙されてください。そして、
私と一緒に地獄で修行しましょう。」

「どうか、「大川隆法先生に騙されても構いません。地獄までついて
ゆきます」というぐらいの信仰心を持ってください。」


【救世の法】より


この文章からどんなことを連想するだろうか?
失礼ながら私が連想したことは・・・

「赤信号、みんなで渡ればこわくない」
「長いものにはまかれろ」
 無責任
 付和雷同
 責任転嫁
 悪党

それらの単語だ。

極端な例だが、たとえば銃乱射事件。
人生が嫌になったのなら
一人でひっそり死んでいけばいいものを
多くの無垢な人を巻き添えにして死んでいく
そのような傾向性がある。

これはまさに悪魔の業である。

自暴自棄。
地獄に道連れ。

一人で自滅ではなく、
まわりを巻き添えにして・・・。

核武装に走る北朝鮮にも
そうなりかねない傾向が見える。

「どうか、『大川隆法先生に騙されても構いません。
地獄までついてゆきます』というぐらいの信仰心を持ってください。」
という言葉は、どこからでてくるのだろう?

もしかして、
大川隆法氏自身が
自分はこのままでは地獄行きかな~
と感じているのか?

それとも身近な女性から
「もしかして私たちって地獄に行くんじゃ?」
と不安を打ち明けられたか?

それで
大勢の信者に向かって説法しているように見えて
実は身近な女性たちが
その説法の対象だったりして。

あくまでも私のかってな空想だが・・・。

それにしても、
「先生に騙されても構いません。
地獄までついてゆきます」
って、
まるでドロドロしたメロドラマのなかで
不倫中の男女が口にしそうな会話に聞こえてしまうのは、
私だけだろうか?







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信者を地獄に道連れ?

みろたんさんのブログに
面白い記事があった。

記事タイトルは、【救世主が、信者を地獄へ道連れにするかな?】

やや日カルトさんブログのコメント投稿をまとめられたものだ。


【救世の法】より引用

p.82-私に騙されても、あきらめてください。もし私が嘘つきだったならば、
そのときには、「まな板の上の鯉だ」と思って、騙されてください。そして、
私と一緒に地獄で修行しましょう。

p.83-どうか、「大川隆法先生に騙されても構いません。地獄までついて
ゆきます」というぐらいの信仰心を持ってください。



????


「この言葉は信仰心を試している言葉じゃないですよ。

地獄に行く覚悟を聞いている言葉ですよ。

教祖は自分が地獄に堕ちるときは信者も道連れのつもりですよ。」

という誰かさんの解説に納得。なるほど。

信仰心って何だろうと考えてみた。


文鮮明師の似たようなフレーズを思い出した。

【1973年 米国講演より】
「我々は、新しい時代の誕生というとてつもない時代に生きています。
皆さんは直ちに神にたずねなければなりません。

『文師が真実を語っているかどうか』と。

どうか私や他の誰かに聞かないで、
直接、神にたずねてください。

心静かに、そして熱心に祈り求めれば神は答えられるはずです。」



似てるけど、全然正反対だ。


「私を信じなさい」ではなくて、
私を信じなくて良いから、神様にたずねなさい。
そして神様の声に従いなさい。


ということだ。

これが信仰の道へ人を導く者の、真実のあるべき姿だと思う。



大川隆法氏の「地獄に一緒に」発言については
他にも思うことがある。

「悪は必ず徒党を組む~地獄へ道連れ」ということだ。

それは次回に書くとする。






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「幸福の科学 近藤紫央」???

このブログを訪問される方の検索ワードは、なぜかいまでも
「幸福の科学 近藤紫央」
「大川隆法 近藤紫央」
が一番多い。
その次が
「大川隆法 再婚」

もう何ヶ月もたっているのに。

多くの人たちの関心が
「仏陀再婚」にあることを改めて教えられる。

人は誰しも、生まれていつか死ぬ。
その生と死の間の数十年の人生のなかで
最大の出来事が「結婚」であろう。

「結婚」そして「愛」というのは
人生の中で最大の重要キーワードなのだ。

だから「幸福を科学」しようとしたら
それが最大のポイントになる。

四正道の「愛・知・反省・発展」でも
最初は「愛」である。

そこで改めて、幸せな結婚生活の秘訣は何だろうかと考えてみた。



江戸時代に英語が日本に入ってきた時
"I love you." という言葉を訳す適当な日本語がなく
「私はあなたのことが大切なのです」と翻訳したという。

夏目漱石は「あなたといると、月がきれいですね」と訳したとか。ロマンチックだな。

loveを「大切にする」と考えるとわかりやすい。

そして
作用・反作用の法則のように
愛されたかったらまず愛すること。

愛する人は、愛される。
敬う人は、敬われる。
大切にする人は、大切にされる。

これは特に夫婦の関係でも同じで
妻を愛し、敬い、大切にする男性は
妻から愛され、敬われ、大切にされる。

夫を愛し、敬い、大切にする女性は
夫から愛され、敬われ、大切にされる。

当たり前のようで、実践し続けることは難しい。

そして大切なのは、
相手が変化することを願うのではなく
自分が先に変化しなければならない
ということだ。

7つの習慣でいう
「インサイド・アウト」である。


さて、12月に再婚された大川隆法氏は
この3ヶ月、どんな新婚生活を送ってこられたのだろうか?

再婚時、幸福の科学グループ広報局によれば、
『教祖周りの神域・霊域護持は、最も大切な命綱で、1日も疎かにできません。護持能力の極めて高い、
総裁補佐を伴侶として迎えることで、世界伝道への条件が整ったと考えております』 

ということだった。

「護持能力」とか「神域・霊域」とか回りくどいこと言わずに

大川夫妻がお互いに愛し、敬い、大切にする関係であるか?

それが最高の霊域護持なんだと思う。

大川夫妻がそのような関係であれば、いっときは戸惑った信者さんたちも、きっと祝福してくれることだろうし、世界伝道にも拍車がかかるだろう。

しかしもし、そうでなかったとしたら・・・
世界伝道なんて夢のまた夢だ。

だって、きっと大川夫妻の二人とも
全然幸福じゃないから。

幸福の科学ではなくて、不幸の科学になってしまうから。



関連記事 「すでに次の愛人で紫央さんを泣かせている?」


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一夫一婦制と一夫多妻制

ユダヤ教キリスト教の流れを組むヘブライズムの文化は、一夫一婦制が原則である。

旧約聖書の最初、「創世記」の人間創造の記述にその源がある。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」

「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
そのとき、人は言った。『これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう』。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」




それにたいしてギリシャ・ローマの流れをくむヘレニズム文化は、性に寛容である。

幸福の科学は、ヘレニズムの影響下にあると思う。

一夫多妻制?

大川隆法氏の発表した霊言のあちこちにも、それらしき記述がある。

『世界紛争の真実』では
「一夫一婦制は、神の教えとは違う。人間界の掟や契約の問題であり、基本的には、嫉妬心からできている"戒律"である」と私は理解しております。
とあった。


また『松下幸之助日本を叱る』には、
「税金を一千万以上払ったら、結婚は自由です。なんぼでも、どうぞ。イスラム教の人数を超えてもかまへん」というのが、わしの考えやな」とある。

さすがに幸福の科学信者の知人も、この霊言を聞いた時は「最近変なこと言い出したな~」とぼやいていた。

(彼は今はほぼ休眠中のようだ。)

一夫一婦制と一夫多妻制、
男性にとっての幸福とは何か?
女性にとっての幸福とは何か?
幸福を科学しようとしたら、
どの結婚制度が良いのか
聞かずともわかりそうなものだ。



ヘレニズムとヘブライズムについては、以前にもこの記事に書きました。




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「表」の信仰と「裏」の信仰

幸福の科学では
宗教者のタイプわけに
「表」と「裏」というものがあって、
1990年代に初めて聞いた時は
なるほど、そんなものかと感心したものだ。

自分自身も他宗教ではありながら
霊能力信仰や仙人的な信仰ではなく
正しき心の探求や、人格の向上を目指した
表の王道をいかねばならないと
自らを戒めたものだ。

しかして、最近の幸福の科学、

宇宙人がどうとか
月の裏側がどうとか

それが幸福を科学することと
どう関係があるのだろう?

「こんなことができるなんてすごい!
やっぱりウチの総裁は本物だね」
と喜んでいる信者さんもいらっしゃるみたいだから
それはそれで何か深い意味があるのだろうが・・・。

そこに人格の向上や心の豊かさ、
人間の幸福と何の関係があるんだろうかと
私は理解できないのだ。

霊能力の誇示?

幸福の科学で言うところの
「表」の信仰と「裏」の信仰のタイプで考えると、
もしかして
大川隆法氏って「裏」なのかな?
と思ってしまう。








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「雨ニモマケズ」にモデルがいたという話

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
・・・・・」

あまりにも有名な宮沢賢治の詩。
元は手帳に記されていた一片のメモである。

この「雨ニモマケズ」に
実在のモデルがいたという説がある。

その人は宮沢賢治よりも20才年上で、花巻において初めてクリスチャンとなった斉藤宗次郎。

彼が新聞の集金に宮沢賢治の勤める農学校に来たときは、招き入れ、
一緒にレコードを聞いたり親しく語り合ったという。

以下は、「雨ニモマケズ モデル」で検索していて
ネット上で見つけたものだが、
「urlや出典不明」と書かれていたので
全文を引用させていただく。


 宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。

 当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。そして、さらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。亡くなる時、愛子ちゃんは、讃美歌を歌って欲しいと言い、讃美歌を歌うと、「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。

 宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリストを宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しはあまりにも有名です。

 そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。

 花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。

 それは、彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。この人こそ、東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという宮沢賢治の詩にあるようなことを普通にやっていた人でした。そういう宗次郎の生活ぶりを見ていた、宮沢賢治が、「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。


読んでいて涙が出てきた。

イエス・キリストが律法学者から「どの掟が一番重要でしょうか?」と聞かれて答えた言葉、
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛せよ」
「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」


この言葉を、全身全霊をかけて実践した生涯のように思う。
まさにクリスチャンの鏡のような人だ。
その如く生きられた救世主イエス・キリストの生き様が、2000年の時を越え、
彼をしてそこまでさせたのだろう。


宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信者であったことはよく知られている。
斉藤宗次郎との交流から、少なからぬ感化を受けたことだろう。
宮沢賢治の作品には宗教の枠を越え、時代を越えた世界観がきらめいている。

斉藤宗次郎という人物との出会いから、そのことも理解できるような気がする。

霊界を信じる幸福の科学の信者さんであれば
宮沢賢治の作品に霊界の描写がふんだんなく入っていることも
よく理解されるだろう。


最後に、「雨ニモマケズ」を今一度かみしめたい。

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ」






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大川先生、大丈夫ですか~?

次から次へと矢継ぎ早に出される霊言の数々。

そのおかげで年間発刊点数も一昨年は52冊、
昨年は101冊で、堂々のギネス更新とか。


初期の頃もいろんな霊言があった。

日蓮上人に始まり、空海、親鸞、
天照大御神、
イエス・キリスト、モーセ、
孔子、孟子、
坂本龍馬、西郷隆盛・・・。


歴史上の偉人、義人、聖人と言われる人たちが
現代を見ると、どのように感じられるのだろうか?
ということで、
それは個性豊かでとても面白かった。


1994年だったか、「方便の時代は終わった」で
霊言は、いろんな霊の言葉を語ることで
いろんな個性の霊の姿を見せ、
いわば霊界の証明であった
そんな説明を聞いた。

それでいったん霊言の出版は終わった。


そして再び2009年頃から再開。
民主党の台頭によって日本が危機的状態になり
いてもたってもいられず霊人たちがメッセージを送ってきているという。


松下幸之助、坂本龍馬、オバマ大統領の守護霊から悪霊、悪魔まで──。
まさに上から下まで、あらゆる霊を呼び寄せて霊言。

その様子は、リバティ・ウェブに詳しく特集で解説されていた。
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3157

「では、大川総裁はどうか。映像を見た雑誌記者も「あれ、もう入ったの?」と驚くほど、簡単に霊が入る。しかも、大川総裁の意識ははっきりしたままで、時折、総裁自身の意識が語るなど、「二人羽織」状態で霊言ができるのだ。」

またリバティには
「そもそも宗教の開祖は皆、霊能者、預言者であったし
世界宗教は霊言から始まっている」
という説明もなされている。

なるほどなあ・・・。



ただ、私には大川隆法氏に対して大きな心配がある。

人間は本来、「神の器」であり、「神の住む宮」である
と考えているからだ。


聖書に聖パウロの有名な言葉がある。

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊(みたま)が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。」
(コリント人への第一の手紙)

神を求め、神の霊を自らに臨ませて霊言を語るのならば良い。
世界宗教は霊言から始まったというが、
神や高級霊の言葉を預かり語るというまさに「預言」であっただろう。

しかし、神でも高級霊でもない人物の霊、
時には悪魔や低級霊、地獄霊まで呼び出して語るというのは
あまりにも危険な行為である。

小学生の頃、コックリさんが流行った。
誰々さんが好きなのは◯◯だ・・・なんて当てて
大騒ぎしていたが、
祖父母から強く叱られた。
「こっくりさんなんかやってると
狐に入られて居座られてしまうよ」と。

そして実際に「誰々に狐が入って出ていかなくなった」と
いう噂が立ったりした。

私は最近幸福の科学を見ていると、どうもそれと同じに見えてしまう。

「こっくりさんなんかと一緒にするな!
地球最高の霊能力保持者なのだから
霊はすべてコントロールできるんだ」とお叱りを受けそうだ。


まあ、本当に私が思うのは
いかに神と一体となるか?
いかに自分自身を神の宮とするか?
それが信仰者として大切なことではないかということ。

人間の「神の宮」であるべき聖なるところに
神ではなく、いろんな霊人、上から下まで、
地獄霊や悪魔やはては宇宙人まで招くというのは
不浄なことではないかと感じるのだ。

もっとご自分を大切にされたほうがよいのではないか?

私としては
天地創造の親なる神はどのようにお考えなのか?
神の子として、いかに神に近づいていくことができるのか?
どうしたら神も人も喜ぶ生き方ができるか?

そんな話を聞きたい。

亡くなった人間レベルの霊言ではなく、
世界宗教の開祖や預言者たちのように
神の言葉をこそ、語って欲しいのだが・・・。

そのほうが実際に何倍もインパクトがあるだろう。
量より質が問題ではないか?

初期の幸福の科学のように、せめて四大聖人の霊言とか。

大川隆法氏には、なにか我々には計り知れない「深いお心」があるのだろうか・・・・。



今回はひとりごとのようになってしまった。

私が個人的に感じているのは、
最近の霊言には、初期の霊言みたいに
人格の向上や正しき心の探求に役立つような内容が少なく
書店でチラ見しても、読む気になれないものばかりなので、
もしかしてあまり低級霊とか雑霊の霊言をし過ぎて
高級霊を呼べなくなっているのでは・・・ということ。
大川先生、ほんとうに大丈夫ですか~




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物質的には豊かだけど、精神的には貧しい人たち

前回、「心の豊かさとは」と考えていたら、
マザー・テレサが来日された時の言葉を思い出した。

カトリックのサイトより「マザー・テレサを偲んで」

「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。

しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。

物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。

愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。」


マザー・テレサは、日本人の印象を
「物質的には豊かだけど、精神的には貧しい人たち」
表現した。

耳の痛い話である。

幸福の科学流にいうと、
「清貧」が良いことなのか?
発展・繁栄の法でもって、豊かさを肯定し
「清富」をこそ目指さなければ・・・
ということになるのかもしれない。

ブータン国王夫妻が来日された際も
たしかそのようなコメントがあったように思う。

たしかに、一番良いのは「物質的に豊かで、精神的にも豊か」であろう。
「この世とあの世を貫く幸福」と言うように。

しかし、日本に生まれただけでも、世界からみたら
すでに圧倒的な物質的豊かさのなかに生きているのが私たちである。

マザー・テレサの忠告を素直に受け止めて、
「物質的には豊かだけど、精神的には貧しい人たち」にならないよう
心していきたいものだ。



この記事は、先回の「あなたの対応、そこに心の豊かさはありますか?」
に続くものです。





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あなたの対応、そこに心の豊かさはありますか?

ある問題に直面した時、
どのように受け止め、どのように対応するのが最善なのだろう?

ということを考えてみた。

どのように対するのが、豊かな心なんだろう?
愛のある対応なんだろう?

神様はどう対応することを願われているのだろう。

同じ場面、同じ状況に立たされたとき、
イエス様だったらどう対応されるだろう?

自分が師と仰ぐ人だったら、どのように対応されるだろう?

尊敬する先輩だったら?

そう考えると見えてくるものがある。


ここ1週間くらい、ブログ村での
信者さんとアンチさんの応酬をみていても、同じようなことを考えた。


たかがブログ、
しかしされどブログで
そこに人となりが表れる。

対応の仕方に、心の豊かさ・貧しさが表れるように思う。

そしてその対応のしかた、態度に対して、
傍から見ている人は、それを敏感に感じる。

心の豊かさ・貧しさを、
たとえば快・不快という感情で。

客観的に見ている人は、正直なものだ。
当事者にはなかなかわからないことかもしれないけれども。



まあ私も、ブログ村の統一教会カテゴリに
ずらりとアンチブログが並んでいるのは、決して気分の良いものではないから
幸福の科学信者さんたちの気持ちもわかる。

純粋な信者さんが見たら、傷つくかも・・・と心配にもなる。

統一教会なんか、ブログ村という次元ではなく
インターネット自体がアンチの渦だもんな(笑)


だからといって、情報にふたをするわけにもいかず、
できるはずもない。
実際の人間関係や日々の生活を通して、
何が正しくて何が間違っているのか
自分の目で判断してもらうしかないだろう。

インターネットの普及は
ごまかしの効かない世界、
嘘のつけない世界に向かっていると思う。

これは、神様が喜ばれることではないだろうか?


幸福の科学にも、良い言葉があった。
たしか、初期の頃の「不動心」だったろうか、
「悪には、圧倒的善念で対応せよ!」と。

その心意気でいけばよい。






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超極秘扱いとなった出来事とは?

幸福の科学の施設が宇都宮にできたとき、
そこに参拝しようとした信者5人が乗った車が高速道路で事故を起こし
全員死亡したことがあった。

その事故はTVニュースで流され、
当時インターネットでも噂になったから
私も記憶がある。

先日種村さんのブログ「真実を語る」に、そのことが書かれていて思い出した。

種村 そういえば、宇都宮の総本山ができて数年したころ、車に同乗して精舎に向かっていた会員さん5人が高速道路で事故にあい、全員死亡したことがありました。教団で超極秘扱いになった出来事でした。


なんと、これは教団内では、「超極秘扱い」とされたそうだ。

???

なぜ隠さないといけないのか?

「精舎に向かう途中で信者さんが事故に遭い死亡された」と発表すれば
信者さんの信仰が揺らいでしまうとでも心配したのか?


なんと冷たい話だろう?

大切な信者仲間が事故で亡くなったとすれば
みんなで涙を流し、冥福を祈ってあげればよいではないか?

血も涙もない、何の愛も情もないのだろうかと
空恐ろしく感じるのは私だけか?

(元妻のきょう子さんや
第一弟子であった種村さんへの仕打ちを見ても共通点がかいま見えるから
そもそもがそういう体質なんだろうか?)



2003年頃だったか、韓国で、統一教会信徒の家が火事になり
幼い子供4人が焼死したことがある。

父母の悲しみはいかばかりか?

この知らせは信徒全体に知らされ、
みんな涙を流した。

私も幼い子供がいたから他人事とは思えず
胸を痛めた。

世界中の信徒が自主的にお金を集めて
その夫婦にお見舞いをした。

韓国で2000人ほど集まった集会の場で
その夫妻が紹介され、世界中から集まったお見舞い金を渡したその場に
たまたま私も居合わせたので、よく覚えている。

激励の拍手が鳴り止まなかった。

代わってあげる事もできないし
亡くなった子供が帰ってくるわけでもない。
何もできないけれど、何とかしてあげたい。

これが家族である。

神とともに、兄弟姉妹とともに、
喜びも悲しみも分かち合う。
これが天国ではないか?

私の信じる神様は、そんな熱い心を持った神様だ。

というか、別に宗教でなくても
どこの団体もそんなものではないだろうか。


たとえどんなに学校の成績が良くても
どんなに超難関の大学に合格したとしても
もし、こういった人間として当たり前の「情」が育っていないとすれば
人間として欠陥である。



死亡事故のことを「超極秘事項」としなければならなかった・・・?
これは幸福の科学の不思議である。

幸福の科学学園においても
人間的な、バランスのとれた教育がされていることを祈る。



今回の記事は、先日の
「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな話」
「奇跡信仰の限界」
「信仰の本質は何かを考えさせられる出来事」
に続くものです。


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信仰の本質は何かを考えさせられる出来事

今回は、
「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話」
「奇跡信仰の限界」
に続く記事である。


信仰において、奇跡は本質ではない。

2008年7月、文鮮明師が88歳の夏、
なんと文師夫妻を含む16人が乗っていたヘリコプターが墜落炎上した。

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
アメリカ・シコルスキー社のS92型

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
ニュース写真

ヘリコプターの墜落事故といえば
乗員全員が死亡してもおかしくない。

この時はなんと搭乗していた16人全員が助かったのだ。

墜落する際、機体後部が木に挟まり機体の回転が止まったこと。
窪地に墜落したこと、
墜落後、ドアがスムーズに開いたこと。
他いろんな偶然が重なった。

そして爆発炎上するまでの20分の間に
重傷者を含め全員が脱出できた。


じつは
この事故の後、ヘリコプターの操縦士のインタビュー映像を見た。
「統一教会に入教したい」と言っていた。

奇跡を目の当たりにしたからか?

そうではない。


ヘリコプターが落ちた瞬間、
普通は我先にと逃げ出そうとする衝動から
パニック状態になり、大混乱するのが普通であるという。

しかしこの時は

長時間の訓練を受けた軍人でも難しいほどのスムーズさで、
全員が爆発する前に整然と脱出できたのだ。

文師は88歳であり、
小学校低学年の児童が3人乗っていたにもかかかわらずだ。

ヘリコプターの操縦士は
生きるか死ぬかのギリギリのところで
自らをかえりみず助け合うメンバーの姿を見て
「ホンモノだ!」と思ったという。

それで感動して、統一教会に入会したい
と思わず口走ったのである。

その後、操縦士がどうなったのかは知らないが・・・(笑)



イエス・キリストが十字架にかかる場面では
弟子たちはみな逃げてしまった。

しかし、文鮮明師のヘリコプター墜落の場面では
誰も逃げることなく、
生命をかけて助け合ったのだ。

これが信仰の本質であると思う。

ヘリコプターが墜落炎上したにもかかわらず
全員が助かったという奇跡が重要なのではなく、
信仰を土台として、
どれだけの絆を結ぶことができているか

これが重要なのだ。
これが信仰の実りなのだ。

神様を中心とした人間関係。

神様を同じ親とすれば、皆、神のもとに兄弟姉妹である。

他人であっても本当の家族のように思える人間関係、
そのようにしてできる世界が人類一家族の世界であり、
神様が願うユートピアの世界なのだ。

そのプロセスなくして、
奇跡でもって、地上のユートピアができるはずもない。

「まず、自らの家庭をユートピアにせずして、
全世界をユートピアにすることはできない」という
幸福の科学の「仏陀再誕」に書かれている主張も
そのような意味であると私は理解している。

先日紹介したブラジルの兄弟の、アンビリバボーな証も同様だ。
確かにあれだけの大事故で無事だったことに驚くが、
それ以上に、TVニュースに映しだされる奥さんと3人の子供たちの姿、
ポルトガル語なので何を言っているのかはわからないけど、
その家族の姿が美しく感動的なのである。




「仏陀離婚・即再婚は神の予定なのか?」の記事も参考にどうぞ。




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奇跡信仰の限界

昨日はアンビリーバボーな奇跡話を紹介した。

勇気を与えてくれる話ではあるが、
じつは教会内ではそれほど奇跡を重要視しない。

2000年前、イエス・キリストは数々の奇跡を起こした。

イエスの奇跡によって
病気を癒され、
死んだ者が生き返った。

そしてその奇跡を見て、多くの人がイエスに従った。

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
レンブラントの名画「ラザロの蘇生」

しかし、いざ
イエスに対する迫害が激しくなり
いよいよイエスが捕らえられた時、
奇跡を見て付いてきた人たちはみな
クモの子を散らすように逃げていった。

自分の身にも危険が及ぶかもしれない、そうなったとたん離れていったのだ。

外的な奇跡によって信じてついてくる人は
外的な試練によってあっさりと離れていく。


もし奇跡によって信仰にいたることがあっても
それだけでは、ただのご利益信仰にすぎない。

やがて信仰をくつがえす時がくるだろう。

信仰の動機が自分のご利益にあるからだ。

外的な刺激による誘発的な信仰であり、
内的に深く神との絆が結ばれたのではないからだ。



イエスは「再び来る」と約束されて昇天された。

私たちは、もし再びイエスを迎えるようになったとき、
イエスを裏切った弟子たちと同じ過ちを繰り返すことはないだろうか?

そんなことはないと、自信を持って言えるだろうか?

それをしばしば考える。

だから教会内では、それほど奇跡を強調することはないのだ。奇跡によって誘発される信仰には限界があることをよく知っている。


信仰の目的は、失った神様との関係を取り戻すこと。
本当の親子の情を結び、
生涯神とともに暮らすことである。

そして神の心を自らの心とし
そのように生きるように努力すること。
良心に恥じない生き方をすることである。



事故で助かったから信じる?
もし助からなかったら信じない?

信仰とはそんなものではない。
それはあまりにも幼い信仰である。

信仰の本質は別のところにある。

そのことはまた次回に掘り下げて書くことにする。



この記事は昨日の「イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話」の続きでした。




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イイシラセ!まるでアンビリーバボーな本当の話

イイシラセ!まるでTV番組「アンビリーバボー」に出てくるような話だ。

と言っても、幸福の科学みたいに
神戸から北海道までドクターヘリが飛んで
大空に大エル・カンターレの文字が出た」
とか
「アメリカ人の信者さんが、
救急車で搬送した先で死亡が確認され、
そのまま救急車で自宅に帰ってきた。
正心法語を読誦すると数時間後に生き返った」
みたいな、設定からしてありえない妄想話でも捏造話でもない。

ブラジルのTVニュース映像。




乗用車が大型トレーラーとぶつかりペッチャンコ、
それなのに運転者は指に小傷をつくっただけという
ありえないような話だ。

ポルトガル語なので何を言っているのかわからないが、
TV局のインタビューアーも興奮している様子がわかる。


じつは彼はブラジルの統一教会員である。
ニュース映像では
教会(家庭連合)のシンボルが入った
トレーニングウェアを着た姿が映し出され、
ベッド上の手には文鮮明師ご夫妻の写真が・・・。

これが日本だったら
TV局に「あなたたちは霊感商法に加担するのか!」と
たちまち非難の電話が殺到するところだろう(笑)

ニュース映像のなかで彼は
「メシア、真の父母様が私を生かしてくださった」と
語っているらしい。(ポルトガル語がわからないので、私は未確認・・・)


メシヤは人間と神をつなげてくださるお方。

信仰の対象は、人間ではなく
どこまでも天地創造の神である。

親(父母)なる神、
全知全能の神であれば、
こんな奇跡をも起こされるのか、
と信仰の力に驚かされる。


ただし、教会内では奇跡の話はあまり強調しない。
その理由は次回「奇跡信仰の限界」に書くことにする。




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死に備えるために準備すべきこと

幸福の科学の元信者さんが書かれたブログ
「楽山日記」にとても共感する部分があった。

「死に備える方法」という記事。


以下、引用させていただく。


「死後に迷うことが無いように、生きているうちに、霊界知識を学ぶ必要がある」

わたしはこれを聞いて、もっともだと思い、霊界知識の吸収に励んだのだった。けれども、そのうちに次のことに気づいた。

「いくら霊界知識があったところで、良心に反する生き方をしていたら、地獄に堕ちてしまうのだろう。それだったら、死後の幸福のために第一に必要なのは、霊界知識よりも、良心に則って生きることではないか

まったく同感である。

もちろん、霊界知識も大切である。

たとえば地球の真裏の南米に行くというとき、
まったく南米のことを知らずに行けば、行ったあとで大変戸惑うことになる。

まず季節が正反対である。
こちらが冬でもあちらは夏である。

それから言葉が通じない。
スペイン語かポルトガル語である。

日本的感覚で行けば、カルチャーショックの連続だろう。

備えがあるに越したことはない。


しかし、知っていたとしても
本質的に準備するものが何かを間違えば
行った先で全然通用しないということになる。

霊界の知識も知っておけば心の準備ができる。
しかし霊界に行くために本質的に準備しないといけないものは何か?
それを間違えばとんでもないことになる。

楽山さんが書かれているように
「良心にしたがって生きる」
「善く生きる」
これが霊界に行くための何よりの準備であろう。

決して
エル・カンターレを信じさえすればOK
というような安易なものではないはずだ。


「最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。
何が罪なのかということは、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇(ちゅうちょ)することをしてはならないという事実です。
良心に引っかかることをすれば、必ず心に傷が残るのです。」


文鮮明先生自叙伝「平和を愛する世界人として」より





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霊言とマリアの処女懐胎

$幸福の科学を統一教会の信者が見ると
エル・グレコの名画「受胎告知」

初期の頃、幸福の科学についていいなと思った部分がある。
聖書について先入観がないところだ。

「イエスの霊言」講義のテープを聞いていて
マリアの処女懐胎に対する大川隆法氏の見解があった。

それは「処女懐胎ではなく
普通の夫婦の営みからだと思う」
というものだった。

キリスト教福音派といわれるキリスト教の派では
聖書を絶対的真理として
聖書に書かれた記述を文字通りに一言一句信じる。


彼らからすると、
「処女懐胎ではなく夫婦の営みからイエスは生まれた」
というのは、聖マリアを侮辱するもの!となってしまう。

しかし現代人にしてみれば、処女で子供を身籠るなんていう話は非科学的で信じられるものではない。

統一原理においても、
宗教と科学の統一がひとつのテーマであり
高度に科学が発達した現代人でも納得できるように、宗教的真理を解明している。

統一原理では、
マリアは処女懐胎ではない・・・というのみならず
イエスの本当の父は誰か?
というところにまで言及している。

(もちろんそこに、神の導き、
聖霊の役事があったと考える。)

キリスト教福音派から統一教会が
「異端」として徹底的に排斥されるのも当然のことである。


大川隆法氏も「マリアの処女懐胎」を例にして
「キリスト教にも洗脳的要素がある」
と語ったことがある。


福音派のように文字通り聖書の一言一句を信じるのではなく
歴史的・組織的な教理体系から離れ、
個人が霊的なインスピレーションを受けながら自由に聖書を解明する自由主義神学の立場もある。

それがためにキリスト教のプロテスタントは
いまや、400以上の宗派に分かれてしまった。


幸福の科学自体は仏教の立場をとっているし、
聖書は教典でもないので、
自由に解釈し、
大川隆法氏はインスピレーションを受けるままに
語ることができたと考えられる。

歴史的・組織的な縛りもない。

それで、より真理に近かったのではないか。


言われるままの「盲信」ではなく、
本心から納得できるまで真理を探し求める者もいるであろう。

幸福の科学においても、
仏法真理を一言一句絶対視して信ずる立場と、
頻繁に変更し実践が伴わない教義体系についていかず、
自由に理性的に解釈する立場の人も出てくるのかもしれない。





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心に余裕がなく追い立てられるような心理とは?

「ハリボテの科学」「砂上の楼閣」「ぐるぐるポチ」で書いたような
幸福の科学の無原則な行動パターンを見ていると、

何だか、焦って正常な判断ができなくなってる人に似ている・・・。
心の余裕がないというか、何かに追い立てられているような感じ。

サラ金の返済に追われてるみたいな。

「オレだよ、オレ!」って電話がかかってきて「すぐ振り込まなくちゃ」と慌ててるみたいな。

それとか、
うまい儲け話を聞いて「よし、これにかけてみよう」とさらにお金をつぎ込んでしまうみたいな。


その辺の心理はどこからくるんだろう?と考えていたら
元信者さんのブログにわかりやすく説明してくれていた。

しんしんさんのブログ HSからの解放 Before & After

さらにその記事を、2ちゃんねるの使者さんがPDFファイルにまとめてある。

『幸福の科学』をやめて知った本当の『幸福』






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ブログ村でぐるぐるポチ疑惑?(笑

ブログ村の「幸福の科学」のランキングが
ここ1~2日で大きく変動した。

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10位以内の半分くらいはアンチブログが占めていたのが
信者さんブログがランク急上昇して、
アンチブログはほとんど10位以下になった。

そのへんの事情をみろたんさんがブログに
「ブログ村でアンチ活動?」として書かれている。

名付けて「ぐるぐるポチ」・・・大笑い!

「でた~」というか、ハリボテの科学の本領発揮だ。

また、見せかけのランキング操作。
ブログ村のランキングにそもそも
どれだけの意味があるのだろう?

こういう行動がいかにも幸福の科学というか・・・。


私のブログもブログ村に参加しているが、
おかげでアメブロ以外にも
ブログ村を経由して記事を読みに来ている人ができて
大変嬉しく思っている。

多くの人に読んでもらえるというのは嬉しいものだ。

ただし、不正なクリックで一時的にランキング上位に行っても
何の意味もない。

コツコツと、より良質な記事を書いていくことで
読者は満足してくれるのではないか?

そのあたりは「幸福の科学 豊川支部」さんのブログで
「ピッポさんからの頂き物」という記事で
しっかり書いてあるではないか?

『ここのブログへ、来てくれる人々に対して
楽しくて、喜びが与えられる記事を、アップしたい!』という想いです
だから、例え、ランキング上位であっても
その想いを忘れると
人気は無くなり
誰からも
返り見られなくなります
ブログを書く本人も、やる気を無くしてしまいます。』


(上、引用させていただきました。)


花を咲かせようと焦るよりも、
根をしっかりと張るべき!

そうでないと虚しい人生になるぞ!!


いったい幸福の科学では、信者さんにどういう教育をしているんだ!?



「砂上の楼閣」の記事も参考に。





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人生の落とし穴

PCの古いバックアップデータから、
1990年代のファイルが出てきた。

当時、幸福の科学の書籍を読みながら
気になった部分を書き写したり、自分の感想をメモしていたものがある。

私を何とか伝道しようとして、本をくれたり支部に誘ってくれた人がいた。
当時はけっこうためになっていたよ。

幸福の科学はよきライバルのように感じていた。

愛、無限―偉大なる信仰の力/幸福の科学経典部


「真実の人生とは」より
人間を見るためには、それほど難しい試験は必要ありません。二つの試みをするだけで、たいていの人間はその本質がわかることになっています。
厳しさには耐えられても、甘さには耐えられない人がいます。甘さには転落しないで耐えても、厳しさには耐えられない人もいます。この両者に耐えてこそ、真の人間と言いうるのです。


$幸福の科学を統一教会の信者が見ると

信仰の道や人生は、よく山登りに例えられる。

山に登って、次の山に登ろうとすれば、
必ず下まで降りて
また登らなければならない。

いったんは過去の実績、栄光を捨てて
ゼロから再出発すべき時がくるのだ。

否定されるような環境が来る。

この時に過去の栄光にしがみつき、自分をなくすことができない人は、七転八倒することになる。

大きくジャンプするには、いったん小さく屈まなくてはいけない。
バネは、小さく縮んでこそ、大きく飛び跳ねる。

試練のように感じる時というのは、
小さくかがんで、謙虚に一からやり直すときである。

実は、それが次の大きなステージにたつためのステップになっているのだ。

これを悟れないと、見苦しい醜態をさらすようになる。
今の大川隆法氏みたいに・・・。

残念~!(ギター侍、波田陽区ふう)






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宗教対立を終わらせる鍵は

急成長するASEAN諸国では、EUのような共同経済圏を目指す機運が急速に高まっている。

ビザなしでお互に行き来できるようになる日も近いようだ。

しかし、そのなかで最大の問題になるのが宗教問題。

イスラム教、仏教、キリスト教、あらゆる宗教が混在している、そんな国々がどのように一つになるか?

じつは、その一つの答えとして提示されているのが、家庭ユートピア運動である。

一夫一婦を原則とし、夫婦、家庭の調和から平和な社会、国家を築いていこうというプログラムが注目されているという。

夫婦、家庭の調和と幸福が社会、国の基盤になるという考え方が、宗教や文化の違う国々の間で、共通の価値観として受け入れられているのだ。

未来型宗教のキーワードは「夫婦」であり「家庭」である。
宗教宗派の壁を越える秘訣もここにある。


幸福の科学の説いていた家庭ユートピアもまさに同じ考えだった。
しかし、教祖自らそれを実践できず、今や幸福の科学では、中国や北朝鮮の危機が語られることはあっても、家庭ユートピアが語られることはほとんどないという。

むしろ、一夫多妻を正当化するような傾向があるから驚く。

幸福の科学サイトによると、
「主エル・カンターレは、現代の日本に大川隆法総裁として生まれられ、西洋文明と東洋文明を日本という地で融合し、全人類を導く教えを説かれています。
大川隆法総裁は、あらゆる宗教対立を終わらせ、希望の未来を拓くために、いままさに不惜身命の救世活動をされているのです」とある。

しかし実際は、宗教を調和させるどころか、かなり時代に逆行されているようだ。


「不倫もよし」、「一夫多妻もよし」とする人は、幸福の科学の書籍のなかで「真実の人生とは」に書かれた仏法真理をかみしめてほしい。

「不倫というのは結局、本来自分が愛すべき人を、深く傷つけてしまうということが、真理に反することなのです。愛を裏切られるということは、ダメージが大きいものなのです。相手の魂そのもの、奥深いところにまで影響を与え、回復できなくさせてしまいます。」

愛、無限―偉大なる信仰の力/幸福の科学経典部







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漏尽通力

幸福の科学でかつて、なるほどなあと思った教えに「漏尽通力」がある。

釈迦には六大神通力があったという。

天眼通力、天耳通力(てんにつうりき)、自他通力、運命通力、宿命通力、漏尽通力(ろじんつうりき)の六つ。

そのなかで最大の霊能力が「漏尽通力」。

見える、聞こえる、読心術、占いなどで人の運命を当てる、過去未来を当てる、来世と過去を当てる、そういう霊能力ではなく、
漏尽通力は、人の根本的な悩みを解決すると言ったもので、ごく平凡な人のように生活しながら、平凡ではない。
霊能者でありながら、通常人と全くかわらない生活をし、「平凡のなかの非凡」を実践してゆく能力だ。

そのような人は、明るい光が周りに自然に漏れていくように、悟りの香りが自然にただようという。まあ「人格がにじみ出る」というようなものだろう。

この話を聞いて、自分もそうありたいと思った。信仰を持つ者として、これもひとつの理想ではないかと思う。


たとえば、相手と自分の違いがわかること、そしてその違いを埋めるべく、わかりやすく解き明かすことの出来る能力、
これも「漏尽通力」である。

これがなければ
独りよがりになってしまうなあと自らを戒めたことを記憶している。


ところでいま、大川隆法氏と幸福の科学信者さんに一番欠けているものも、この「漏尽通力」ではないか?

相手が自分のことをどう思っているか?
自分の考えと、相手の考えにどれだけのギャップがあるかを理解し、そのギャップをどのように埋めて行けばよいかを考える。

それがまったくできていないように思う。


自分も他人のことは言えたものではないけどな(笑)。でも努力はしている。


漏尽通力―現代的霊能力の極致 (Shinrei books)/大川 隆法

Amazon.co.jp

「漏尽通力」は絶版になっている幻の本。
Amazonであれば中古であるかも。






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「霊言集」の制作プロセス

ポラリスさんのブログにすごい話が載っていた。

「イタコ芸の舞台裏」

ID:xJ8QRrIMさんのために、「霊言集」の制作プロセスを説明いたしますと、

(1)大川隆法氏と幸福の科学のスタッフで、誰の霊言を出すか決める。
(2)霊言相手に関する情報を集める
(3)霊験内容を決めて原稿をスタッフが作成する
(4)原稿を基に、大川隆法氏と聞き役が「霊言」を演じる練習をする
(5)「霊言」を行い録画・録音する
(6)録音内容を基に、出版本のためにゴーストライターが「霊言集」の出版原稿を書き起こす
(7)幸福の科学出版で「霊言集」を制作し、書店の店頭に置く

つまり、「霊言集」は大川隆法氏一人の手によるものではなく、ほとんどスタッフによって制作されているのです。


???

この証言が本物かどうかは定かではないが、
そう考えるほうが辻褄が合う。

ほとんどの霊言が、最後は幸福の科学を持ち上げて終わるか
罵詈雑言の悪態に終始するかのどちらかで、極めてワンパターンなところ。
(1980年代の霊言は個性豊かで、これってホンモノと思うくらい面白かったのに・・・。)

あるときは大川隆法氏がカンペを見ながら霊言したという事実。
(しかもそのカンペの内容はWikipediaそのままだった。)

前にも書いたが、文鮮明師守護霊の霊言が全然デタラメだったこと。

これらを思い出してみると、「イタコ芸の舞台裏」が妙に説得力あるのだ。

私はこれまでは、
さすがにここまでスタッフ共同の準備ではないと思っていた。

大川隆法氏が、霊人本人ではない「なりすましの低級霊」に同通して話しているんだろうなあと想像していたのだ。

自分では本人の霊を呼んでいるつもりでも、実際は別の低級霊が「私が◯◯です」みたいに来てるんだろうなと。

でも、この証言通りだったら完全な詐欺ではないか!



幸福の科学さん、上記の証言が嘘だと証明できるのかな?





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幸福の科学信者さんブログを見ると

幸福の科学の信者さんが書かれているブログを見ると、
痛々しくてたまらない。

信者さんたちはどのように考えておられるのか理解しようと試みるのだが
自分の素直な感情、理性、疑念を押し殺してでも
無理矢理に信じ込もうとする姿が見えて痛いのだ。

なんだか「疑ってはいけない」「信じなければ」「不信するものか」
「主エル・カンターレを何が何でもお護りするのだ」という声が聞こえてきそうだ。


ブログ村でトップに出ている方のブログでは
「一夫多妻がどうして悪いんだ」と開き直っておられる。

http://doaho.seesaa.net/article/335025328.html

http://doaho.seesaa.net/article/336092903.html



それから、別の信者さんブログで
宇宙人がどうこう・・とか、大川隆法総裁は「仏陀であり、大救世主であり、地球の至高神」だという設定をうのみにすれば、こんな思考になるのだなという典型例があった。

信仰の世界で、不信するのではなく純粋に信じて行こうとするのはとても大切なことだ。しかし純粋に信じてしまうと、こうなってしまうのだ。

http://ameblo.jp/phealiscat/entry-11355898818.html

読んでいて頭がクラクラしてくる。
というか、かわいそうになってくる。

最近は、「偉大なる常識人を目指せ!」ではなく
「創造の法」以来
キ◯ガイになれ!」という指導みたいだから
その通りなんだろうが・・・。
(ちょっと勘違い?)


それからこんな記述も。

「主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、中国・北朝鮮などから、どれだけ日本を護るために、命も惜しまず、日々、数々の霊言や、思想を書籍にして、政治経済教育などを正しい方向に引っ張っていこうと、努力しておられるか・・・嫌がらせも、ほどほどにしないと雷が落ちて来ますよ。」
だって。

http://ameblo.jp/phealiscat/entry-11478755949.html

ああ、信者さんはこのように考えているんだな・・・とよくわかった。

そして幸福の科学学園からは、こんな思考の若者が大量に輩出されていくんだろうなということもよくわかった。

「学園の生徒たちを、大川隆法総裁は『私の宝物たち』と言われています。
学園事業に、私財の9割をつぎ込んだとも、言われていました。」
(上記ブログより)






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