救世主の生き様 | 家庭連合の信者が幸福を科学すると

憎しみの心を溶かすのは真の愛だけ

神様とはどういう方だろうか?

神の子イエス・キリストはどんな方だったか?

罠にかけられ、無実の罪で死罪になったとしても
一切人を怨まず、憎まず、
むしろ許し愛していかれた。

復讐するどころか
「主よ、彼らを許し給え。
彼らは何もわからないのです」と
自分を害する相手のために祈られた。

その結果、神の人は無残に殺され、
悪が世を支配した。

しかし悪の支配は、永遠には続かない。

人の心には善を求める良心があるからだ。

神の子イエス・キリストの生き様は
多くの人の良心に訴えかけ
やがて歴史を動かした。

jesus.jpg



悪は抹殺し、せん滅させることで
なくなるのではない。

イエス・キリストのような真の愛で
怨みや憎しみを溶かさない限り、
悪はなくならない。

人の心の奥底にある良心を信じて
愛するしかない。


当然これは理想論である。
そんなお人好しでは
何千年かかるかわからない。
だがその究極のお人好しで
理想論者なのが神様である。

だから事実、
今まで何千年もかかったのだ。

これからあとも
人が良心に目覚めるまで
続いていくことだろう。

神は愛であり、忍耐である。



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MBCドキュメンタリー第4弾 彼が米国に残したものとは?

文鮮明師は52才で渡米され、米国へ後半生を捧げられた。
米国は「現代のローマ」であると言われ、
「アメリカよ、神に帰れ!」と
建国精神に戻ることを訴え続けられた。

このたび、米国での文師の歩みを綴ったドキュメンタリー番組が
日本語に訳され公開された。

文師への大きな誤解をとく助けになるのではないかと、
このような動画の公開はうれしい限りである。


以下、Youtubeの案内文より

2014年11月25日、韓国のケーブルテレビMBC NETが、ドキュメンタリー「アメリカ、平和の道を行く」を放送しました。
今回で4回目となる番組では、アメリカ大陸における文鮮明師の様々な平和事業が紹介さ­れています。

30万人を集めたワシントン大会(1976年)をはじめ、「ワシントンタイムズ」の創­刊(82年)や
文師が脱税の嫌疑で起訴され、ダンベリー連邦刑務所に収監された(84年)際の真相な­どが明らかにされています。
このたび、MBCの許可を得て、日本語吹替え版をアップしました。







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文鮮明師はいま地獄に?

教会のある大先輩が、集会でびっくりことをおっしゃっていた。

「皆さん、文鮮明先生は亡くなられてから2年なりますが
霊界でどこにいらっしゃると思いますか?

私は地獄だと思います。」

一同「えーっ?どうして?」

先輩「文先生の人柄を考えてください。
自分ひとりで天国に行って、
安楽な生活を楽しまれる方ですか?

地獄にいる人を何とか助けてあげたいと思って
自ら地獄に赴かれるのが文先生ではないですか?

生きていらっしゃる時もそうだったし、
いまもそのはずです。」

それを聞いてみな納得。

生涯を3時間の睡眠で通され、
全力投球で生き抜かれたことを皆よく知っている。

子どもが幸せに暮らしていなければ
親の心は休まるはずがない。

全人類に対して我が子のような心を持たれ、
一時も休まることのない生活をされた。

でも、その心はいつも幸せだったと
自叙伝には書かれている。

無実の罪で入った牢獄では
囚人皆が友達だったと語られた。

「地獄を天国に変える」
それがまさに文先生の生き方だったと思う。



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クリスマスの時期イエス・キリストに思いをはせる

2000年たった今も、
全世界の人々から誕生を祝われるイエスキリスト。
彼の何が、そこまで人を感化するのか?
そんなことに思いをはせた。

4大聖人といえば、
イエス・キリスト、釈迦、マホメット、孔子である。
それぞれに、世界各地に壮大な文明圏を築いてきたし
歴史を導いてきた。
しかし、人類歴史上でイエス・キリストほどに
その誕生を祝われる人物はいない。

もちろん、商業化したクリスマス行事を
否定的に見る人もいると思う。

サンタクロース、クリスマスツリー、
イルミネーション、パーティ、
ケーキ、プレゼント交換・・・
これらがイエス・キリストとなんの関わりがあるのか、
そもそもクリスマスがイエスの誕生を祝うことだと知って
祝っているのか?
ただ年末の風物詩として
楽しく過ごしたいだけではないかと
気になる人もいるだろう。


たとえそうだとしても
人が冬のこの時期、
クリスマス・ソングを耳にしながら
少しでも優しい気持ちになり
神聖な気持ちになれるとしたら
素晴らしいことである。

イエス・キリストは
神の子としての人間の姿を
見える形で表してくださった方である。

生命を越えた愛というものを
身をもって示してくださった方。

「友のために自らの生命をさしだす
それ以上大いなる愛はない」と説かれ
「汝の敵を愛せ」と説かれ
その言葉通りに生涯を生き抜いた方。

その完全な言行一致の姿に
天の父なる神と完全に心情一体となられた
本当の人間の姿をみる。

人間というのは
こんなに素晴らしい存在なんだ。
人間も捨てたものではない。
信じるにたる存在なんだ。

それを教えて下さった方である。

33年という短い生涯ではあったけれども、
2000年の歴史を照らしてきた。
一人の存在が全世界に
これだけの影響を与えることができるということを
示してくださった。

まさに「救世主」
「主は来ませり~♪」である。

語るだけでなく、身を持って愛を示した方、
少しでもその方に近づいていきたいものだ。



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幸福の科学、統一教会の抗議に逆ギレ!?

「忍耐の法」に書かれた文鮮明師に関する記述に
統一教会の広報部が2度抗議文を出した。

その経緯は先日書いたが、
その後、幸福の科学から再度の返答が来たようだ。

幸福の科学に「再々抗議文」を送付(統一教会公式サイトより)

内容を読んでびっくり。

誠意のかけらもなく、
事実(証拠、出典)を元にした説明があるわけでもなく
高圧的な態度で一方的に反論してくる、
まさに「逆ギレ」状態。

幸福の科学って
もっと常識的で、科学的(理論的)で
紳士的な団体かと思って
1980年代から20年ちかく
ウォッチし続けてきていたが
もう「残念」の一言しかない。

幸福の科学と統一教会のやりとりを見れば
どちらがどうかは誰が見ても明らかだろう。


幸福の科学・・・終わったな。


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大川隆法氏に統一教会が再び抗議

前に、大川隆法氏に対して統一教会広報部が抗議文を出したことを書いたが
それに対する幸福の科学からの解答があまりにもひどかったので、
再び抗議文を出したようだ。

幸福の科学に再度抗議(統一教会公式サイト)

「忍耐の法」(大川隆法著)の問題になった箇所は以下。

「彼(注:文鮮明師)は、この福音書に基づいて、『神の独り子が、救世主として生まれて、死ぬときに、『神よ、神よ、なんぞ、われを見捨てたまいしか』と言うことは、あり得ない。だから、このキリストは偽キリストだ。これこそが偽キリストであり、偽物である。・・・』というようなことを述べています」(219ページ)

「ああ、そうだな。イエスがそんなことを言うのは、おかしいな。だから、『聖書』のほうが間違っていて、このイエスは本当のメシアではなかったのだ」(大川隆法著『忍耐の法』220ページ)と信者は信じている。


この記述に対して、
統一教会も信徒も大反発だ。
まったくのデタラメだから。

文鮮明師がいつ、どこでこのようなことを語ったのか?
イエスはメシヤであるというのが文師の教えである。
イエスが偽キリストだと語られたことは一度もなく、
信徒であれば間違いなく、イエス=メシヤ=救世主だと信じている。

WS000006.jpg

(原理講論訓読チャートより。
教義では、明確にイエス・キリスト=メシヤとされているのだ。
これは統一教会の常識。)


完全な事実誤認である。

抗議に対する幸福の科学の解答は以下である。

貴職が問題としておられる『忍耐の法』219ページ以下の貴協会に関する記述は、実際に大川隆法総裁が米国ニューヨーク市在住中に、貴協会信者から勧誘を受け、聞かされた事実そのものです。
 大川総裁を勧誘した貴協会信者は次のように語りました。
 「神の子イエスとして、病気治しなど数多くの奇跡を起こし、悪魔の誘惑にも勝った人が、最期、死ぬ段になって『神よ、神よ、何ぞ我を見捨てたまいしか』と言ったのは、おかしいじゃないか。イエスは本当の救世主じゃなかったんだ。今、新しい本物のイエスが生まれ変わっているのだ。それが文鮮明先生だ」。
 上記の通り、貴協会におかれては、実際に「イエスは本物のメシヤではない」という勧誘が行われております。私ども職員の中にも、同様の勧誘を受けた者がおります。なお、大川総裁の米国ニューヨークでのご体験はご法話として当教団施設にて開示しております。
 『忍耐の法』の当該記述は貴協会の実像を正しく伝えており、何ら問題ないと考えます。


「イエスは本当のメシヤではない」と言ったのは
文師の言葉ではなく、勧誘した教会員の言葉だと言っている。

あきれた。

教会員が言ったとか言わなかったではなく
「忍耐の法」で「文師はこう語っている」と書いたのなら
どこでどのように語ったのか、それを示せ
と統一教会は再び抗議した。

問題をすり替えようとしてもダメだ。

「忍耐の法」の書籍に誤った記述があるのなら、
率直に自らの否を認めて訂正すべきである。

相手が評判の悪い宗教団体であるならば、
嘘もデタラメも許されると思ったのか?

この件に対する統一教会信徒のブログをみると、
大川隆法氏とはこの程度の人間だったのかと
失望の声が多いようだ。


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許せない!大川隆法の暴言

大川隆法著『忍耐の法』に、とんでもない暴言が書かれているようだ。



統一教会広報局は、
幸福の科学・大川隆法氏に対し、抗議文を送付し、謝罪と訂正を求めたという。

幸福の科学・大川隆法氏に厳重抗議

これを読むまで、私も知らなかった。

こんなことが書かれているようだ。

「彼(注:文鮮明師)は、この福音書に基づいて、『神の独り子が、救世主として生まれて、死ぬときに、『神よ、神よ、なんぞ、われを見捨てたまいしか』と言うことは、あり得ない。だから、このキリストは偽キリストだ。これこそが偽キリストであり、偽物である。・・・』というようなことを述べています」(219ページ)

「ああ、そうだな。イエスがそんなことを言うのは、おかしいな。だから、『聖書』のほうが間違っていて、このイエスは本当のメシアではなかったのだ」(大川隆法著『忍耐の法』220ページ)と信者は信じている。


これは統一教会の教義をちょっとでも知っている者なら、
誰が見てもおかしいと思う記述だ。

入信したばかりの信者から
50年来の古参信者にいたるまで、
教義をそのように理解する信者は一人もいないだろう。

イエス・キリストがメシヤとして来られたことを
聖書に基づいて、これでもかというばかりに証明し、
解説しているのが原理講論であり、
文鮮明師の教えなのだから。


大川隆法氏の解説は
見当違いもはなはだしい。

どう解釈したらあんなふうに読めるのか、
あまりに初歩的な間違いで
開いた口が塞がらないというか、
「文鮮明師がこういった」などと、
どうしてあんなに堂々と
平気で嘘をつけるのか、

悲しくなる・・・。

おいコラ!
批判するなら少しは教義を調べてから
批判しろ!

前に出した「文鮮明守護霊の霊言」でも、
統一教会の教義が転生輪廻を否定していることも知らずに
前世がどうとかやらかしてたし。

まったく、説法するにも準備がなさすぎ、
というかレベルが低すぎて話にならない。

プンプン!



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クリスマスに「イエスの物語」を見る

今日はクリスマスだ。

世界中で「ジングルベル」と
イエスの誕生を盛大に祝っているのを見ると
メシヤというのは偉大だなとつくづく思う。

イエス・キリストのわずか3年の公生涯、33年の人生が
なぜ2000年の時を越えて
ここまで多大な影響を与えることができたのか?

イエス・キリストの生涯に思いを馳せて
「イエスの物語」をもう一度見てみたい。



聖書に忠実に再現されたものだ。
Youtubeで日本語翻訳版を見つけた。
ありがたい。



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誰よりも愛した人が主人になる

YouTubeに「統一教会を去ったあなたへ 一信徒からの手紙」
という動画が投稿されていた。




たしかに、この動画にあるとおり
文鮮明先生が教会を離れたメンバーのことを
悪く言われたことを私は聞いたことがないし、
帰ってくることを
親の心でいつまでも待っておられた。


草創期、音楽の才能があり
たくさんの聖歌を作曲したメンバーが
問題を起こして離教した。

文先生は変わらず彼の作曲した聖歌を
好んで歌われた。

他のメンバーは
「先生はなぜあんな裏切った奴の
作った歌を歌うんですか?」と抗議した。

文先生の答えは
「今は離れているかもしれないが、
この曲を作ったとき
彼は純粋な心で作ったんだ。

そして、私がこの歌を
作曲した彼以上に愛すれば、
この歌は、私のものになるんだよ。
(この歌も、私のものになりたがるんだよ)」
先輩から聞いたエピソードで
不正確なところもあると思うが
たしかに文先生はそんな人だ。

今でもその歌の数々は聖歌集に収められ、
教会員はそれとも知らずに
日々歌っている。

誰よりも愛する人が主人になるということだ。

イエス・キリストは、2000年たった今でも
世界中の10数億の人々から救世主として
慕われ愛されている。

それは33年の短い生涯、
イスラエルのごく狭い地域での歩みだったにもかかわらず、
それが人類史上、
どこにもなかった最高の愛だったからであり、
誰よりも人類を愛した人だったからであろう。

人類を誰よりも愛した人が、
人類の主人になるのだ。

一旦離れていった人も、いつかは
自分を一番愛してくれた人のもとへ
帰ってくるようになるのだと思う。



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神の愛とは?

文鮮明師が
「私にはたった一つ、できないことがある」
と語られたことがある。

それは「人を敵視したり、憎んだりすることだ」と。


強烈な反共主義者であるにもかかわらず、
ソ連のゴルバチョフ大統領が歓迎し、
北朝鮮の金日成主席が歓迎した。

それは、思想の違いを越えて
懐に抱こうとする熱い思いを感じたからではないか?

思想は違っても、
敵視する思いや憎しみではない、
愛情を感じたからだと思う。


「人を敵視したり、憎んだりしない」
それは言うは易く、行うは難しい話だ。

しかし、これを貫いたのが
イエスキリストであり、
2000年間殉教の歴史をたどりながらも、
迫害する相手を憎まず許していった
クリスチャンの道である。

これが真実の神の愛だと思う。


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人種、国境、宗教の壁を越えるとき

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昨日は、「世界は一家、人類は兄弟」ということで
愛の成長と発展は家庭から始まる、
家族愛の延長に、地上ユートピアができる
ということを書いた。

これが「愛の発展段階説」に対する代案である。

ただ、これは現実のところ、
「言うは易く行うは難し」である。

キリスト教でも
神様のことを「天の父」と言い
クリスチャン同士、
お互いに兄弟姉妹と呼ぶ。

しかし、人種の壁、
国境の壁、
宗教の壁を越えるのは簡単ではない。

以前に「観念的信仰の限界」ということで書いたことがある。

「神を信じなさい。
ただ信じなさい」と言われても
それだけでは信じ切れないのが人間なのだ。

その信仰が観念的で実感を伴わない場合、
「頭ではわかるんだけど・・・」ということで
実践することは難しい。

悪いことだとわかっていながらも
罪を犯し続けることさえある。

極端な例だが、たとえば
差別してはいけないと思っていても
いざ、自分の娘が黒人の男性を婚約者として
連れてきたら
受け入れることができるだろうか?

政治的、歴史的に長い間対立してきた国の女性を
息子が婚約者として連れてきたら
受け入れることができるだろうか?

口でどんなに良いことを言えても
実践するのは簡単ではない。

だからこそ、
もっとありありと、実感的に
神様のことを親だと教えてくれるものが
必要になる。

神と人間、
切れてしまった親子の関係を
元に修復するのが信仰生活の目的である。

本当にそれが実感できれば
もはや宗教は必要なくなるだろう。

そして自然に
「世界は一家、人類は兄弟」になるだろう。

また、それを教え実践可能にするのが
救世主の使命であると思う。

イエス・キリストが十字架にかかられる前に
「私はまた来る」と言われたのも
その使命がまだ完全には
果たされていないからだ。

神が親であり、
人間が神の子であることを
本当に実感することができれば
そのとき初めて、
人種の壁、国境の壁、宗教の壁は
越えることができるだろう。


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神の御子にますイエス

私は20代の頃、キリスト教の聖歌582番「神の御子にます」が好きだった。

スコットランド民謡「アニーローリー」が元歌なので
誰でも耳にしたことがある曲だと思う。



新聖歌397番(聖歌582番)

神の御子にますイエスの為に
 罪を敵として立つは誰ぞ

  ※全てを捨てて従いまつらん
    わが全てにます王なる主イエスよ

富の楽しみと地の位に
 目もくれずイエスに付くは誰ぞ

罪にとらわれし魂をば
 イエスに連れきたる勇士は誰ぞ

わが持てる物は主よなが物
 きよきみいくさに 用い給え



この聖歌には副題として「献身」とある。

キリスト教2000年の歴史のなかで、
このような純粋な気持ちで
たくさんの人が聖職者になり
宣教師になっていったんだと思う。

特に4番の歌詞は
20代の頃の私の心に突き刺さった。

「富の楽しみも地の位に目もくれず・・・」という以前に、
そもそも
富も地位もない
能力もない
経験もない
自信もない
無力でちっぽけな自分に落胆する
そんな年代だった。

何にもない自分。
でもそのような自分でも
神と共に歩んでいくんだ。

自分の人生は自分だけのものではない。
「我が持てるものはすべて、主よ、あなたのものです。
どうかあなたのために用いて下さい」という歌詞のように
神に役立ててもらい、
神に喜ばれてこそ私の人生だ

そんふうに決心したことを思い出す。


Youtubeで素敵なサックス演奏版を見つけた。



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